にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

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<<ブログ 351>>

 

  まともな国、日本としていくために

     何が必要なのだろうか?

        それは     

日本人ひとり一人の『ふたつの「じりつ」』!!

      ~変わらない私の想い~by入道

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             東京秋葉原のアトリエを基地として

                           世界への羽ばたきを重ねておられる
                               私とちょっとだけ?歳の離れた友達

              画家の田中拓馬さん
      ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

        拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。
 

  田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

                http://tanakatakuma.com

                            https://ttakuma.thebase.in/
                               http://www.takumatanaka.info

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●2025年5月21日、みずからの発言を問われ事実上の更迭となった江藤拓農水大臣


●そして国の備蓄米を供出しているのに下がることのない米の価格、これからの参議院選挙を意識しての「消費税減税」等「今日明日をどうするのか」の手段」議論だけの国会での連日の動き・・・。「その手段」を使って「日本をどんな国にしていくのか」の議論そして国民への提示がない「目的が明示されていない」のです。

                              
                 挿絵は田中拓馬画伯 画


●「10年後20年後・・50年後の日本をどんな国にしていくのか」(=目的)のデザインがしっかりとあって「そのために何をしていくのか」(=手段)の「本来の国会の動き」が全く感じられることなく、報道されてくるのは{「目的不明の『手段』だけ」、言い切ってしまうと受け狙いの「目先の施策」のみ・・・・・。
 

●そんな今の日本の日常から嘗て私が組織に所属していた時に自分自身そして仲間の人たちにお願いしていたひとり一人が「二つのじりつ」をしていこうと動き続けていたことを想いだしています。

●国会の先生方だけでなく日本人全員ひとり一人が「二つのじりつ」の「こうどう=考動(私の造語です)を重ねていくことで日本を変えていきたい変えていかないと・・・と素直に感じています。

  今回はそれを改めてブログ掲載といたします。

 

 

 

           いつの間にか

       とてつもなく多くのひとたちが

   「自分が何をするのか」「自分は何ができるのか」

          自分に問いかける前に

    「他人が何をしてくれるのか」

    問いかけることがあたりまえになってしまった

            寂しい国、日本。

 

     日本を「まともな」国にしていくために

        何が必要なのでしょうか。

                   

    こんな問いに対する私の答え・私の想いは

       『ふたつの「じりつ」』

 

    日本人ひとり一人が『自律』そして『自立

    このふたつの「じりつ」にこだわって

            ひとり一人が

  自分自身の「こうどう(=考動)」を変えていくことで

      日本と言う国を、日本と言う組織を

         変えていくことができる、

          はそう想います

 

     嫌な、辛い、悲しい状況にあるときに

    「あいつが悪い」「上司が悪い」「社会が悪い」

         「政府が悪い」・・・・・・

 

  自分以外にその原因をみつけだそうとする
       動きでは

       「今を変えていくこと」はできません。

 

         変化への入り口、

      それはものすごく単純なのです。

      

                 挿絵は田中拓馬画伯 画

          組織のひとり一人が
自分に(も)原因がある、責任がある」と思い「自分自身にその原因をみつけること

        だと 私は想い続けています。

 

   自分からその相手に語りかけの動きをとっていない、

       それが「その人の原因」なのです。

 

      必ず「自分にも責任あり」なんです。

 

             そして

        自分に原因を見つけだせれば、

            後は簡単です。

 

  その瞬間から「自分の言動を変えていけばいい」のです。

      自ら自分の言動を『律し』
自らの動き(=こうどう=考え動く=考動)で
 自らの「人生」を形成していく(=自立)  

 

  本来は「あたりまえ」のことなのではないでしょうか。

 

    身体と頭そして何よりも心に
   沢山の「汗」をかいて働くことを

 認め合い、称えあい、そして報いあう国、

      日本でありたい

        と強く強く想います。

 

   「身体・頭・心に汗かかずに『らく(楽)』して

       金儲けをする人たちを称賛するような風潮」、

     「らく(楽)してお金を得る願望」から

        早くみんなで、ひとり一人が脱却して

    「あたりまえの人間の集まりの国、日本」にしていきたい

 

        本気でそう想い続けています。

 

      いつのころからなのでしょうか、

   日本人が日本人らしさにんげんらしさ

  どこかに置き忘れてきてしまったのは・・・・。

 

      たぶん、一億総中流と言われ

   一人ひとりもそう感じてしまったころから・・。

 

         朝から夜中まで

     身体中、汗まみれにならなくとも

         自分が、家族が

       ちゃんと生きていける、

 そんな感覚になってしまった時から、なんだと思います。

 

   世のなかに「3K(きつい・汚い・危険)嫌悪感」

  漂い始めた時と一致、しているのかな、とも思います。

 

    ものすごく単純、あたりまえのことなんです。

 

     一生懸命になっている人には

「大丈夫ですか」「何か手伝えることは」と

      人は声をかけます。
      
                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

       何もしないで

      寝転がっている人に

人間は同じような動きをするのでしょうか?

 

  そんな人が多くなってきたのに連れて

    日本人は「らしさ」喪失と共に

 助け助けられ、の想いも置き忘れてきて  

       しまっています

          

          私はそう感じています。

 

      日本人らしさ・人間らしさ

    取り戻そうよ、早く!!!!

    取り戻せるよ、今なら・・・

 

 

   今回も最終行までお目を進めていただきまして

         ありがとうございます。

      本当にいつのころからなのでしょうか、

     日本人が日本人らしさ、にんげんらしさを

     どこかに置き忘れてきてしまったのは・・・・。

      忘れてしまっていることですから

      想いだせば、「あっ」と感じられれば

       すぐに取り戻せる動きはできる

     そう想いますし、そう信じたいと感じています。       

   にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)

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<<ブログ350>>

  さくら桜🌸が気づかせて教えてくれた
      「組織」のありかた

     ~私の変わらない想い~ 老爺 入道

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      今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

                           世界への羽ばたきを重ねておられる
                               私とちょっとだけ?歳の離れた友達

         画家の田中拓馬さん
  ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

        拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。
 

  田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

        http://tanakatakuma.co

               https://ttakuma.thebase.in/
                   http://www.takumatanaka.info

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さくらの花は日本人に冬から春への季節の移り変わりを報せ、

人の心に不思議な変化(活動への転換?)を与えてくれる花

だとも感じていますが、私はこの花に「組織」(会社・会社組織・地域・社会・・)のあり方を気付かせてもらい、以来40年以上にわたり自分の組織に対する「想い」とし続けています。

   桜前線が北日本に移っている今、「その想い」を
       改めてブログといたします

                             
                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

さくらの花の美しさは「集合の美しさ

 

●さくらのひとつひとつのはなびらが5枚集まり

ひとつの『』をかたちづくり

その『」がたくさん集まって

一本の「さくらの樹」の美しさをかたちづくる

そして

多くの「さくらの樹」が集まって

春の訪れを待ちわびていた

ひとびとのこころに

あたたかさと嬉しさそして喜びを

かくれんぼしていた「春」まっさかりを

報せてくれる

 

さくらの花の美しさ集合の美しさ
      
                挿絵は田中拓馬画伯 画

 

ひとつの花は五枚のはなびらで形作られ

 その五枚のはなびらをもった

 ひとつひとつの「花」が

 ど、どど~んと集まって一本の樹になり

 うつくさしをさらに引き立てていく

 

おたがいの存在によって、おたがいのうつくしさをおたがいに増幅しあう・・・・・・・・

 それがさくらのもつうつくしさ

 

ひとつひとつの事柄を大切に

      そして

 ひとりひとりのにんげんを大切に

ひとりひとりの「個性」「らしさ」を大切に

 

ひとりひとりのにんげん集まって

会社だったら例えば「」という組織を形成し

課がいくつか集まって」がなりたっていく

部の集合部門となり

部門の集合が「会社」となる

 

はじまりは「ひとりひとりのにんげん」

 

組織が先にある、のでは決してない。

 

組織の基本は『ひとりひとりの個人

『ひとりひとりのに・ん・げ・ん』
      
               挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●この組織の基本、

組織のあたりまえ・原点に立ち還り

いつもいつもこの組織の基本・原点を失念することなく

 ひとりひとりのにんげんとひとつひとつのことがらを

       徹底的に大切にした

     「組織運営」をしていきたい」
私はいつもと想います。

 

●そして

例えば年度初め、月の初め、一日の初め

いつもスタート、「これから」の心で

みんなで確認しあいたいと思います

 

「今、確かに花は咲いている

   ただし、明日も咲かなければ

    今日の開花は一瞬だけのもの

 

●    継続的に、永続的に組織として

    たくさんのひとたちの心を和ませ、

   明るく楽しく活き活きとなっていただく

    うつくしい花を咲かせ続けていく

 
●そのために・・・・

 私たちは「今、何をしていったらいいのか」を

 ひとりひとりが考え考えたら行動するように
      していこう

 

花を咲かせ続けていくためには

今の満開にこころのすべてを奪われるのではなく

今、この満開の時にこそ次に咲かせる花のために

土をたがやし、新しい種をまき水もあげなければ

 

組織としてのにんげんには

  みんな同じ役割なんではなく

    さまざまな役割があることを

 ひとりひとりの「らしさ」を発揮していく
 
ことがとっても大切なんだということを

     決して忘れてはいけない

 

みんなおんなじ花びらだけでは

    さくらの樹の美しさは形作られない
       
                  挿絵は田中拓馬画伯 画

 

があってもあって、はなびらを支える花弁もある

     そして

葉っぱ次の開花のためには必要不可欠

 

はなびらだけでなく、み~んな集まって

      それが組織なんです

 

開花時期のナンバーワン

はなびらが散り始めた時に開花する

おそざきナンバーワン・・・

花のおおきさのナンバーワン

花を支える花弁のナンバーワン

枝のつよさのナンバーワン

はっぱのおおきさナンバーワン・・・・

 

み~んなをささえる土に埋もれて見えない

けれども必要不可欠な「根っこ

根っこがなければ

み~んなかれてしまう・・・

 

●でもさくらを見に来た人には

「根っこ」をみようなんて人はいない・・
 

役職者、私はこの「根っこ」でありたい

みんなを支える「根っこ」になりたい

素直にそう想う

 

組織を形成するにんげん

みんなおなじなのではなく

ひとりひとりちがう「個性」=「らしさ」を

もったにんげんであることをけっして忘れてはだめだ

 

組織には

いろんな異なる「らしさ」=「個性」をもつ

「に・ん・げ・ん」が必要不可欠であることを

絶対に忘れてはならない

心からそう想います。
      
                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●組織としていつも自己問答をつづけよう

 

今、花はさいている

  でも、『明日咲かせる種」を

     今日、撒いているのか」

 

いろんなことがあり

        いろんなひとがいる

   いろんな課題に対して いろんな人の

      それぞれの個性「らしさ」を結集することで

「事前対処」していく、していける

      だから組織が、たから会社が

         だから仕事が

      オモシロイんだと想うのです

 

●組織のひとりひとりは

「はなびら」だけではありません

みんなはなびらだけだったら

組織は維持できません

 

さくらの樹を思い浮かべてください

 

土壌」があり、「」があり

「幹」があり、「葉っぱ」があり、

そして「」がある

更に「オシベ」もあれば「メシベ」もある

 ・・・・・・・・・・

 

●たくさんのハナビラが集まって

「さくらの美しさ」を形成しているのも

 事実なのではある、のですが

それだけではまだまだ表面的すぎます

 

さくらのハナビラだけでは同じ種類の仕事を

 しているひとだけ、であり、
   そのハナビラの
仕事がきちんと
  果たせるように
「支えている」

 「根っこ」とか「幹」「枝」とかの働き
 の要素が抜け落ちている、のです
      
                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●そして更に私がなりたいと書いた「根っこ」にも

本根」と「枝根」の存在があります

 

●また、次の花を咲かせるためには

 人々が「花」に対してほどの気を寄せない

 「葉っぱ」の果たす役割はとっても重要なもの・・

 

●だから

組織を考えるとき、私は

例えば10人の組織ならば

10人それぞれがそれぞれの部分で

ナンバーワンであって欲しいと想います

10が100になろうと1000になろうと

10000になろうと私のその想いは変わりません

 

みんなが美しいハナビラであっては

決して『きれいなさくらの花』にはなれません、なりえません

 

葉っぱの大きさナンバーワン

緑の濃さでナンバーワン

枝の多さのナンバーワン

根っこの張り方ナンバーワン

そして

隣樹との共生度合ナンバーワン

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 

いろんな部分でのナンバーワンが集まって

そしてそれぞれが「調和」していてこそ

ナンバーワンの美しさを誇れる

さくらの樹になれるのだと想います

 

●改めて「こだわり」たいと思います

 

自分とは違うたくさんの人たちがいることは

あたりまえのこと、であり『組織として好ましい状態である」ことに。

 

私=根っこみんなを支え、たくさんの人たち(お客さま=さくらを観にこられる人たち)に笑顔のご提供ができる方向性を発信し、樹木全体、みんなで共感・共有していく、その動きを重ねていきたいと想います

     今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

        ありがとうございます。
         組織のマネジャーとなった28歳の時
                     (今からですと何と48年前!!!)に

    組織ってなんなのだろう、組織にとって大切なものとは?

                           色々と考え悩んでいた時に

私の心にポッと想いを浮かび上がらせてくれた「満開の桜花」

         その時に気づかされて、たどり着いて

      そのあと今日に至るまで

    ずっと変わらない私の想い、です

      ありがとうございます。

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

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<<ブログ 349>>

 

    4月新年度のスタート月

    入社式そして入学式等など

       今の時期に

    いつも変わらず想うこと

          ⇩   ⇩

     新年度の始まり
       それは

    4月の新しい出逢い

   新しい人たちだけでなく
   「みんな」今日から一年生

   ~変わらない私の想い~   老爺 入道

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    今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

                      世界への羽ばたきを重ねておられる
                        私とちょっとだけ?歳の離れた友達

         画家の田中拓馬さん
  ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

        拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。
 

  田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

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4月1日は各社での入社式そして間もなく小中学校等の入学式。

もう45年以上の長い期間となりますが毎年この時期になると
必ず自分の心に想い浮かんでくることがあります。

その私の想いは4月は新しい出逢い、みんな今日から一年生
となるでしょうか。

今回はその「想い」をブログに記していきたいと思います。

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    ♪♪いちねんせいになったら 

   いちねんせいになったら

   ともだちひゃくにんできるかな

   ひゃくにんでたべたいな

   ふじさんのうえで

   おにぎりを

   ぱっくんぱっくんぱっくんと

               (まどみちお作詞・山本直純作曲)

●新しい仲間がはいってくる 新しい仲間がやってくる

 一年生が入ってくる  一年生がやってくる

 大きな希望と  新鮮さと不安を携えて

 新しい仲間が

 大勢の新しい仲間がやってくる

 

●そして

 昨日までの新人は 今日からは二年生

 今までの二年生は 今日からは三年生

 

                   
                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●でも、ちょっと考えてみませんか
 
 マネジャーのみなさんそして先輩のみなさんは

 新人のみなさんだけに 新しさを要求していませんか

 つい昨日まで新人だった貴方

 あなたに新しさはいらないのでしょうか

 

新人のみなさんだけが 新鮮さを要求されている

 新人のみなさんにだけ新鮮さを要求しているような

 雰囲気を感じてしまいます

 

●思いだしてみてくださいませんか

 あなたが「一年生」だった時のこと

 入社当時のことでもいいですし

 小学校入学のときのことでもかまいません

 

●何かに対して

 あなたが「一年生」であった時の

   そのときの あなたの心、
        あなたの気持ちを

 

緊張感があった、と思います

 その緊張感は期待と不安

   その二文字が交り合った
      なんとも言えない
緊張感

 であったと思いますがいかがでしょうか

      

 

なぜ、「一年生」には緊張感があるのでしょうか

 それは、希望・夢・新たな目的をもてるから

 それは、未体験ゾーンに入りこむに対しての
 期待そして不安

 

★いままでと比べて生活範囲が拡がるから

 交際範囲が拡がるから

 考えることの範囲が大きくなり

 知らないことが体験できる、と思うから

 

●何なのだろうでしょうか、その

 それは それは

 それは「新しい出逢い」

 

 新しいとの出逢い

 新しい責任との出逢い

 新しい知識との出逢い

 新しい仕事との出逢い

 新しい失敗との出逢い・・・ 

 

●それでは新しい」とは一体なんなのでしょうか

 それは

 自分が今まで体験したことのないこと

 それをまとめて「新しい」と言う言葉に

 集約しているのだと私は思います

 

学校生活では一年一年「新しい出逢い」が

 与えられます

 でも ビジネスの世界、会社での二年目からは

 自分から創りださねばなりません

 

自分で常に新しい拡がり、新しい出逢いを

 創りだす動きをしていかなければ

 きっとあなたはずっと二年生のまま

 終わってしまうかも知れません

 

一年生から二年生には必ずなれると思います
                        

               挿絵は田中拓馬画伯 画

 
★学生から社会人

 社会人の一年生と二年生は

 ずいぶんと違います

 でも

 問題はそのあと

 二年生が三年生に

 三年生が四年生に

 ただ年次を積み上げた数ではなくて

 三年生「らしく」、四年生「らしく」なるには

 いったいどうしたらいいのでしょうか

 

◆最初に書いた童謡(いちねんせいになったら)

 「答え」があります
 そう、です。

  ○○○○になったら✕✕✕✕できるかな
 なんです。

 

自分自身で新しい課題をみつけ

 その課題(自己仮説?)の上で

 毎年、「一年生」になることだと私は思います

       
                挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●意識して持ち続けたいと思います

 今日から明日につなげるために

 豊かな活き活きとした満足の一日を重ね

 年齢を重ねていくために

 

何を?持ち続ける???

 

●それは「新しい出逢い
 

◆「新しい出逢い」それは「自らの機会創造」から

 産まれてきます。

 

●「新しい出逢い」を毎年毎年きちんと意識しませんか

 新年度、新しい仲間を迎えるときに

 そのときにあなたも再び「一年生」になる

 「一年生」になれるのではないでしょぅか

 

●再び、自分に問いかけてくださいませんか

 

 ねぇ、あなた!あなた、今フレッシュな心にありますか 

 新鮮な期待と不安の入り混じった

 不可思議な緊張感をもたれていますか

 

●意識して持ち続けてたいと思います

 昨日を今日につなげるために

 そして

 今日を明日につなげるために

 活き活きと楽しい満足の一日をくりかえし

 満足の年輪を刻んでいくために

 

●何を?持ち続けていくのでしょうか?
 

◆私はそれを5つの豊かさとして自分自身に投げかけていました。

         「豊富な常識

      「豊かな体験

      「あふれる感性

      「豊かな創造性

      「豊かな人間関係 

    

この5つの「豊かさ」を意識して持ち続けていきたいと思います

 

●この5つの「豊かさ」が、きっと働きがい

     そして「生きがい」の源泉なのだと思います

 仕事が楽しくなる、人生が楽しくなる

 仕事を楽しくする、人生を楽しくする源泉なのだと思います

 

●では、の5つの豊かさの根底は何なのでしょうか

 それはきっと感性なのだと私は思い続けています

 

感性は「相手の心の状態を感じ取れる

これが私の変わらない想いです。

 

 常に動いている、刻々と変化している

 相手の人の心を

 感じ取ることのできる自分の心の動き
 だと思います

 

感性は「」そして「おもいやり」から
 生まれ

    それが常識を豊かにし

    新しい行動をさらに促し

    創造性を高め、そして

    豊かな人間関係(ヒューマンネット  

    ワーク)を

    自然と育てていくものだと思います

 

感性は人間力
 

 みんな誰でももっています

 でも

 みんな共通に持ってはいますが

 使う度合いによって

 育ち方がちがうもの、そう思います

 

使えば使うほどゆたかになる

 そんな便利なものが

 感性そしてのチカラ

 

●にんげんの脳の完熟の段階は次のようになるらしい、です
 

   0才~ 3才  自然のままを素直に受け止める段階

   4才~10才  訓練すると伸びる段階

11才~20才以上  意欲と訓練があって伸びる段階

 

●私たちが脳のチカラ(私は勝手に『脳力』としています)を高めようとするならば

 上の成長段階にあてはめるならば

 意欲必要不可欠な条件となります

 

知性」と「感性

 このふたつをつかさどる機能

 私たちは生まれた時から共通にもっています

 右脳と左脳

 よく使われていることばです

 感性は右脳、感性は直感

 知性は左脳、知性は論理

 

感性と知性、この両面で物事をみていくこと
 を習慣にしませんか

    単一思考から双極思考へ

   モノボラーシンキングからデュアルシンキングへ

 分自身を変革させてみませんか

 

新年度は感性を高めながら知性型の部分を高めていく動きを

 今一度してみようかな、と思います

 

●そして、もう一段、今と違う自分を求めていきたいと思います

 

●だから76歳になってはいるけれども

       私は今日から一年生

 期待と不安を抱いて一日を重ねていこうと思います

 

「自分の範囲を拡げる」ことによって

 「自分自身を新しい出発点におく」ことによって

 みんな誰でも一年生になることができるのだと思います

      
                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●範囲を大きくし、視野を視点を変えることによって

 自分自身を変えてみませんか

 一段上の「自分創造」にチャレンジしてみましょう

 

日本国中、今日からみんな一年生

 

●全員がそう想い、そう考え、そう行動することによって

 新しい組織・新い会社・新い社会」を創造していくことにきっとつながっていく

 そうに信じています

 

変えて行く入り口は「自分を変えること」

「自分が変わること」なのです

 

   ♪♪いちねんせいになったら

      いちねんせいになったら

      ともだちひゃくにんできるかな

      ひゃくにんでかけたいな

      にっぽんじゅをひとまわり

      とっしんどっしんどっしんと♪♪

          (まどみちお作詞・山本直純作曲)

 

             今回も、

    最終行にまで目を、そして心を進めていだたきまして

         ありがとうございます。

            感謝、です。 
        「いちねんせいになったら」
      ひとつの童謡から、大人になって

      仕事をしていく時、生きていく時の
       とてつもない大きなヒントを
          いただきました。
            感謝です。   

  にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 老爺 入道(夫)

 

テーマ:

(ブログ 348)

   私がもう30年以上使い続けている

      ちょっと長いメール「署名」

     こうしてできました

       

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       今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

                      世界への羽ばたきを重ねておられる
                        私とちょっとだけ?歳の離れた友達

           画家の田中拓馬さん
    ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

     拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。
     

    田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

        http://tanakatakuma.com

               https://ttakuma.thebase.in/
                   http://www.takumatanaka.info
              

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★2025年2月16日にフェイスブックに投稿させていただいた私のちょっと長いメール署名⇩に対してすごい数のメール・メッセージ(もう少し説明してとか、背景はとか)がありましたので今回このブログで回答とさせていただければと思います。

      

 

●私のちょっと長いメール署名は今からだと37年ほど前、永い長い悶々としていた時にふっと心に浮かびあがったものでした。何に悶々としていたのか・・・・それは「会社」って何なのか、「組織」って何なのかについてでした。自分なりの答えに行き着いた(⇩)時に同時に今の長いメール署名もできあがりました。

 組織=二人以上の人の集まり・群れ(私の勝手な定義)で

  生きていく時に大切な3つのお約束+1               

●この組織で生きていく時に大切にしたい「3つのお約束+1とは・・・これも難しくありません。社会のあたりまえから考えるとすぐに浮かび上がってくることです。

 うそはつかない、しょうじきに

 ②やくそくはかならずまもる

 ③たすけあう

そして+1は・・・これもあたりまえのことです。

 

  大人(先輩者・役職者・経験者・・)率先垂範

 

       

この「3つのお約束+1」に行き着く時に自分の心の中でまとめて文章があります。
 そしてそれが今も使っている私の「メール署名」の基となっています。
      

●その心の中での自分の自己問答、手元に残っていますので記していきたいと思います。

 

◆想い形成の入り口はいたって簡単。

◆ふっとした時に「自分の心に浮かんだ疑問」に対しての自分の回答でした。

   人間って何が違うのか

  ・きると生活は何が違うのか

  ・社会って何なのか

そんな自分への質問に対しての自分の回答が次のような文章でした。少し長いですが記していきます。

  ヒトはひとりじゃ生きてはいけない弱い弱い動物

   みんなで一緒にいることできていけることを

   知っている弱い動物

   だから

   ヒトって動物は群れ・集団を形作って

   生きていく

   ヒトと言う弱い動物が生きていくために

   形作る群れ・集団

   それが社会

   そして

   社会、みんながいることで安心して

   生きていける

   この安心して生きていける状態のことを

   きっと生活っていうんだと思います

   だから

   社会での生活のあたりまえは

   ちっとも難しくなんかない

 

   ひとりひとりができることを出し合って

  できることを組み合わせて

  助けあって生きていく

   これだけなんだと思うのです

 

   そして

   社会と言うヒトが形作った群れ・集団の中で

   生活していくヒトのことを

   にんげんって言うのだと

   私は思い続けています

   にんげん人間

   ヒトとヒトの間で自分が生きていく

   助けあって

   時に助けてもらい、時に助けて

   生きていく

   信頼でお互いが繋がっている、と

   言い換えてもいいのかな、とも思います

      

                  挿絵は田中拓馬画伯 画

   でも

   いつのまにか「人間は強くなけりゃいけない

   そして

   「賢さとか腕力とかお金をたくさんもっている」とかで

   人間をランク付けしちゃうような

   「ものさし」ができあがっているんです

 

   できることを探し出すのではなく

   「できないこと」を見つけ出すような

   「できないこと」を「お前できていないじゃないか」

   と指摘するような

   変な社会にいつの間にかなってきちゃっているように

   私は感じるのです

 

   こんなランクはいりませんよね

   「自分以外の人たちを助けていくために

   私はこんなことができます」一覧に変えちゃえば

   いいのにな、と思うのです

   そして

   ひとりひとりが「自分のできることをひとつずつ」

   増やしていく

   そんな状態になっていけばいい

   それが教育だし育成なんだとも思います

 

   大人でも子供でも

   普通のヒトでも障がいをもたれたヒトでも

   み~んなみ~んな「できること」を

   もっているんです

 

   そして 

   その人のできないことを

   自分のできることで助け合ってみ~んなで生きていく

   これが生活なのではと思います

 

          会社も同じなんです

         会社はたくさんの人たちの集まりなんだから

         会社も社会

         会社はどうしてたくさんの人たちを集めているのか

         簡単、単純なんだと思います

                ひとりじゃできないこともたくさんの

                そして

                同じような人たちではなくて

                違う人たち、できることが異なる人たちが

                集まっていれば

                単純、対応力の強いいい会社になる

                          そう想うのでr

 

       だから

     採用活動は「この人はどんなことができる人なのか」、 
  「どんなことで助けてもら
えそうかな」、これを感じ取るこ
  となんだ 
と私はずっと想い続けやり続けてきています。

     だから私の想いでは

     採ってやる、採用してやる、こんな考え方はありえません

 

     自分たちの会社の明日を創造していく動きを

     助けてもらうために

     仲間に加わってもらうこれが採用なのでは

 

ヒトと言う弱い動物が形作る群れ・集団、社会で生活していくために私はこの「3つのお約束+1」が必要だと思っています。 

★難しくはありません。優しくそして易しくシンプルでいいと思います。

 

●最初のお約束、お約束①

「うそはつかない、正直に」

助け助けられの入り口なんだと思います

 

●できること、できないこと、自分でやれるからだいじょうぶ、自分ではできないから助けて欲しいところはこんなこと等々徹底的に正直にしていけばいいと思います

●立場とか会社であれば役職とか肩書きで自分自身を見失わないでいつも自分の等身大をきちんと認識してその自身の等身大をみんなの力借りながらでもちょつとずつ拡げていけばいいんだと思います

肩書きで自分にうそついちゃいけないんです

 

●正直に言えばうそはつかない、じゃなくて、なるべくうそはつかないようにしよう、かなです。

 ヒトは誰でもちっちゃな嘘はつくのかも・・・時にうそも方便なんて言葉があるのですから。

●でも他人の心を傷つけてしまうようなうそは絶対についてはダメ

●他人に対して以前に徹底的に自分に正直でありたい、そう思います。

●次の
お約束②はうそとも大きな関連ありで正に「約束」に関してのことです

「約束は必ず守る、できない約束はしない」

  約束って守らなかったら「うそ」になっちゃいます。

 

約束当事者の間での決め事

単純です

自分を守るために相手をダマしちゃいけないんです

 

●だから、できない、できそうもない約束はしない

その時に「ごめんなさい」のことばを

口にしておけば後々、自分をしんどくすることはありません

そして

相手の方にも後々大きな迷惑をかけことにはなりません

      

            挿絵は田中拓馬画伯 画

●いろいろなルールが社会にはあります

 

ルールはみ~んなのお約束

よく不文律なんて言われるけれどルールはいつも見直していくことが大切なんだと私は思います。

 

●だって、そのルールを創った時と今ではいろんな意味合いで異なるのですから。

   変える勇気をいつも持っていたいと想うのです

 

変える勇気なくルールを創るなんてとってもおかしいと思います。そう想いませんか

 

★その場しのぎ、その瞬間の自分を守るために思わず口にしてしまう「頑張ります」「考えてみます」「できそうです・・」

   これは「うそ」、やめた方がいいです

 

●後ですごく自分が苦しくなります、なっちゃいます。

 

①うそはつかない・正直に②約束は守る、できない約束はしない

●この二つは他人に対してと同時に、自分自身に対してとしていかないといけないことです

 

●そして3つめのお約束は「助け合う」です。

  

●助けあうとは助け助けられの状態になることです。

 

ヒトは1人じゃできないことだらけ、これがあたりまえなんだからいつも誰かに助けてもらって生きていくのが「あたりまえ」なのです。

●このあたりまえのことを心にいつもそして「自分も誰かの助けになっている」他人から「ありがとう」のことばをいただける動きをしていくこと、これができていてはじめて助け合うが実現できるのです。

 

●できたなら助けられる」よりも「助ける」がちょっとでも大きい状況にし続けていきたいなと思います

●借りよりも貸しの方が多い自分の人生この世とサヨナラする時には貸し>借りで終わりたい私の想いです

 

●助けあうはお互いに力を貸しあうこと。だから「できること」「できないこと」を解っていないといけません。

 

●ヒトって「他人のできないこと」を

   探し過ぎなんじゃないのかな と感じます。

 

できないことじゃなくて「できること」を探し、見つけ出し発見していけばいいのに。

 

●ちょっと英語(正しい、正しくないは問わないで雰囲気的に?感じてください)で表します。

 

   I Can not   But  We Can

  

   ひとりじゃできないこともみんなとならできる

       WeはたくさんのIの集まり  by 入道

 

●これが組織なんだと思います。これが社会なんだと思うのです

●そのために人は群れを、集団を形作っているんです。

 

●会社・社会・・・組織。

難しくで考えないで優しく易しくで感じ取っていきたいな、と本気で想い続けやり続けてきています

たくさんの異なる人たちの集まりが社会であり組織なんですから

 

★次に「+1」

 

「大人率先垂範」と言うことです。

大人とは年齢的に、経験的に、あるいは役職的に・・組織の上にいるひとたち」のことと私は考えています。

★この人たちが響きのいい?指導的・命令的な言葉をたくさん、しかも何度も投げかける以前に、特に嫌な状況とかつらい状態の時に大人が偉そうに?口にすることをちゃんと率先して汗流して先んじて「考動(こうどう:私の造語です)していたらきっと投げかける言葉なんていらない、んです

★大人の言動を見て、みんな心に感じてきっと自分から変化に挑戦していく、ヒトってそうなんだと信じているのですがどうでしょうか

 

肩書きじゃ他人の心は動かせないし動かないんです。

★肩書きよりもその人あり、なんですよね

★これもあたりまえのことなのでは

      

               挿絵は田中拓馬画伯 画     

 

      今回も最終行までお眼をお進めいただきまして

            ありがとうございます。
      

 

      頭(=かしこさ)から心(=やさしさ)への転換

     世界の人たちがすごいな、あんな国にしていきたいな

         そんな日本にしていくためにも

       大人の心の変革が必要な時にきている、と

         2025年改めて感じています。

 

             私も大人の一人。

           きちんとできることで

          役割をはたしていきたいと

           想いを新たにしています。

 

           ありがとうございます。

    にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 老爺 入道(入村 道夫)

テーマ:

<<ブログ 347>>

       こうどう(=考動=考え動く)のための

        そして

   組織で仕事をしていくための心得
        春の七草ダジャレ編

       ~私の変わらない想い~  入道

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今回のブログ内容は毎年掲載させていただいているものでもありますので
     
いつもご厚意で素敵な挿絵を画いてくださっている

         私のちょっとだけ歳の離れた友達

   秋葉原のスタジオを基地として世界への羽ばたきをされている

    画家の田中拓馬さんへ今回、挿絵のお願いをすることは

          私の判断で差し控えました。 

        拓馬さん、ご理解をお願いいたします。  

               そして 
    拓馬さんの挿絵を楽しみにされておられるみなさまご理解を。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●新年明けて本日1月7日七草粥の日。


●我が家でも今夜、奈良の丹生川上神社下社様から送っていただいたご神饌神水で七草がゆをいただこうと思います。 
  

     

 

 

七草がゆ、この日について昔、調べたことがありました。
 

7日は五節句の一つである「人日の節句」、昔むかしの中国では1日が「鶏の日」、2日が「狗(いぬ)の日」、3日が「猪(ぶた)の日」そして4日は「羊の日」で5日は「牛の日」、6日「馬の日」とし、その日にはその日の動物を殺さないようにしていたとか。

 

●じゃあぁぁ!!??

7日人の日は人を殺さな日!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!????・・・


●なんと!!!!そうだったようです、「死刑」などはこの日には執り行わないようにしていたとか。

 

●そしてこの日(7日)には動物を使わずに、7種類の野菜=7草を入れた粥を食べる慣があり、これが日本に伝わった、と言うこと、です。                   

     
            イラスト無料biglobeより

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この春の七草ダジャレ風に使わせていただき、

 こうどう(=考動=考えそして動く、私の造語)のための心得&ジネスマンの心得~春の七草編」 ~として昔々?私が文章にしたものがあります。

 

★昔々・・・・今からですともう39年前!の1986年に想いつき、それ以来、今でも自分自身への語りとして使い続けている文章です。

 

★そして・・・・なんと!!!!
このダジャレできている私の想い1988年3月末にリクルートの取締役就任してすぐ、4月1日に日本武道館で行われた入社式(新人歓迎社員総会)の席上で武道館の舞台から新入社員のみなさんに語らせていただきました!!!!!!

 

★今思えば、そのような場で良くこんな語りをしたものだ、と感じてもいますが、それは、私の語りが終わった後、江副さんはじめ取締役のみなさんから「良かったよ」「らしいよ」と言っていただけた、そんな風土があったから・・・・と今、改めて想い出しております。

 

◇では・・文章を、ダジャレを展開していきたいと思います。

       

 

        持ち続けていきたい

こうどうのための心得&ビジネスマンの心得

     ~ダジャレ春の七草編~
                      by 入道

●せり    

                 

                                  イラスト無料biglobeより


 

     競り(セリ)合いましょう。

   同期のなかまでもいいですし、先輩・上司を
       相手にしても構いません。

     でも私の経験からして一番いいのは

   昨日の自分」と競い合うこと

         だと思います。 

 

●なずな

                             

                                      イラスト無料biglobeより

 

     現状に満足せず、常に疑問と再点検の上に

     いつも「新」にチャレンジを。

   そのためにはいつも疑問を持ち続けていく

       ことです。「ナズナ?」

 

●ごぎょう

                        

                                           イラスト無料biglobeより

 

 

 物事は簡単に、できうる限りシンプルに。

     お客さまへの説明、上司への報告・説明、

         仕事の進め方等々。

   文章化する時には、だらだらと書くことなく

  ポイント絞って「ゴギョウ(5行)」程度に

        まとめることです。

 

●はこべ

                

                                          イラスト無料biglobeより

 

   待っていてはだめです。男女の仲も仕事も同じ。
  自分から行動していくことが大切です。

  積極的に主体的に自分から足を「ハコベ」(運べ)

          なのです。

 

●ほとけのざ
                   

                      イラスト無料biglobeより  

 

   これは、新たに入社されたみなさんとこれから

     一緒の組織で仕事をされていかれる

 先輩そしてマネジャーのみなさんへの

    お願いの言葉になります。

  いつもいつも手取り・足取りでは後輩は育ちません。

 時には百獣の王のように突き放してみること

            大切です。

 「たまにはホットケノザ(放っておくのさ)」。

 

●すずな

             
                          イラスト無料biglobeより  

                

  究極、何をやるにしても生きていく時、仕事していく時、  

   最後は「にんげん対にんげん」。

 ヒューマンネットワーク、大勢の人と知り合いになることが
          とっても大切。

    貴方がヒューマンネットワークの
      中心になれ
るように
 自分の「人間性」に磨きをかけ続ける
こと

             です。

 

  そうなれば貴方の周りにいつもたくさんの人たち
     「スズナリ」(鈴なり)

 

●すずしろ

                  

                                           イラスト無料biglobeより 

 

  七草の最後になって・・すずしろ・・・これは難しい。
      ダジャレが想い浮かびませんでした・・・
            そこで

       スズシロって何?調べました。

            OKです。

 

   スズシロは「大根・ダイコン」のことでした。
           これなら簡単。

 

  私たちが「こうどう=考え動く、私の造語)」

  するときに必要な心得を示してくれています。

 

        いつも用心深くばかりならずに

       時には思い切って

   勇気を持って自分で動いてみること

    自分の動きからしか「変化」はない、のですから。

 

     そして、すぐにあきらめないように

       大胆に根気よくです。

      略すると大・根(ダイコン)

 

     今回も最終行までお目を進めていただきまして

           ありがとうございます。

 

             39年前

          私自身、悩んでいた時に
    ダジャレで自分自身に宛てて創ったものなのですが

   その後、会社のみなさんにも報せてみたりしていました

             そして・・・・

         私自身、今でも手帳に挟んで

          たまに見ているもの、です。

 

          徹底的に考え悩んでいると

          ちょっとしたことからも

        「自分自身に気づきが得られるもの」

          そんな気がいたしております。

     それがダジャレでもいいのか、と気になりますが

           「いい」としましょう。

 

      

          ありがとうございます。

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 老爺 入道

          

テーマ:

<<ブログ 346>>

 

       新しい年、間近な師走月に想うこと

             誰が何をしてくれるのかを待つのではなく

自分が何をできるのかを考えそして動くことをあたりまえに!!!!
       私の想う「あたりまえ」

 

   一人ひとりの『2つのじりつ」で

  活き活きした助け助けられの国日本に
     一人一人のできることの組み合わせで
     ~変わらない私の想い~ by 入道

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       今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

                      世界への羽ばたきを重ねておられる
                        私とちょっとだけ?歳の離れた友達
        フィリピンから戻られたばかりの

           画家の田中拓馬さん
    ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

         拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。
 

    田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

        http://tanakatakuma.com

               https://ttakuma.thebase.in/
                   http://www.takumatanaka.info

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●師走月に入り、間もなく新しい一年が始まる状況下で、ふっと2024年今年一年の出来事を報道等から振り返って・・・・
私が
会社所属時代に自分自身の課し続け、一緒に仕事をしてくれていた仲間のみなさんにもお願いし続けていたことを想いだしています。

●それがブログタイトルの

日本人、私たち一人一人が「2つの『じりつ』」をしっかりと心に置いて、考えそして動いていくことの結集があればきっと日本国と言う「組織」(二人以上の人の集まり~私の全くかわらない組織についての自己定義です)は楽しい素敵な活き活きとしたものになっていく、私の全く変わらない想いです。
      
                    挿絵は田中拓馬画伯 画

★そして・・・その動きは「トップ・上位者が率先して実行している」ことが大切なポイントだとも想い続けています。

 

日本と言う国も「組織」です。

日本と言う国を組織としてみれば、国会議員の先生方が「経営」しているのだ、と私は想います。

国会議員の先生方、しっかりと日本国と言う組織を「経営」されておられますでしょうか。

●問い詰めたいな、と正直に感じています。


企業経営では単純「反対すること」を仕事にしている役員は存在しません。

 

●仮に議論段階で反対するのであれば必ず代替案」を提示して議論してもらい・・・・議論段階ではまさにぶつかることがあっても「取締役会」で「決定」されれば・・・・

 

議論段階で反対していた取締役も決定された方針に則り、全員心を、目的を一つにして一人一人のできることを結集しての実の行動を考えそして動いていく、それが「組織の当たり前」なんだと思います。違うでしょうか。

 

日本の国会残念ですが「そうなってはいません」・・・。

★まさに「俺は、私たちは反対なんだから、賛成した人だけで実行していけよ」そしてちょっと躓いたりする「ほら見ろ!!」と失敗を喜んでいるような状況・・・・

 

「組織」としては「あり得ない」「あってはいけない」状況だと素直に感じます。

★でもザンネンですが、
それが昔からそして今の日本の国会の状況なのでは・・。

★そしてそんな動きをされている国会議員の先生方を選んだのは私たち・・・・なんですよね。

 

★しっかりと自分自身で考えての投票になっているでしょうか。

★いかがでしょうか。

 

日本・・・・・
 

いつの間にか多くの人たちが「自分が何をするのか」ではなく他人が「自分に何をしてくれるのか」で動いてしまうのがあたりまえ化してしまったような「寂しい国、日本」。

 

●まともな国、日本でなくなってきているのでは・・・。

そんな寂しい気持ちにもなってきています。

 

『まともな状態』にしていくために何が必要なのか

 

★私の想いはもう40年以上自分に課し続け、一緒に仕事していた仲間のみなさんにもお願いし続けていたふたつのじりつ』。

ふたつの「じりつ」とは・・・・

  

★それは「自立と自律」です。
       
                   挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★日本人、私たち一人ひとりが『自立』と『自律』、このふたつの言葉にこだわって自分自身の『こうどう(=考動=私の勝手な造語です』を変えていくことなんだと感じています。
       
                    挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★嫌な、つらい、悲しい状況にあるときには「あいつが悪い、あいつのせいだ」、「あの政党が悪い」、「国が、政府が悪い」で終わってしまっては絶対に「その嫌な状況を変化させていくこと」はできません。

 

変化への入り口は単純です、難しくはない、と私は想い続けています。

 

●「今の嫌な状況」になってしまっているのはなぜなのか・・・「一人一人が『自分に(も)原因をみつけることだと思います。

 

●必ず、自分にも原因がある、のです。

 

自分に原因を見つければ変化への動きは簡単です。

 

★その瞬間から『自分の「こうどう=考え動く(私の造語)」」を変えていけばいいのですから。

 

★自ら、自分の言動を律し、自らの動きで自らの人生を形成していく、本来は『あたりまえ』のことなのではないのでしょうか・・。
       
                   挿絵は田中拓馬画伯 画

 

身体そして、何よりもにたくさん汗流して働くことを認め・称え、そして報い合う、一人一人のできることの組み合わせで明るい楽しい未来を形成していく、そんな日本ありたいと思います。

 

●2024年も12月、師走月となりました。

 

●まもなく迎える新しい年は、楽して金儲けを称賛するような風潮』『楽してお金を得る願望』から脱出して「人間としての「こうどう」をあたりまえに重ねていく、自分の身体そして頭にたくさん汗をかいて何よりも心に一番たくさんの汗を流して明日への変化を続けていく、そんな動きをあたりまえにしている人間の集まりの国、日本」にしていきたい、そんな心(=信念)で新年を迎えたいな、と感じております。

 

               今回も最終行までお眼を進めていただきまして

          ありがとうございます。

 

         今の自分たちの将来よりも

       まだ生まれていない人たちも含めて

      「未来の日本・未来の日本人のために

      私たちは今から何をしていったらいいのか」

          「何ができるのか」

         そんな・想いそんな心で

       日本人一人一人が一体(一心)になって

       こうどう(=考え動く)していくことが

       とてもとても大切なのでは、との想いは

        私の心の中ではずっと変わりません。

 

          ありがとうございます。

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

   

 

         

 

 

テーマ:

<<ブログ 345>>
 

     自由民主党・立憲民主党 W党首選

  選挙運動そしてマスコミ報道から「素直に」想うこと

          ⇩    ⇩

「目的」議論無く、票集めの「手段」議論
    ばかりは絶対におかしい

      ~私の変わらない想い~ 入道

 

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       今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

                      世界への羽ばたきを重ねておられる
                        私とちょっとだけ?歳の離れた友達

           画家の田中拓馬さん
    ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

         拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。
 

    田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

        http://tanakatakuma.com

               https://ttakuma.thebase.in/
                   http://www.takumatanaka.info

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●与党の自由民主党そして野党の立憲民主党    2つの政党の「党首」選挙が「今」ほぼ同じスケジュールで行われています。

   ★自由民主党総裁選 9月12日告示 
             9月26日党員投票

     9月27日 議員投票および開票 党員投票の開票

 

           9名立候補

 

   ★立憲民主党代表選挙 9月7日告示 9月23日投開票

 

           4名立候補

 

●そして・・・・連日マスコミからの党首選の報道もなされています
 

●今回のW党首選連日、一人一人の候補者の発言をマスコミ報道で見聞きしていての私の素直な想い、それは「今回も議論の仕方、おかしいよ」と感じてなりません。

 

「おかしい」・・・・・それは今回だけでなく今までの衆議院そして参議院等の選挙からも感じ続けていることです。

日本の選挙における「公約」の提示の仕方がおかしいのかな、と昔から感じ続けていることです。

 

●今回の候補者からの発言を見聞きしていても「政治と金改革」「党改革」「雇用規制」「外交」「安全保障」「震災復興」「衆議院解散」等など言ってみればたくさんのたくさんの手段」ばかりの議論になってしまっていて、「何のためにそれをするのか」の「目的の明確な提示がなく」「目的に対しての議論がほぼない」状況だと思います。

 

      
               挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●演説する場所、集まる人たちの「受け狙い」で「さまざまな『手段~こうします、こうしたいと思います』が各候補者から提示」されていますが「何のためにそれをするのか」についての「目的」提示そして議論ありません。

 

おかしい」と言う世の中の声があるからそれをやれば受けるからそれを「やる」、そんな対応になってしまっていると感じてなりません。

 

★では、目的は何?????
      
                   挿絵は田中拓馬画伯 画

 

 『日本をどんな国にしていくのか』についての議論を入り口にして欲しいと思いますし、きっとそれが「目的」になる のだと私は思い続けています。

 

★その上でそんな国にしていく(目的)ために、何をしていくのか(手段)の議論にして欲しい・・・・。

 

目的の議論がほぼなく手段議論ばかりでは「単純に『票集め』の動きであり、「国会議員の動きとしては絶対におかしい」・・今回のW党首選でも素直にそう感じています。


★単純・・・国会議員一人一人は、そして各政党は単純表現をすれば「日本をいい国にしていくこと」を国民から委ねられているのだと私はいつも感じていますし、私自身はそう思い続けてきています。
       
                    挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★だから、選挙の時には「未来の日本構築を委ねられる人を選ぶ」と言うことがあたりまえになります。

 

でも・・・・日本の選挙においては、ほとんどの候補者からは「私は日本をこうしたい」「私は日本をこんな国にしていきす」と口にされてそれを見聞きできることは残念ですがほぼありません・・・・・・・
これでいいのでしょうか。

 

『日本人ひとり一人が日本に産まれて良かった」「日本人で良かったと心から感じる国とは「どんな国なのか』そして 日本をどんな国にしていくのか」・・・

「日本人をどんな人間の集まりとしていくのか」「日本人としての共有していきたい「想い」の根幹は何なんだろうか」「はじめに人間ありき」 ・・・・・・
ここからの議論展開なのだと思うのです。


★「目的」~日本をどんな国にしていくのか、日本人をどんな人間にしていくのか~を無視しての「手段」~地方活性・政治改革・解雇規制緩和・外交安全保障・・・・震災復興・・・・・での論争化・・・・残念ですが単純に「票集めのために動き」が「日本の選挙の動き」の重なってしまっているのだと感じてなりません。

 

★そして・・・国民に「しんどさ」を強いる動きも当然に票を失いますからほぼありません。

 

★でも・・・「目的」を達成していくためには「シンドイ想い」「辛い状況」が最初の頃にあるのは「当たり前」なのではないのでしょうか。

 

明るい楽しい活き活きとした明日の実現のために「今みんなちょっとしんどい想いを共有してください」こんな問いかけがあってもしかるべきと思いますがそんなことしたら票を失うからしない、言わない・・。

 

●寂しいですよね。そしてそれを認めてしまっているマスコミそして日本人、おかしいですよね。

 

 日本に産まれて良かった、日本に住んでいて良かったと改めて感じられる「社会」「国」にしていくために国会議員の先生方、政党だけでなく、日本国民である私たち一人一人のーの「こうどう(=考動)のためのものさし」を変えていきたい、変えていきませんか 

素直にそう感じています。
     
                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

      今回も最終行にまで眼を進めていただきまして

            ありがとうございます。

 

      連日、報道されている自民党そして立憲民主党

          二つの政党の「党首選挙」

     このW党首選からそして連日されている報道から

     私が感じていることを素直に文字にしてみました。

      

  「票集めのために「こうします」ああします」ばかり・・・・

      でも必要なのは「何のためにそれをするのか」

      「それをした先に目指すものは何か」を

 「しっかりと提示していくこと、そして議論していくこと」なのだと
             私は想います。  

   「目指す日本の状況」、「どんな日本を目指していくのか」

     「日本をどんな人間人間社会としていくのか」

         そのために何をしていくのかを
        分かりやすく国民に語り続けて欲しい

     そんな政党・国会議員そして国会であって欲しい

           心からそう感じています。

                            ありがとうございます。 

 

          にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

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<<ブログ 344>>

 

      2023年4月29日 アジア外為市場 

         1ドル=160円台 

        1990年4月以来

  34年ぶりの「円安水準」報道から改めて想うこと

 

       <<変わらない私の想い>>

  本来、為替レートは「国力」で決まるものなのでは!?

                      ⇩         ⇧

  「円高」状況でも「活き活きとしている国、日本」

   そんな「日本」を目指しての動きが大切なのでは?!

     政府として「目指す為替レート」を
      しっかりと持つべきなのでは??

     ~私の変わらない想い~   by  入道

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       今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

 世界への羽ばたきを重ねておられる私とちょっとだけ?歳の離れた友達

            画家の田中拓馬さん
    ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

         拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。

    田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

        http://tanakatakuma.com

               https://ttakuma.thebase.in/
                   http://www.takumatanaka.info

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今回の想い

  政府は「受け身」として為替に対処していくのではなく、「日本として 目指す・望ましい為替レート」を明確にして「その実現のために」「何をしてくのか」を考えそして動きとしていくことを積み重ねていくことが必要なのでは、と感じてなりません。

       
                   挿絵は田中拓馬画伯 画

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      ⇩  ⇧  ⇩  ⇧              

      ⇩  ⇧  ⇩  ⇧

★先ずは為替相場の推移をざっとまとめてみたいと思います。

 

   1949年  戦後 固定為替相場制 

                1ドル=360円

      ⇩

   1971年8月   ニクソンショック

    ⇩

   1971年12月  スミソニアン協定で 

                1ドル=308円

    ⇩

   1973年(昭和48年)4月   変動為替相場制

    

   日本の経済成長率の高さ⇒日本の「国力」の高さ

               ⇩

  固定時代の1ドル360円から120円台に大幅な円高に

 

 ★変動相場制になってからの「円高の最高」は?

 

         2011年10月31日 1ドル75円32銭

 

「円高」と「円安」とは一体どんなことなのでしょうか。

    ごめんなさい、みなさま既にご存知のことの繰り返しとなりますが以下、頭と心の整理と言うことで記すること、お許しいただければ、と思います。

 

●一般的に「円安」の時には

  ・輸入は仕入れ価格が上がり、食品やエネルギーそして輸

        入原材料が高騰する

  ・輸出は同じ販売価格でも多くの利益を得ることができる

    ⇒海外での競争力が増す

 

●そして「円高」の時には

  輸入は海外製品の価格が下がる
      ・
輸出は同じ価格だと利益は下がる

     ⇒販売競争力が下がる

 と言われていますが、改めて数字で示してみたいと思います。

 

      

              挿絵は田中拓馬画伯 画

● 2つのレートで考えてみます

     ① 1ドル=150円 →→ ② 1ドル=100円

             (円高) (①から②へ)

                                   ←←

                                     (円安)   (②から①へ)

 

●それぞれの時 <100ドルを円に換算すると>

 

  ①の時   100×150=15,000円

  ②の時  100×100=10,000円    

          ⇩     ⇩

    ☆100ドルで商品「輸入」すると・・・

  ①→② (1ドル150円から1ドル100円へ) 円高の時  

   15,000円支払って手に入れていた商品が

   10,000円で手に入れられる

 

 ②→① (1ドル100円から1ドル150円へ)  円安の時 

   10,000円で手に入れられていたのに、

        15,000円支払わなければいけない

 

    ☆100ドルで商品「輸出」すると・・・

   ①→②  (1ドル150円から1ドル100円へ) 円高の時 

   15,000円もらえていたのに

        10,000円しかもらえない

 

 ②→①  (1ドル100円から1ドル150円へ)  円安の時

          10,000円もらっていたのが

        15,000円もらえることに

 

●改めて・・・・

 ①150円から②のレート100円に変わるのが「円高」

    1ドル 150円→100円

 

●逆に②から①に代わるのが「円安」

    1ドル 100円→150円

 

●例示した「輸入」と「輸出」の二つの行動に分けて改めて記してみます。

 

  円高の時  輸入 笑顔😊顔 輸出 悲しい顔😢顔 

  円安の時  輸入 悲しい顔😢顔 輸出 笑顔😊

 

       
              挿絵は田中拓馬画伯 画

       

◆日本は「輸出」にかかわる人たち、会社だけでなく、「輸入」に関わっている人たち・会社もたくさん存在しています。

 

◆特に「エネルギー」に係わる企業の大半は原油等々「輸入」に頼っています。

 

★現実的に既に、日本の電力産業とか輸入商品・製品・食料品などを扱っている企業では「利益減」そして「かなりの幅での連続値上げ」をさぜるを得ない状況になってきてもいます。

 

★特に電気は「輸出商品・製品」を形作るに必要不可欠な原価、でもあります。値上げして輸出しても「円安」であれば・・・・なのでしょうか。

 

★でも・・・・・あたりまえですが、一般家庭など「輸出価格に転嫁できない」電気あるいはガソリン等消費は当然に『値上げを受け入れるだけ』となってしまいます。

 

★国内販売の商品・製品の価格もアップしていくことになってきます。

 

「値上げ」は「価格を上げること」ですので単純に「脱デフレ」とはなるのでが、高くなった電気、あるいは、高くなった商品を購入するための給料がまだあがってはいない・・

 

★やはり、「円安状況の裏」で?「悲しい顔」をしている人たちがものすごくたくさん、存在していることを心に留めておく必要がある、あたりまえにそう感じます。

 

★そして・・・日本ではこの「対応」をどうしていくのか、しっかりと示されていない、そう思います。

 

「円安」「円高」・・・・・・・あたりまえに考えた時にはどちらがいい、のでしょうか?どちらを「目指していく」のでしょうか。

 

日本が「経済的に強い国」になるということは為替はどうなる、と言うことなのかで考えてみたいと思います。

 

為替レートは本来、「国力(国の経済力)」によって決まるもの、決められていくものそうなのでは???私の変わらない「あたりまえ」の想いです。

      
                   挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●しかしながら、現実的には、通信技術とコンピュータの発展により、為替レートは本来の「国力」からかけ離れてしまった『ゲーム的交換レート』(⇒投機対象商品?)となっているように思いますが、こんな時にこそ「あたりまえ」に考えていくことが必要なのだと感じます。

 

????円安がいいのか。円高がエンダカ・・・・????

       単純に「交換レート」として考えると

 1ドル150円よりも1ドル100円の方いいのでは?           

 

       1ドル150円 → 150円で1ドルのものが買える

 

これが1ドル100円になると・・・

 

   1ドル100円 → 100円で1ドルのものが買える

               ⇩   ⇩

        150円あれば1.50ドルのものが買える

          

         円の価値があがる

 

★ 円高・円安・・・

       英語表記ではどうなるのでしょうか。

 

    円安  WEAK        円高   STRONG

        CHEAP                 HIGH

 

単純に「STRONG」(高)と「WEAK」(安)。

     「強い」と「弱い」、なんです。

 

CHEAP」と「HIGH」。
     「安い」と「高い」なんです。

 

★すごくすごく単純に考えます。

        WEAKより STRONGがいいのでは・・。

 

★本来、国として考えると国力を挙げて「円高」を求めていくものなのでは・・・・。
       そう昔から私は想い続けています。

 

日本の国力が富んでいけば「円高」になっていく、ものなのでは。

    そんな動きが自然なのでは・・と思うのです

 

◆そして、これも単純に「ドルと円の交換レート」として為替レートをみれば1ドル150円よりは1ドル100円の方が「円の価値」があがっていいのでは、なんて普通に思います。

 

 ★単純に考えます。

「円高」になれば世界通貨の「ドル」建での日本国民の資産価値は上がる、のでは。 

   ⇒日本は「ドル持ち・金持ち国家」になるのでは!?

                                 ⇩

     「日本」そして「円」の信用力が高まる

 

  (例示) ① 1ドル=150円 →②  1ドル=100円

    

     1億円のドル価値を考えてみます

 

     1ドル150円が100円の円高になった時

 

 ① 100,000,000/150=666,666ドル

             ⇩

 ② 100,000,000/100=1,000,000ドル

 

◆1ドルのものを購入するのに150円必要だったのが100円で購入できるようになった。これが1ドル=150円⇒100円の円高。

 

ドルを「国際通貨」と位置付ければ「円高」は日本は「金持ちの国になる」と言うことなのでは?とこれも単純に思うのです。

 

●でも、そうじゃない?

    「円安」を追い求めている?日本政府と日銀????
         
ナゼ??????????????

 

★直近の日本の置かれている現実から脱する、近々のための施策であれば理解できますが、
 「(目標とする・ありたい)未来のこと」を
忘れてしまってはいけない、ありたい状態を「ものさし」としていつも「現実」に対していくべき
、なのでは?と私はずっと想い続けています。
      

                   挿絵は田中拓馬画伯 画

 

政府は「受け身」的に為替に対処していくのではなく「日本として 目指す・望ましい為替レート」を明確にして「その実現のために」「何をしてくのか」を考えそして動きとしていくことを積み重ねていくことが必要なのでは、と素直に感じています。

 

 

     今回も最終行にまで眼を進めていただきまして

            ありがとうございます。

 

      30数年ぶりの「円安」報道の連続といった状況から
 改めて「円安」「円高」に対して
私が昔から想い続けている想い

「円高」「円安」どちらをめざすのかへの私の想いを改めて記してみました。

 

      報道される為替レートに一喜一憂することなく
  「目指す状況」に対して、
日本は 何を目指して何をしていくのかを
        分かりやすく国民に語り続けて欲しい

        そんな政府そして日銀であって欲しい

           心からそう感じています。

                           ありがとうございます。 

 

          にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

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<<ブログ 343>>

 

      冬、今の時期の天気予報

 「乾燥注意報」そして「波浪警報

  かんそうちゅういほう    ハロウケイホウ

    からいつも想うこと
          ⇩  ⇩
          ⇩  ⇩

   いつも自分が自分の心に発する

 「ふたつの警報」を置いておこう 

    ~私の変わらない想い~  by  入道

 

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       今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

 世界への羽ばたきを重ねておられる私とちょっとだけ?歳の離れた友達

            画家の田中拓馬さん
    ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

         拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。

    田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

        http://tanakatakuma.com

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今年も天気予報の二つの「警報」から40年以上前に自分で形成した「私の想い」を確認しています。
          改めて・・・自己確認の意味合いも込めて。

 

●新しい年になって早いもので間もなく2か月経過の状況なのですが、昨今の日本、報道から「日本人の心がまとまっていない」「日本人の心にギスギスがある」「またより一層ガリガリ(=我利我利)感が増してきているのでは」と感じています。

 

ギスギス感そしてガリガリ(我利我利)感・・・・私なりの別の表現をしますと自分勝手」「自分最優先」「自分だけがよければ」・・・・となるのかな、とも思います。

 

●ここ数年と言うかここ数十年、残念ですが日本人がより自分勝手になってきているから、何かギスギス感ガリガリ感が増してきている、ぎすぎす感ガリガリ我利我利が日本社会を覆おうとしている・・・・そんな気がしています。

 

●私は、この「心のギスギス」「ガリガリの心」一人一人の日本人の心の潤いの欠如から産まれ増殖していくのでは、とも想い続けています。

 

★そんな想いにあった私に、冬の時期の「天気予報」でヨク出てきている「2つの注意報」がもう40年以上前・・・はるか昔になりますが、私の心に一つ「ヒント」を提供してくれました。

 

★私の心に「想い形成」のヒントを提供してくれた2つの注意報」

 

★それは「乾燥注意報」「波浪警報」の2つの注意報・警報です。
       

                挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●先ずは乾燥注意報がどんな私の想い形成に連なったのか・・。

 

結論からしますと、自分の心にいつも「乾燥注意報」を持って「こうどう(考え・動く)していこう!!!!となります。

    

★冬の季節、乾燥が続くと人間の肌にもそして建物・ドアといった物にも「潤い」「湿気」がなくなってしまいます

 

潤い・湿気がなくなると「物」はどうなる、どんな状態になるのでしょうか。

 

★人間の手が家のドアの金属製の取っ手とか車のドアを開けようとすると静電気が起こります。

 

★そして・・・・乾燥している人間同士が、「人間と人間が握手する」「手と手を触れあう」時にも「静電気」は発生してしまいます

 

●多分、ほとんどの皆さんが体験されているのでは、と思います。

 

静電気は空気が乾燥することによって起こります。

 

★だ、とすると「人と人のギスギス感」「ガリガリ感」は「ひと(他人)に対する思いやり」の源泉である「心の潤い」の欠如によって発生するものなのではと私は想い続けています。
       
                  挿絵は田中拓馬画伯 画

                 

自分勝手同士の人間が接触することによって「静電気」のように、人と人の間に火花が飛んでしまう、そしてその火花でより一層、相手のことを考えなくなってしまう(=心の静電気がよりたくさん蓄積されていく)のだと思うのです。

 

〇空気が乾燥するこの季節を快適に楽しく過ごしていくために私たちは加湿器を部屋に置いて適度な湿度を保つようにしていますし、化粧品などにも乾燥肌とならない商品も多々あります。

 

●でも・・・・!!!!!!
もっともっと大切なのは
自分の心の潤い(うるおい)度をいつも保っていくこと』なのだと思います。

 

●私たち人間、ひとり一人が自分の心の潤いを常に保っているようにしていかないと人間社会はギスギス・ガリガリしたものになっていってしまいますし、殺伐さも増してしまうと思うのです。
 

二人以上の人間の集まり、それが組織(by 入道)、だから社会も組織です。
 

★その社会のルール(お約束)を無視した自分勝手(他人が泣いてもいい、自分だけが良ければ・・)な判断・動きをしないために私たちはいつも「心に潤い(=優しさ・思いやり)」を保ち続けていかなければ・・・・

 

★そしてそのためにいつも自分の心に向かって「乾燥注意報」を発し続けていきたいと思います。

 

★そして自分の心への「乾燥注意報を発し続けていくこと」の入口の動き、それはそんなに難しくはない、簡単だと想い続けています。

 

自分は他の人に対して「あいさつ」をきちんとしているか、を自問自答して挨拶していないのであればきちんと挨拶をしていくようにすればいい、と思います。
 

「こんにちは」「どうですか」「お元気ですか」「久しぶりですがお変わりありませんか」「困られていることありませんか」・・・・・・・

 

自分からするちょっとした「あいさつ」、それは相手の人の心にも潤いをもたらしていくものでもあるのです。

 

★そこで・・・二つ目の注意報になります。

 

 自分の心にいつも波浪=ハロー=警報を発していきましょう。 

       

           挿絵は田中拓馬画伯 画

●自分に対して人と人との心の潤いをよみがえらせる簡単な方法があります。

 

●それは、自分から「あいさつ」をすると言うことです。

 

自分から「あいさつ」をしているのかをいつも自問自答していきたいと思います。

 

●そのためには、いつも自分の心に「ハロー警報を出し続けていくことです。

 

●悩んで、ではなく当たり前に、自然にこんにちは。お元気ですか?=HELLO HOW ARE YOU?」とできるかどうか、これが自分の心のその時の「潤い度」を示すひとつの物差しであると思います。

 

●古い言葉?ですが挨拶は時の氏神と言う言葉があります。そして挨拶は人に合った時や別れる時に取り交わす動作であり言葉です。

 

●人間だけでなく他の動物たちも同種の仲間ときちんと交わすものでもあります。(言葉・音だけでなくにおい嗅ぎの動作もあいさつ)

 

●私は挨拶とは相手に対して「私はきちんとあなたの存在を認めていますよ」と言う気持ちを伝えるものなのでは、と感じ続けています。

 

●時に、何か気まずい状態になってしまった時に、その場を救うのもごめんなさい」の「6文字のあいさつ」なのだと思うのです。

 

●でも・・・・なかなか言えないんですよね、この「ごめんなさい」の言葉。

 

●なぜなのでしょうか。

 

知らず知らずのうちに自分を大事に、の自己本位になっちゃっているからなのではないでしょうか。

 

●だから、いつも自分に警報を出し続けていきましょうよ。

 

「あいさつしているかい?」の「ハロー警報」を!!!!!
(波浪とHELLO、ダジャレでごめんなさい)
       
              挿絵は田中拓馬画伯 画

  

乾燥注意報波浪警報

「自分の心に発し続けてきたい、乾燥注意報とハロー警報」。
 

★この二つの自分の心に対しての警報ひとり一人が自分自身の「心に対して発し続けていれば」きっと「ギスギス感のない、我利我利ガリガリ感のない、潤いのある社会・会社そして人生」になっていく

      私の変わらない想いです。

     今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
           ありがとうございます。

 

            日本・・・・
  残念ですが、嫌な、人間の心のギスギス感から起こっているような

        心の潤いの欠如から起きているような
     嫌なことが立て続けに起きているように感じています。

     二人以上の人間の集まりである「組織」(私の定義)
       家庭・隣近所・・会社・・・そして社会
       心に潤いのある人間の集まり「組織」に

       していきたい、改めてそう素直に感じています。
 

             にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

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<<ブログ342>>

 

        『派閥』って何?

  『派閥』と言う言葉から想うこと

  「排他的」集団、『派閥』は組織

   国政の世界には不要なのでは!!! 

        ~私の想い~  by入道

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       今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

 世界への羽ばたきを重ねておられる私とちょっとだけ?歳の離れた友達

            画家の田中拓馬さん
    ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

         拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。

    田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

      http://tanakatakuma.com

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 昨年末から自由民主党の「派閥でのお金」の問題が大きく取り上げられており、 年明けの国会でもこのことがたくさんのたくさんの時間を使いやりとりされています。

  ・・・パーティー収入の不正還流・・・・  
   政治と金
・・・政治資金規正・・・
    政治資金規正法を改正すべき

  ・・・連座制導入・・・などなど

 今回のブログ、
派閥のお金のことには触れることはしない「派閥」という言葉から私自身がずっと思い続けていることを以下に記していきたいと思います。

 

 

●日本人は3人集まれば派閥ができる人種である。

      かつてどこかで聞いた言葉です。
 

●そして・・・・派閥とは出身や利益を共にする人々がつくり、「他と対立する集まり」だということです。

 <派閥>  出典:デジタル大辞泉(小学館)
 

  ・出身・縁故・利害・政治的意見などで結びついた人々が形
   成する排他的な小集団
   特に、自民党などで特定の政治家のもとに結集している
   議員の集団。   

   

    <派閥>  出典:日本大百科全集<ジャポニカ>
 

  ・ある集団の中で出身、資格、利害、主張、好悪などを
   共通にする者が集団全体の動向に影響を与え
  るために形成した小集団

   特に政党内の私的な人的結合を党の合理的な意思決定、
   実際行動、人材配置を阻害するものとして派閥と呼ぶ
   のが一般的である。 
   政党の派閥は、一つの党の枠内における資金や役職
   などの利得の配分をおもな機能としており
、その点で
   分派とは違う。

                  

多数意見少数意見。
  
●多数意見「対」少数意見であるならばわかるのですが、国会 
 の動き
、そしてそれを報道するマスコミ各社の報道の在り方
 どから感ずるのは・・・もしかしたら
日本中が排他的
 な派閥社会
になってしまってきているのでは、と感じ
 たりもしていますし、単純に言うと『おかしいよ』と感じてな
 りません。

●同じ政党の中の「派閥」だけでなく同じ国会の中、としてみる
 と単純、残念ですが「政党」も『派閥』だと私は想います。

 

●そして・・・・政界に於いては政党内の派閥と所謂「党」と言う名のおおきな派閥では「排他的」と言うことに関して大きく異なっている、と想うのです。

 

政党内派閥は最終的な「党」してのところでまとまり、行動もひとつになるのですが、政界に置いての大きな派閥である(と、私は想っている) 「政党」 では本来、国会議員の職務から想うと『日本をいい国にしていく』と言う想いはたぶん「一致している」はずなのに現実の動きに置いてはそうはいきません、そうはなっていません


「国会」一つの組織体になっていない、のです。

 

★国会に於いては与野党・・・・「党」が派閥になってしまっているのです。私はそう感じています。
 
日本の明日を考え、良い国にしていく動きに於いて党を捨て去り、国会議員として一つにまとまってはいないのです・・・。

 

 

反対のための反対の積み重ねとなっています。

 

●派閥なんだから「他と対立する」ことが必要なのでしょうか?

 

●違うと想うのです。おかしいと感ずるのです。

            その「おかしいよ」の入り口はすごく単純。

 

みんな日本人なんです。みんな日本で生活している仲間なんです。


日本の明日のために」「明日の日本のために」は少なくとも共通のものさし」 を持っている、待たないといけないのでは、と想うのです。

              
                挿絵は田中拓馬画伯 画

「日本を良くしていきたい」「日本をもっといい国にしていきたい」同じ意識なのではないのでしょうか。

 

日本を国際社会の中のGood Countryにしていくと言うことでは、政界は本来的に「一致」しているはずのものだと想いますと何か、先の定義からして「排他的」を前提とする派閥が国会・政界に存在することは納得できない、正に「おかしいぞ」となるのです。
       

               挿絵は田中拓馬画伯 画

●大勢の「にんげん」がいれば意見の違い」「意見の食い違い」は絶対にあることだと思います。

 

●なぜなら一人一人の人間は異なる存在なのですから。

 

●しかし、重要なのは前記しました「Good Country」のような大きな方針が共有できているのか、掲げられている方針に共感できるのかであり、そこに行き着くまでの実現行動をどうとるのかと言うことにおいてのみ意見の食い違い」があるのであれば、むしろそれは『組織として喜ばしい状態』であるといえるのだ、と思います。
 

●昨今の政界の動きから・・・

法律各論で反対してばかりなのではなく日本と言う国をどんな国にしていきたいのか」「どんな国でありたいのかこの入り口部分をしっかりと議論して欲しい、議論するべきなんだと感じてなりません。

★そして、議論していろいろな意見交わして「国会」、組織として決定して実の動きになったら、まさに
「国会一丸」「国会議員一丸」となって、なのだと思うのです。

                  挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★『多数派と少数派』。

 

●この色分けは永続的なものではなく少し長い目でみれば「瞬間的」なものなのでは、と想います。

 

●この色分けが「絶対的」であるという人は『世の中が動いている、世の中は変化するものである』と言うあたりまえのことを忘れていると私は感じます。

 

●と、すれば今は少数意見であっても、それが多数意見となる可能性を持っている訳であり、従って、私たちが意思決定する際にはそのことをいつも心の選択肢に入れておかなければならない、とも思うのです。

 

会社組織でも同じです。同じだ、と私は想い続けています。

 

組織で必要なのは大きな方針(exこんな会社にしていきたい)の共感を大前提として、その実効策の決定にあたってはむしろその時点での少数意見を自らの意思決定にあたりきちんと確認しておくことであると思います。  

         

                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

『大きな方針の共感』『共感された大きな方針』の存在を前提としての多数意見と少数意見のGood Mixingです。

 

●くどくなりますが反対のための反対は多数派にしろ少数派にしろ、絶対にやってはいけないことなんです。

 

●なぜなら、その瞬間に「大きな方針の共感が消える」消えてしまう残るのは「自分達」だけなんですから。

 

●だから・・・・「うん???おかしいな」「へんだぞ」と感じたら、その時(少数意見の時)に大きく口にすることを全員に要求しなければいけないんだと想うのです。

 

●但し!!!!

ただ「やだよ!!」なのではなくどうして異なる視方、考え方、行動の仕方を考えるのかを決して感情100%で言うのではなく、背景と共に『代替解決策』をもきちんと理論立てて表現することが必要になります。

 

●それが組織人としての「役割」であり、それができることに『組織人としての生きがい』を感じられる時なのではないのでしょうか。

 

多数意見と少数意見とが「お互いに相乗的に機能を発揮しあう組織体」でありたいと想うのです。

 

     
                   挿絵は田中拓馬画伯 画

●そのためには・・・・・

●改めて大きなところでの心の一致点『日本を良い国にしていく』この『良い国日本』をより具体的に、箇条書きでも構わないと想います、わかっているつもりを一旦勇気をもって捨て去り、それぞれが明確にしていき、一致する「ありたい状態」を早く共有していくことである、難しく賢く(賢そうに!!)抽象的に言葉遊びで考えるのではなく優しく易しく一人ひとりの日本人の心に感じられるものにしていくこと!!!!!!!!!!!!!

 

    

   私はそう想い続けているのですがどうでしょうか。

 

     今回も最終行にまでお目を進めていただきまして

            ありがとうございます。

      これまで意識的に「政治」に関することはブログで

            触れずにきていますが          

         ここのところの国会での動きそして

      連日のマスコミ報道から「日本大丈夫なのかな」と

            感じてなりません。

              それは

        政界だけでなく、「全てにおいて排他的」

      それが今の日本であるような動きとなっている、と
           感じましたゆえに。

    「これしかない」「自分の想いと違うのは全て悪・間違い」

         昨今のマスコミの報道にも

        こんなことを感じさせる内容での

         報道が多い、と感じています。

         で、あるならばどうでしょうか、

          新聞・テレビ・雑誌・・・・

      報道する前に「自社の立場を明確に打ち出したうえで

         報道をする」ことで読者、視聴者・・・

       情報の受け手に「選択」をしてもらうことを

            するべきなのでは・・・・・。

 

             そうでないと

      たまたま読んだ新聞、視たテレビ・・・・での

       報道が「全て」と想ってしまうのですから。

 

           ありがとうございます。

   にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(村 夫)