にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ -2ページ目

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

   

    今再び「脱ジャラパゴス」!!!!と言いたい

        ~私の変わらない想い~

                    「賢さ」追求のあまり!!??
              『やさしさ』を失ってしまった?日本(人)

  「ジャラパゴス」から脱出しよう~

       頭から心への変化を!!

            

      頭=かしこさ    心=やさしさ
      (変わらない私の勝手な自己定義)

 

     11年前に同タイトルでブログ投稿していますが・・

       新しい年2023年を迎えるにあたり

      今、敢えて改めて投稿したいと思います。

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     いつもご厚意で素敵な挿絵を画いてくださっている

         私のちょっとだけ歳の離れた友達

   秋葉原のスタジオを基地として世界への羽ばたきをされている

   画家の田中拓馬さんは今、世界との新たな接点を創造するために

       長期のニューヨーク等への出張中ですので

     今回もさし絵のお願いをすることは差し控えました。

   拓馬さんの挿絵を楽しみにされておられるみなさまご理解を。
  拓馬さん、出張ミッションを一つずつ達成されますよう祈ります。

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ジャラパゴス     :    Jalapagos

       リーマンショック後の世界の変化に日本が

       取り残されてしまった状況を表した言葉

        

 

やさしさを見失ってしまった日本(人)が今のある
 意味で殺伐とした「自分だけが良ければ」の国、アメリカ
 そしてNATo等と「
歩調を合わせるの「想い」から
    どうしても「後出し」になってしまう国、
 リードするのではなく
リードされる国・日本
 なってしまったのでは、と感じてもおります。

 

●では・・・日本人が見失ってしまった(と私が感じ続けて
いる)
やさしさ」とは何?

 

●「やさしさ」。

様々な解釈があると思いますが、私は単純なところに行き着
いております。

 

●私の好きな数式化表現をしますと
『やさしさ=優しさ+易しさ』となります。

 

やさしさとは優しさと易しさ」でなりたつ
もの
だと私は勝手に解釈をしております。

 

★そしてこの「やさしさ」の源はこれまた私の表現ですと
20世紀までのものさしとなって
「賢さ」重視から
の脱却、
頭』から『心』への転換が必要なの
では、となります。

 

★私は昔から(もう35年以上?)      「頭」と書いて
     『かしこさ』と読み、「心」と書いて
           『やさしさ』
と読んでいます。
 

        頭=かしこさ

      心=やさしさ

 

     

●何事に対しても

 「頭で難しく考え続ける」のではなく

  大切なのは心で感じ続けること

だと思うのです。

 

「ジャラパゴス」と言う言葉が嘗て「流行り言葉」
になっていたことがありました。

 

★この「ジャラパゴス」の言葉。

 世界の変化から取り残された日本(ジャラパゴス)の原因は
日本(人)が
頭(=かしこさ)』重視から脱して
いない
ことにあった(ある)
のだと私は思い続けています。

 

★言葉を変えて言い切ればまだ楽して儲けること」に
凝り固まっている、もともとあたりまえの身体と頭そして
何よりも心に
「汗して働く」「汗して稼ぐ」
ことに立ち還っていない
から、なのだと思うのです。


      

●何故、日本がいわゆるリーマンショック以降の世界の変化
に取り残されてしまった
のか。

 

●様々な原因があると思いますが

 私は、『日本(自分たちだけは)だけは別』
と言った大間違いの想い込があった(いまだある)のだと

思うのです。

     

リーマンショック以前にも「変わるべき」「変えるべき」
機会は存在していました

 

     

 

★それは1990年代不動産バブルの崩壊時。


     

 

●日本全体が日本だけは大丈夫とある意味で宣言
企業そして個人も「時流に乗っていた(いる)のです。

 

●一時は東京23区の土地価格でアメリカ全土が買える
なんて報道もされていましたし、みんな「日本が世界を仕切る
んだ
」と勢いづいておりました。

 

●そしてそんな流れに乗り遅れてはいけない(=負け)と猫も
杓子も「
投機」に走っておりました。

 

★「短期間に賢く儲けることが、そんな人間が英雄?的に称え
られてもおりました(おります)。

 

●そして「いつかは自分も」となってしまっていた(いる)のです。

 

★いつかしら

 「汗水流して稼ぐのはバカ」

 「頭で短期間で大きく稼ぐのが利口」

 こんなものさしの日本になってしまっており長いしんどい
時期が続いているにもかかわらず、まだ「どうしたら楽に稼げ
るのか」「
夢よもう一度」的な想いの人間が多い、
この状態から脱していない、ここに私はジャラパゴスの言葉
誕生の原因
が存在していると考えております。

 

●だから、私は誰の責任でもない自分も含めて
「日本人全員の責任」である 思っております。

 


     

     

 

日本人一人ひとりが変わることによって
日本(社会)
を変えていかなければならない
と改めて、強く強く感じています。

 

★その「変化」のための入り口は日本人のものさしを

「頭=かしこさ」から「心=やさしさ」に

変えていくことなのだと本気で思っています。

 

 

11年前の投稿タイトルを使用しての今回のブログですが、

11年前の時にも私自身が感じていた「時流に乗ることに
心をもっていかれている日本そして日本人
」そして今、間も
なく終わる2022年、ロシア・ウクライナ問題等に関して
の「
他国と歩調を合わせることをものさしとする日本そして日本人・・・・。

 

★    時流に合わせる国」から

  「時流を創る国」

     変っていって欲しいと感じています。

 

                    今回も最終行までお目を進めていただきまして

           ありがとうございます。

         難しく賢く頭で考えこむのではなく

          優しくやさしく心で感じあう、

        ここをみんな入り口にしていきたいな、

   それが自然にできている人たちの集まり、日本であって欲しい

        今回も心からそう思っています。

          ありがとうございます。

   にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道    (村 夫)

 

<<ブログ 332>>

 

      11.21 補正予算案国会提出ニュースから想うこと 

         今の日本、楽しいですか?

         日本を楽しい国、楽しい社会としていくために

        「明日の日本」「日本をどんな国、

         どんな社会にするのか」の

      日本と言う「組織」の『未来デザイン』を

        国会の先生方そして国民全体で

  「AU」の状況にしていくことが必要

           だと想い続けています。

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       いつもご厚意で素敵な挿絵を画いてくださっている

           私のちょっとだけ歳の離れた友達

    秋葉原のスタジオを基地として世界への羽ばたきをされている

   画家の田中拓馬さんは今、世界との新たな接点を創造するために

         長期のニューヨーク出張中ですので

       さし絵のお願いをすることは差し控えました。

    拓馬さんの挿絵を楽しみにされておられるみなさまご理解を。
   拓馬さん、出張ミッションを一つずつ達成されますよう祈ります。

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●2022年11月21日 政府が28.9兆円の2022年度第2次補正予算案を国会に提出しました・・・・

 

                   

                資料は NHK NEWS WEB11.21より

 

●この補正予算・・・各報道から聞こえてくるのはコロナ・ウクライナ・ロシア・・・続いている諸物価の高騰対応など足下、今をどうするのかは聞こえてくるものの、もっと必要なもの(と私が考える)が残念ながら聞こえてこない・・・多分、議論していない・・・・のかな・・・・とも感じています。

 

●今の日本・・・何かが足りないのでは、とかなり前から感じ続けています。

 

日本人みんなが、たくさんの汗を身体と頭そして何よりも心にたくさん流し続けていくための何かが足りない・・・

 

●みんな楽しい一日を重ねているのだろうか?

 

●たくさんの日本人が「明日のために」楽しく身体と頭そして何よりも心にたくさんの汗を流す一日を重ねていないから、きっと世界の中での日本の影響力はどんどん弱まってきてもいるのでは??

 

●・・なぜ・・・

 

日本をどうしていきたいのか」「日本をどんな国に、どんな社会にしていきたいのか」、この大きなことを入り口に、「私の表現」を使わせていただくなら、「今の日本と言う国、日本と言う社会、日本と言う組織体」、たくさんの人の集まりである日本と言う大きな大きな組織に足りないものがある・・・そう感じ続けています。

 

●何が足りないのか・・・・

 

●それは日本国民の心の中の「AU」の状態が足りない日本国民で共有される「AU」の状態がデザインされていない」、私はそう感じています。

 

組織は「AU」の欠如によって崩壊する。私の昔からの変わらない「思い」です。

 

★逆に組織を構成する人たちの心=想いが「AU」の状態になっていれば組織は活き活きとなっていきます

 

★みんなで「今のしんどさ」「つらさ」の向こうに何があるのか、「何のために今の辛い想いをしてるのか」をみんなが共有している、「明日」を「どうしていきたいのか」のデザインが共有されている状態と言ってもいいと思います。

 

●繰り返します。

 

組織は「AU」の欠如によって崩壊する。崩壊していくのです。

 

「AU」は「あう」。ローマ字読みです。


●次の言葉たちの↔の左右、貴方はどちらが大事、好ましいと感じますでしょうか

           

    愛する⇔愛しあう     感じる⇔感じあう

    わかる⇔わかりあう   信じる⇔信じあう

    助ける⇔助けあう    報せる⇔報せあう

    喜ぶ ⇔喜びあう    教える⇔教えあう 

    分ける⇔分けあう    頑張る⇔頑張りあう

    励ます⇔励ましあう   学ぶ ⇔学びあう

    競う ⇔競いあう

        ・・・・・・・・・・

        ・・・・・・・・・・

 

 

★私は「右側」。『あう・AU』のついている言葉の状態を大切にして追求し続けてきています

 

●『あう・AU』の状態は必ず自分以外の「人間」の存在が必要十分条件となることからも私は、この『あう・AU』が組織の根源を表わすキーワードと想い続けておりますが、いかがでしょうか。

 

●前の言葉軍の「左」側の行動は『相手の心を無視して自分一人で勝手にできること』です。

 

★この自分ひとりでできること(たとえば愛する)『AU・あう』の二つの文字を付け加えると(愛しあう)そのとたんに、「自分一人だけではできない」「自分本位では実現できない」、相手の人も・・・となってまいります。

 

自分と相手の両者の心が同じになった時に初めて「・・・AUあう」状態となってくるのです。

 

 

「組織は『あう・AU』の欠如によって崩壊する」私の変わらない考え方です。想いです。

 

家庭、課・部・部門・・・会社、地域、そして社会も全く同じだと想うのです。

 

組織に対する私の定義「二人以上の人間の集まり」単純です。

 

●組織がいつも「あう・AU」状態にあれば多分、突発的にヤバイ(オットいけない)になったとしてもきっと組織を構成する全員の「心の結集=想いの結集」を前提とした力の結集によってそのヤバイ状態から抜け出せるはずだ、と想いますし、実際に体験もしてきています。

 

 

●そして・・・・「あう・AU」は見返りは求めないもの、だとも思います。恩ぎせはしないもの。

 

『心の合致、想いの合致』、これが「あう・AU」に必要なことだと思います。

 

★組織・・・・二人以上の人間の集まり(私の定義です)である社会を良くしていくために改めて「みんなが『あう・AU』状況を形成していく」動きに戻ればいいそう想います。

 

★組織のリーダーのみなさん、難しく賢く考え込まずに組織を構成してくれている人たちの「心」「想い」を感じとって、みんなの一日一日をどうしたら楽しい一日にしていけるのか、楽しく身体と頭そして心にたくさんの汗を流してもらうには何が必要なのか」を「心で感じ取る動き」(そのために必要なのは賢さではなく優しさ「感性」です)を重ねて欲しいと改めて想います。

 

 

       今回も最終行までお目を進めていただきまして

                ありがとうございます。

           むずかしく賢く頭で考えこむのではなく

                やさしく心で感じあう、

           ここをみんな入り口にしていきたいな、

       それが自然にできている国、日本であって欲しい

                 そう思っています。

                ありがとうございます。

        にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫 

 

    

 

 

 

<<ブログ 331>>

 

     2022年6月14日ニューヨーク外為市場  

           1ドル=135円48銭

   24年ぶりの「円安」水準報道から想うことの
 

            ②全世界を

    「欲望経済」を「生活経済」に

   もどしていくことが大切なのでは

      ~私の変わらない想い~   by  入道

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              今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

  世界への羽ばたきを重ねておられるちょっと年の離れた友達

         画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を

                             画いてくださいました。

          拓馬さん、ありがとうございます。

  田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければと思います。

     http://www.takumatanaka.info

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  前回の<<ブログ330「円安・円高」から想うこと>>の

     「続き」として②を書き始めていたのですが、

         7月2日の未明に発生した

    KDDIでの完全復旧に3日半要した「通信障害」が

         更に想いを大きくしています。

 

          為替・為替レートとは本来「国力」によって

       決められるものなのだと思います

今、為替レートは刻々と、コンマ秒単位で変化しています

      「国力の変化」は「コンマ秒」で

      きちんと把握できるのでしょうか。

   せいぜい「月一」なのでは・・・そんな素朴な?

            私の想いから・・・・・

 

★円高、円安・・・前回記した「為替レート」をややこしく?

しているのは、もはや「国力」で「為替レート」が形成され

いるのではない、ということだとも思っています。

 

★現状、為替レートは刻々と変化しています。

★元々の為替レートは「国力」と考えれば、国力がそんなに

刻々と変化するなんてことは考えられません。

 

   価格の成り立ちの「意味」が変わってしまった

            為替と株価

      (元々、本来)  為替・・・・・国力

               株価・・・・・企業力

 今は「違う」、そう想わなければ理解することはできない

 

     アナウンス効果だけで「為替レート」「株価」が

              決められている!!!

       

 今の為替レートそして株価は「誰が」「何を基準」として

             決めているのか?

     ⇩     ⇩       ⇩     ⇩

       「実業」(生活経済 by 入道) から

   ゲーム化経済(欲望経済 by入道)へ転換!!??

             
              挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●大変に妙な表現で恐縮なのですが、今の為替レート

 「投機(敢えて「投資」とは言いません)

  ゲーム」の世界の「交換レート」

になってしまっている、そう想い続けています。

 

●今更、「金の保有残高に基づくレート」なんてことを言う

つもりは全くありませんが、

正直、今の「為替レート」は誰が何を基準

  として決めているのか

ものすごく疑問を感ずるところです。

 

あたりまえになっている「刻々と秒の

にも変化している為替レート

これっておかしくないのでしょうか。

そう考えることがおかしい、のでしょうか。

 

逆に考えます

 

●世界中での「円の買い」と「円の売り」の情勢によって

「レート」は変わっています。

しかも前述しましたように「刻々と」。

 

これができるようになってしまったことに

私は「おかしさの源」があるのでは、と思っています。

 

「人間をおかしくさせている源」があると

想うのです。

 

★そして未来に向けて改めて考えることも必要なのでは、

とも感じています。

 

    「これからの為替レート」の在り方どうする????

      固定相場制

           ↓

          変動相場制

              ↓

            ??????????

 

   変動相場制

     外為市場(マーケット)における当該通貨に対する

      需要と供給=買いと売りの関係に任せてレートを

      自由に決める制度

 

★私が社会人になったころは「固定相場」でしたので

「変動相場」になってからたぶん、まだ50年位なのでは。

調べてみました。

 

★国際的に「変動相場制」になったのは1976年

その3年前の1973年日本を含んだ先進各国

変動制に切り替えていました。

 

●私はこの世界の素人・・。

 

●背景にはさまざまなことがあったとは思いますが、ここ

ではそれを調べることはしないで、

何で今のような投機的な形の外為

マーケット、私の表現で言えば 外貨ゲーム

的マーケット?」 になってしまったのか、

何で瞬間瞬間でレートを変化させることができるのか

を私は考えることにしました。
     
             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

          経済社会のおかしな変化

   ??人間の「満足のものさし」のおかしな変化??

   ??「生活」を満たしていくための経済から

       「欲望」を満たすための経済

        変わってきてしまっている。

 

     ??ゲーム化経済への変化

 

?経済に「金儲けゲーム」を組み込んでしまった

     ⇑     ⇑     ⇑

 「IT」行き過ぎた人間の「頭(かしこさ)」

 心(やさしさ)」が忘れられている!!!

 

 

●私の答えはひとつ「通信とコンピュータ技術」、

まとめてしまうと「IT技術」の発達これなくしては今のよう

な「ゲーム的マーケット」は維持することはできません。

 

日本国内の「株式マーケット」も全く同じだと思います

 

「通信とコンピュータ(=IT)の驚異的な技術革新が

あったからできること」「できていること」なんだと思いま

す。

 

20世紀間もなく終わりのころから21世紀の今まで

「この約50年」でしかやられていないこと、なんです。

 

●でも!!

 

●この約50年が「人間は生活(=社会で生きる)から離れた

『欲望』を満たす」ゲーム化経済社会

してしまった、のではないのかと感じてしまいます。
     

             挿絵は田中拓馬画伯 画

◆私の表現ですと「生活経済から欲望経済へ

経済に『金儲けゲーム』を組み込んでしまった、のではと

なります。

 

◆約50年前の固定相場の時代、私が社会人生活をスター

トした51年前(1971年)、パソコンどころか、コピーは青焼き、

携帯電話もファックスも、確か「電卓」もなかった、

仙台出張は夜行寝台で・・・

 

◆でも、そんな状況でも企業は国際ビジネスを営んでい

したし、国内外の出張もありました。

 

◆忙しかったけれども言い切れば「人間性一杯」の

だったと思います。それが今・・・・  

人間は「IT技術」の使い方を誤ってしまった

私の正直な想いです。

 

◆人間が「技術を使っていた」「技術を人間生活の『手段』とし

てきちんと使っていた」状況が、いつの間にか、わずか数十年

の間に、 「IT技術に人間が使われてしまう」

状態?になってしまっているのではないのでしょうか。

私は素直にそう感じています。

 

人間から人間らしさを取り去ってしまった大きな要因

行き過ぎた、使い方を間違えつつある

「IT商品」だとも思っています。

  コンピュータ・携帯電話・・・・

 

★でも、「IT商品・製品」に責任はありません。

責任はそれらを使う「人間の心にあるの

です。

私、そう思っています。

 

「実生活を豊かにしていくために・人間性を増して

いくために」の物差しで改めて考える時期にきているのでは

ないでしょうか。

 

「脱ゲーム化社会」。

    「人間中心の生活経済社会」へ

 

●ゲーム・・・・

この言葉で学生時代に学んだ ゲームの理論

思いだしました。

 

●ゲーム理論の前提は

  ・各人は自己の利益を最大化するように行動する

  ・その時に各人は合理的に判断して自己の戦略を

   決定する

  ・他者=競争相手のとる戦略を予想して自己の戦略

   をたてる・・・こと。

 

 ゲーム理論: Theory Of Games

  1928年フォン・ノイマン「ゲームの理論

 1944年フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルン

      「ゲーム理論と経済行動

 

  ゲーム理論の「前提」

   ●各人は自己の利益を最大化するように行動する。

   ●その時に各人は合理的に判断して事故の戦略を

     決定する。

   ●従って、他者=競争相手のとる戦略を予想して自己の

    戦略をたてる。

      

  そして!!!!!この理論の出発点

      それは「プレーヤー2人のゼロサムゲーム

    (双方の勝ち負けの総和は常に「0 ゼロ」)

                              ⇓

         (全員が勝つことはない)


 

●単純化してしまえば「ゲームはゼロサム」、「勝ち負け

合計はチャラ(=ゼロ)」。

       「みんなが勝つゲームはない」のです。

 

人間社会をこんなゲーム世界にしては

いけないのではと改めて感じております。
     

              挿絵は田中拓馬画伯 画

 

『現実人間の頭=かしこさの作品「通信とコン

ピュータが創りだした『バーチャルな世界』が混在しており、

徐々にと言うか、勢い持ってバーチャルが現実を

飲み込み始めているのが今、」。

言い過ぎなのか、とは思いますが正直にそんな気持ちにも

なっております。
 

        今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                         ありがとうございます。

        正直、たまに今存在しているbusinessの中から

   コンピュータと通信の両方が無ければできないビジネスを

               止めたら世界はどうなるんだろう

 何年前の状態に戻るのだろか・・・・色々と考える時があります。

         コンピュータそして通信技術

    素晴らしい「手段・道具」であることは否定しません

    その使い方をちょっと間違えてはいないのかな

           私の正直な想いです。

 

           ありがとうございます。

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(むらお)

 

<<ブログ 330>>

 

      2022年6月14日ニューヨーク外為市場 

            1ドル=135円48銭 

      24年ぶりの「円安水準」報道から想うこと
 

    本来、為替レートは「国力」で決まるものなのでは!?

     「円高」でも「活き活きとしている国、日本」

  そんな「日本」を目指しての動きが大切なのでは?! 

       ~私の変わらない想い~   by  入道

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          今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

    世界への羽ばたきを重ねておられるちょっと年の離れた友達

           画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を

                             画いてくださいました。

            拓馬さん、ありがとうございます。

   田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければと思います。

 

        http://www.takumatanaka.info

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                 挿絵は田中拓馬画伯 画

「円高」と「円安」とは一体どんなことなのか。既に

ご承知のことと思いますが、改めてふたつの状態で単純に

書いてみたいと思います。

   ① 1ドル=100円     ② 1ドル=135円

 

◆ごめんなさい、既にご存知のことの繰り返しとなりますが以下、

頭と心の整理と言うことでお許しいただければ、と思います。

 

 <2つのレートで考える>

     ① 1ドル=135円 →→ ② 1ドル=100円

               (円高) 

                                  ←←

                                  (円安)

 <100ドルは円だと>

        ① 100×135=13,500円

        ② 100×100=10,000円    

 

     <100ドルで商品「輸入」> 

    ①→② (1ドル135円から1ドル100円へ) 円高の時  

       13.500円支払って手に入れていた商品が

      10,000円で手に入れられる

 

 ②→①  (1ドル100円から1ドル135円へ)  円安の時 

      10,000円で手に入れられていたのに、

     13,500円支払わなければいけない

 

   <100ドルで商品「輸出」>

   ①→②  (1ドル135円から1ドル100円へ) 円高の時 
        13,500円もらえていたのに

        10,000円しかもらえない

 

 ②→①  (1ドル100円から1ドル135円へ)  円安の時

                 10,000円もらっていたのが

         13,500円もらえることに

 

 

●①から②のレートに変わるのが「円高

    1ドル 135円→100円

       逆に②から①に代わるのが「円安

            1ドル 100円→135円

 

 

●「輸入」と「輸出」の二つの行動に分けて改めて記して

みます。

 

  円高  輸入  笑顔😊顔   輸出 悲しい顔😢顔   

  円安  輸入 悲しい顔😢顔 輸出  笑顔😊顔

      

       

◆日本は「輸出」にかかわる人たち、会社だけでなく、

「輸入」に関わっている人たち・会社もたくさん存在して

います。

特にエネルギーに係わる企業の大半は原油等々

輸入に頼っています。

         

            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★現実的に既に、日本の電力産業とか輸入商品・製品・食料

品などを扱っている企業では「利益減」「かなりの幅での連続

値上げ」の状況になってきてもいます。

 

★特に電気は「輸出商品・製品」を形作るに必要

不可欠な原価、でもあります。値上げして輸出しても「円安」

であれば・・・・・なのでしょうか。

 

★でも・・・・・あたりまえですが、

一般家庭など「輸出価格に転嫁できない」電気あるいは

ガソリン等消費は値上げを受け入れるだけ

となってしまいます。

 

★国内販売の商品・製品の価格もアップしていくことになって

きます。

 

「値上げ」は「価格を上げること」ですので単純に

脱デフレとはなるのでが、高くなった電気、あるいは、

高くなった商品を購入するための給料がまだあがっては

いない・・・・

   やはり、裏で?一方で「悲しい顔」をしている人たちが

  たくさん、存在していることも心に留めておく必要がある、

そう感じます。

 

★この「対応をどうしていくのか、しっかりと示されていない、

と思います。

           

                挿絵は田中拓馬画伯 画

「円安」「円高」・・・・・・・あたりまえに考えた時には

どちらがいい、のでしょうか?どちらを

「目指していく」のでしょうか。

 

●日本が経済的に強い国」になると

いうことは為替はどうなる、と言うこと

なのでしょうか。


為替レートは本来、「国力(国の経済力)」に

よって決まるもの、決められていくもの、そうなのでは???

 

●しかしながら、現実的には、為替レートは本来の「国力」

からかけ離れてしまったゲーム的交換レートとなっている

ように思いますが、こんな時にこそ「あたりまえ」に考えていく

ことも必要なのだと感じます。

 

●????円安がいいのか。円高がエンダカ・・・・????

 

      単純に「交換レート」として考えると

  1ドル 135円よりも1ドル100円の方いいのでは?

            

       1ドル135円 → 135円で1ドルのものが買える

   1ドル100円 → 100円で1ドルのものが買える

                    ↓ 

        135円あれば1.35ドルのものが買える

     

 円高円安・・・英語表記はどうなるのか、

調べました。

    円安  WEAK        円高   STRONG

        CHEAP               HIGH

 

 

★単純に「STRONG」(高)「WEAK」(安)

       「強い」と「弱いなんです。

  「CHEAP」「HIGH」。「安い高いなんです。

 

すごくすごく単純に考えます。

 

     WEAKより STRONGがいいのでは・・。

 

★本来、国として考えると国力を挙げて「円高」を求めて

いくものなのでは・・・・。そう昔から私は想い続けています。

           

                挿絵は田中拓馬画伯 画

 

日本の国力が富んでいけば「円高」に

なっていく、ものなのでは。

    そんな動きが自然なのでは・・と思うのです。

 

◆そして、これも単純に「ドルと円の交換レート」として為替

レートをみれば1ドル135円よりは1ドル100円の方が

円の価値があがっていいのでは、なんて普通に思います。

 

            ?????????????

   単純に「円高」になれば世界通貨の「ドル」での

    日本国民の資産価値は上がる、のでは。 

   ⇒日本は「ドル持ち・金持ち国家」になるのでは!?

                                 ⇩

     「日本」そして「円」の信用力が高まる

 

  (例示) ① 1ドル=135円 →②  1ドル=100円

 

        1億円のドル価値を考えてみる

 

     1ドル135円が100円の円高になった時

 ① 100,000,000/135=740,740ドル

                ⇩

 ② 100,000,000/100=1,000,000ドル 

 

1ドルのものを購入するのに135円必要だったのが

100円で購入できるようになった。

同じ100円使えば1ドル35セントの物が購入できるよう

になった、これが1ドル=135円⇒100円の円高

 

◆ドルを「国際通貨」と位置付ければ円高」は

日本は「金持ちの国になる」と言うことなのでは?

とこれも単純に思うのです。

 

●でも、そうじゃない?:

 「円安を追い求めている?日本政府と日銀????

 

★直近の日本の置かれている現実から脱する、

近々のための施策であれば理解できますが、

「未来を考えること」を忘れてしまっては

いけないありたい状態をものさしとして

「今」を考えるべきとずっと想い続けています。

 

              (次回に続く)

 

      今回も最終行にまで眼を進めていただきまして

             ありがとうございます。

 

  昔から私か゛想い続けている「円高」「円安」どちらをめざすのか

     コロナが落ち着きを見せてマスコミの報道でも

      トップの座をここのところ「為替・円安」に譲り・・

    といった状況から改めて「円安」「円高」に対しての

        私の想いを改めて記してみました。

 

      一喜一憂することなく「目指す状況」に対して

 日本は 何をしていくのかを分かりやすく国民に語り続けて欲しい

           心からそう感じています。

 

       次回は今回の続き的に「外為レート」について

       これも私の想うことを記していこうと思います。

                         ありがとうございます。 

          にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(むらお)

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 329>>

 

          組織のリーダーは遺憾の言葉を使っては
                              「イカン」のでは。

 

    経営者・組織長そして国会議員の先生・・組織のリーダーは

              遺憾と言う「魔法の言葉」「便利言葉」

                            心を奪われることなく

  しっかりと自分の責任で「自分の想いを自分の言葉」で

                 語りませんか、語って欲しい
                     & 原稿読むため

          ずっと下向いて「遺憾」と言っても伝わらない

                     ~私の変わらない想い~   by入道

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        今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

    世界への羽ばたきを重ねておられるちょっと年の離れた友達

  画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

            拓馬さん、ありがとうございます。

   田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければと思います。

 

        http://www.takumatanaka.info

 

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KYODOオンライン2022年6月4日 19時27分配信

   中国の海洋調査船が沖縄県・石垣島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)で同意なく科学的調査を実施した可能性があるとみて、中国側に抗議したと外務省が発表した。(中略)

 政府は外交ルートを通じ「日本の同意を得ておらず、海洋の科学的調査を実施しているのであれば極めて遺憾だ」と通達し、即時中止を求めた。
     (一部中略そして一部大文字は入村によるものです)

 

 

●私自身が会社組織在籍の時、今から35年ほど前に「使うのは止めよう」「使わない」と自分自身に課してきた言葉があります。

 

★その言葉、それはブログタイトルにもしました「遺憾」と言う言葉です。

                   
                   挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「遺憾です」。

 

★昔から使われている言葉であり、そして近々でも対韓国・対ロシア・対中国・対北朝鮮等の「困った動き」に対して怒り表明の記者会見の場、記者からの質問に対しての大臣答弁そして不祥事を起こしてしまった企業トップのお詫び・釈明会見の時に遺憾です」「大変に遺憾です」と聞こえてくることが多くなってきている言葉です。
 

★近々を昨年からとしても

2021年開催のオリンピック直前の森さんのセクハラ発言の時に大会大口スポンサーの社長発言、佐渡ヶ島金山の世界文化遺産登録申請に対しての韓国の動きに対しての大臣等の発言・・・・・今年に入ってからも北朝鮮の相次ぐミサイル発射、近いところでは竹島周辺の海洋での韓国の海底調査に対する大臣・国会議員先生方の発言・・・遺憾と言う言葉が頻繁に使われています。頻繁に用いられています。

 

●この「遺憾」の言葉への私の想い。なぜ自分では使わないようにしてきたのか・・・。

 

●「遺憾」の二文字の言葉に対しての私の想い。

 

●それは「訳の分からない」「どっちつかずにもとれる」『その場対応』『その場しのぎ』の魔法の言葉であり、「どれくらい怒っているのか」「どれくらい悪いと感じているのか」を「自分で表現することなく」、この「遺憾」と言う言葉を使えば、「とりあえず」は「怒っている」あるいは「謝っている」状況を形作ることはできる「魔法の言葉」「その場しのぎの言葉」だとの私の想いから生まれてきています。

 

★不思議ですよね。不思議だと感じませんでしょうか。

 

★「遺憾」と言う言葉は「相手に対しての『非難」の時に使うだけでなく、自らの「謝罪」の時にも使う、使える言葉なのです。

 

   私は怒っている →→「まことに遺憾です」

   私は謝っている→→「まことに遺憾に存じます」

                「まことに遺憾です」

         

              挿絵は田中拓馬画伯 画

★不思議な言葉ですよね。同じ言葉なのに意味合いが全く違います。

 

★考えると「遺憾」と言う言葉には怒っている」とか「ごめんなさい」の意味合いは全くない、のでは、と単純に想うのです。

 

★「遺憾」は単純には残念だ」の意味しかない。のです。


★「遺憾」には本来、「怒り」も「謝罪」の意味はない・・・・使う側が都合よく勝手に解釈拡大して「使っているだけ」なのでは、と感じ続けています。

 

   遺憾  :   ①残念  ②気の毒   (新小辞林 三省堂)

 

   遺憾 :   ①思い通りにいかなくて残念な様子 
         ②きのどく
         ③申しわけない (新選国語辞典 小学館)

 

 

★そして、この言葉からは『怒っている』時の「怒りの大きさ」、謝罪している時の「謝りの大きさ」を感じることは全くできません
 

★なんとなく「怒っているんだな」なんとなく「謝っているんだな」位をその場の雰囲気全体からは感じてもらえる「不思議な言葉」なんです。


「怒っている」「非難する」ことを「形式的に表現する」
たぶん  

                   ⇒⇒「遺憾です」。

 

「悪い申し訳ないと思っている」ことを「形式的表現する」
たぶん  

                  ⇒⇒「遺憾です」。

  同じなんですよね。

 

●「遺憾です。本当に不思議な言葉だと感じてなりません

          
                  挿絵は田中拓馬画伯 画
 

★しかも日本の場合・・・・この言葉だけでなく、「遺憾ですと語る人の「しぐさにも「形式的」に怒っている・謝っているんだな、と感じさせるものがあります。

 

★それは、ごく短い答弁であっても原稿に目を落としている時間がほとんど」「ほぼ原稿を読んでいる」のしぐさです。迫力はなくなります。迫力なんて感じられません

 

★発言者の「その人らしさ」が全く感じられず、ですから発言者に対して「共感」「信頼」なんて絶対に産まれません。ありません。

 

●単純に表現します。 相手に対しての怒りを表す時の「遺憾」の言葉には「迫力」は全くない 、そう思います。

 

●「ばか野郎・いいかげんにしろ」相手に対する『非難そして「ごめんなさい・本当にすみません」の自分からの『謝罪同じ一つの言葉「遺憾」で済んでしまうのですから使う側からしたら本当に「便利」な「言葉」ですよね。

 

●怒りの大きさ・非難の大きさを「正直にあらわさずに」「大人の対応?」的に用いる「大人的な表現言葉」?なのです。私はそう想います。
 

●この「遺憾の言葉で怒られた「相手」は「そうか、私のやったことを残念だと思っているんだな」、とは感じる程度・・・・しかもどんどん行動が重なっても使うことばはその度ごとに同じく「遺憾です」・・・全然、「怒りの大きさ」「怒りの程度」は相手には伝わらない、伝えられはしないのです。

★だから、単純、
「その場対応」「その場しのぎ」の「言葉」でしかない、のです。私はそう思いそう感じて前々から自分で使うことを禁じてきている言葉なのです。

 

●そんな私の変わらない「遺憾」と言う言葉に対して、と言うか・・・・違いますね、遺憾砲」を連続発射しておられる人たちの答弁をニュース等で見聞きしていると思わず「また遺憾」だね、「遺憾の魔法に頼って、何度も何度も「遺憾」ばかりを使っていては「いかん」「イカン」だろう・・・・そんなダジャレが出てくる気持ちになります。なっています。

 

          
                   挿絵は田中拓馬画伯 画
 

 

                 今回も最終行までお眼をすすめていただきまして

                                 ありがとうございます。
 

                          遺憾です・・・・改めて不思議な言葉

                    そして

       「怒っているあるいは「すまないと思っている」ことを

          形式的?にでも伝えようとする人たちには

     とってもとっても便利な言葉なのかな、と感じています。
 

              ありがとうございます。

     にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

 

 

<<ブログ 327>>

 

              今、必要なことは・・・・・

    「他国と足並みそろえて」を「ものさし」とするための

            「一歩遅れての決断」でなく

     「日本としての明確なものさし」を「自ら」持ち

「日本のものさし」で「決断していく」ことが「今」必要なのでは・・・

              ⇓       ⇑

    「日本」と言う「組織」のトップ・リーダーみなさんは

 「遺憾」なんてあいまいな言葉で自分の想いを表すのではなく

         その場対応するのではなく

  自分の想いを自分の言葉で自分の責任で解りやすく語り

   そして率先行動する(真の)『リーダー』」であって欲しい

           ~私の想い~      by  入道

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         今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

    世界への羽ばたきを重ねておられるちょっと年の離れた友達

  画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

            拓馬さん、ありがとうございます。

   田中拓馬さんのオンラインショップも訪ねていただければと思います。

            https://ttakuma.thebase.in/

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        ウクライナ・・・ロシア・・・・・紛争の下での各国の決断と動き・・・
   早く早くたくさんの人たちが「戦い」で苦しんでいる悲しんでいる状態が

       地球に生きているたくさんたくさんのの人間の「想い」

        そしてその人たちが生活している各国の「想い」

    その「想い」の「共動」によって一日でも早く今の悲惨な状況が

          解消されることを心から祈り続けています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ロシアのウクライナ侵攻での日本の対応・・・で正直にすごく気になっていることがあります。

●何?

●それは日本の色々な対応が西側各国と「足並みそろえて」、西側諸国、NATO、アメリカの動きを見ての「後追い」的、一歩遅れての決断になっているのが個人的に気になっているところです。

 

●今回のロシアの動き等に対しての「国と言う「組織」の最高機関である国会で共有されている日本の明確な想い」はあるのでしょうか。
 

●そしてその「想い」によって「ロシアへの動き」そして「ウクライナへの動き」を決めて即の動きにしているのでしょうか。                    
             
                        挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★政府そして国会として 「日本のものさし」「日本としてのものさし」 を明確にして、その「ものさし」で「国・日本」として決断して動いていく、そのような状況になって欲しいと素直に感じています。

決断のための「ものさし」の明確化これは 会社等「組織」のリーダーに求められること、組織のリーダー要件と全く同じこと です。

 

二人以上のひとの集まりである「組織」(勝手な自己定義by入道)において特に非常時に必要なことそれはなんでしょうか。

 

★私は「組織をリードする『リーダーの決断』『決断のできるリーダーの存在』であると会社所属時代からずっと想い続けています。


集団・組織の上位者・役職者(=リーダー)の役割「決断」にあると私は思うのです。
            
                        挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●そして決断はリーダー自らのもやもやを解消する道でもあるし、自己変革・自己成長につながるもの、よりリーダーらしくなる道でもあります。

 

●それはまた、「組織」の仲間・メンバーのはらはら・どきどき・もやもやをリーダー自らのはらはら・どきどき・もやもやにしていくことから始めていくことができる、とも感じています。

    

          自らの悩みを軽くし

            逆に悩みを

         明日へのエネルギーに

        変えていく方法がひとつある。

             それは

     『自ら「決断し、動くこと」こと』である。

                            (by入道)

 

 

★繰り返したいと思います。 集団・組織の上位者、特にリーダーの最も大きな役割は「決断」することにある のです。

 

★そして、上位者・役職者(以下、リーダーとする)に必要なものをひとつだけ言えと問われれば、私は「自己責任の決断力」と応えてきています。

 

★現実、いろんなタイプのリーダーがいろいろな組織には存在しています。

 

一番存在感のないリーダー、それは「自ら決断しない人」であり、「自分一人では決断できない人

 

次に「(他人から受け入れられない)自分勝手な誤った決断をする人」。

 

★自分勝手な決断・・・その過ちは現実をきちんと自分自身で把握していない、感じとっていない、「自分の想いとはしていない」ことから生まれてくるものである、そう思います。

 

そして、他人から受け入れられる決断をする人」

 (でも、全員からの賛同は多分、無理・・。)

 

◆私の想う最高のリーダーとは。

 

◆その人の「その人の決断に大勢の人がついてきてくれる人」でないでしょうか。

 

◇リーダーが「おや?」と思える判断・決断をしても大勢の人たちがついてくる、ついていくのはなぜなのでしょうか。

 

◇それは、その人がたとえ一時、誤った判断・決断をしても、どんな人からの指摘・意見に素直に耳ではなく「心を傾け」『ごめん、俺・私が違っていた。すぐに訂正しよう』の言葉と共に瞬時に正しい決断に変えてくれる、変える勇気を持ち合わせていることを知っているから、だと思うのです。

 

◇今までの「決断」を通じて多くの人たちとの間に「心の信頼関係が自然に成り立っているから、なのです。

 

その「信頼」はリーダーの「自己保身・自己防衛」からは絶対に生まれてはこないもの、でもあります。               

            
                            挿絵は田中拓馬画伯 画

◇だから、他人から「信頼されるか」、これこそがリーダーの土台。そしてその信頼は『人間性』に行き着くと思います。

 

★そして、「決断」は「変化への挑戦」そのものでもあります。

 

 

自身に火の粉が飛んでくることを恐れていたら「決断」はできません。自己防衛の想いからは「変化への挑戦」はできるものではありません。

 

 

☆だから、過去にすがっている人間、過去の栄光に自分の存在価値を感じている人間、現在に安住している人間、明日を自ら考えていない人間、明日のありたい状態・状況を自らデザインできない人間には絶対に「決断」はできない、そう思います。

 

 

☆そして決断は「多数決の世界」ではないし、「全体の調整」でもありません。

 そして「顔色伺い」でもないし、あってはいけないと強く思います。

 

 

★それらは結局は「自分自身の保身・自己防衛」であり、自分に火の粉が飛んでくるのを恐れているだけのことである、のですから。

 

★「こんなことを決めたら自分はどう思われるのか」「今のポジションを失うことになるかも」・・・・さみしいけれどもきっとこんなことを「決断のものさし」にしている世界の住人だと前記の動きとなってしまうのでは。

 

 

◆言葉を変えれば、決断するに必要なのは「自らの明日へのデザイン力

 

◆デザインは今日と違う明日の『ありたい状態』のデザイン。

 

 

◆自分に「ああしたい、こうありたい」が無ければ、このデザインは描けないし、結局、決断はできずに周りを見てから後出し、足並みそろえての動きになってしまいます。

 

 

決断は混沌としている事態を急変させる不可思議な力を持っている私はそう信じています。
             

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「決断」の先にあるのは今から先、

        つまり、「変えられること」だけなのですから。

 

決断の後のひとつひとつの行動が自然に次への扉を開けていくもの、だからこそ「最初の決断が大切」なのだと私はいつも感じている。

★そして決断に必要な今一つもの、それは
「自分の『ものさし』なんです。

 

 

●ただし、その「ものさし」はいつもその決断をした人にとって心地よい、都合のいい状態だけ、とは限りません。
 リーダー自身に対しても率先行動で「身体と頭そしてな何よりも『心』にたくさんのたくさんの汗を流す必要が出てきます。だから、
「リーダー自身の覚悟」が必要なんです。

 

●でも、だからこそ「大きな変化」が期待でき、実現できるのだと私は思っています。

 

 

決断は必ず「今の混乱・混沌とは違う局面に自分を、自分たちを導いてくれるもの」です。私の変わらない「想い」です。

 

★なぜなら、「決断」には必ず「変化への勇気ある挑戦(=考動)」がセットされているのですから。   

    今回も最終行にまで眼を進めていただきましてありがとうございます。
      ウクライナ・・・ロシア・・・・・紛争の下での各国の決断と動き・・・
     その中でタイトルにも記しましたが日本の決断が「一歩遅れている」

      他国の動きに足並みを併せようとしているのでは・・・

    私が感じたことを「常に決断が求められる」「トップ・リーダー」の要件
        私が想い続けていることに重ねて
記してみました。
      早くたくさんの人たちが苦しんでいる状態が各国の「共動」によって

          解消されることを心から祈り続けています。
    ありがとうございます。にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

<<ブログ 326>

  

      国会のみなさま・都道府県知事のみなさま

    経営者のみなさま等の組織長のみなさま

          そしてマスコミのみなさまへ

 

         コロナ オミクロン株 昨今想うこと

      3密回避だからこそ「心を密に」

           3密状況下でどうしたら

  心のつながり」を「密にしていけるかを考え

            考えたらやってみよう!!!

         ~私の想い~      by 入道

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

    世界への羽ばたきを重ねておられるちょっと年の離れた友達

  画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

            拓馬さん、ありがとうございます。

   田中拓馬さんのオンラインショップも訪ねていただければと思います。

            https://ttakuma.thebase.in/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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前段①

 

                   「3密」回避だけでは

       「心のつながりがどんどん薄れていく」

         心のつながりが形成できない」

              ⇓     ⇑

    「心のつながり」形成の動き  by 入道

            ①出会う・知り合う

            ②話す・語り合う

            ③心が触れる・心が繋がる

 

       3密回避だけでは入り口の①が無くなる

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前段②   

      

2022年2月3日のコロナ感染者 FNNプライムオンライン18:05配信

     全国 初の10 万人超え 10万4465人 

     東京都昨日に続き2日連続2万人超え 2万679人 

          16道県で過去最多更新

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●毎日毎日、本当にたくさんたくさん重ねて報道されているオミクロン株感染者「数」報道に心奪われる事なく、しっかりと感染予防対策をして仲間と一緒に「心合わせて」楽しく仕事をして何よりも自身のそしてご家族みなさまとの楽しい人生の一日を重ねていっている「日本」であって欲しいと想い続けています。

 

●コロナで密の回避が叫ばれてからもう丸二年が経ちますが私が感じるには「3密」の言葉で身体の密回避ばかりが叫ばれている、求められています。

 

    ①密閉の回避   ②密集の回避    ③密接の回避

 

「3密」回避を求めていく、強いていくならば、同時に創意工夫を求めていくことがあるそれを忘れては絶対にダメだと私が感じ続けていることがあります。

                     

                          さし絵は田中拓馬画伯 画

 

●思うことそして感じ続けていることは・・・・・私が仮に今、経営に携わっているとしたら「きっと色々と考え、やってみているだろうな」と思うこと・・・・になります。

 

★それは「3密回避」であるから故にどうしたら3密状況下で『心のつながり』=「心が密の状態」を形成していくことができるのかに心を動かし考えそしてチャレンジし続けていく、と言うことです。

          

                             さし絵は田中拓馬画伯 画

 

★私の感覚では「3密」を国民に求める、要求するのであれば「同時に」「経営者等の組織の長・トツプ」に対してお願いしていくべきことがあるそれを忘れてはいけない、そう感じ続けています。それが前記していることとなります。

 

★その「お願い」の動きの第一となるべきは本来、やはり国の最高意思決定機関である「国会・政府の長である首相」の言動、国民への語り掛けの内容」であると思います。

 

「これからの日本」「コロナ後の日本」を考えれば、「対コロナ」の動き=3密だけでなく、それ以上に「想いを新たに」そして「仕組みを新たに」していかなければできない「国」「道府県」「地域」「会社」等の 「組織に属する人たち」「組織を構成している人たち」の「心の一体感」「心の結びつき」「心のつながり をしっかりと実現していくための「総意工夫」への「ヒント」を提示していくべき、だと感じるのです。

 

3密回避の徹底をしていき、他に何もしなければ「組織を構成している人たちの『心のふれあい』もどんどん薄くなっていく」、そう思いますし、現実、そうなりつつある・そうなっているとも感じています。

 

●冒頭にも記しましたが、こころのつながり形成の動きを私は簡単に下記のように勝手に定義しています。

 

        出会って・語り合ってそして心がつながる

             ①出会う・知り合う

             ②話す・語り合う

             ③心が触れる・心が繋がる

 

「3密回避」の動きは「その入り口①出会う・知り合う」を閉ざしてしまうもの」です。

           

                           さし絵は田中拓馬画伯 画

 

●だからこそ、新たな「知り合う・出会う」そして「話し合う・語り合う」の仕組みの構築と実践が必要になってくるのです。私の想いとしてはあたりまえの動きなのですが、なぜそうならないのでしょうか。

 

★それは社会・地域・会社組織においてだけでなく「大学」そして「高校・小中学校」でも同じことです。

 

★はるか昔の・・・・私自身の大学生活を振り返っても「学問」以上に得られたもの、それはたくさんのひとたちと出逢い」そして「たくさんの友人」を創れた、と言うことであり、その想いからしますと大学は「人と人とのつながり形成の場」であったと思います。

 

★今、その出会いの場であるキャンパス生活ができない状況がもう2年続いています。

 

大学生にとってとてもとても大きなマイナスだと感じてなりません。日本の明日のためにも大きなマイナスであると思います。

 

「3密回避」」を前提としても何か工夫して「実会の時と場」を創りたい、戸外で等々いろいろな創意工夫で何かしらの「方法」ができるのでは、そう想うのです。

 

★その「創意工夫」の前に「3密回避」だから・・・・。何もしない

 

★日本中が「3密回避」をカクレミノにしているように感じてならないのです。コロナだから仕方ないじゃん・・・・・・?????

 

 

★そして「3密」「日々の感染者数」に対して、色々と過去最高となるようなものを見つけて「月曜日では最高」とか「一週間の平均では過去最高」とか妙に国民の心を「煽るような報道?」をもう二年も重ねている報道各社の人たちにも「これから」「コロナ後の日本」を単純「いい国」にしていくためにと言う報道スタンスに立っていただきたい&持っていただきたいと強くつよく感じています。

 

 

「コロナ後の日本」「これからの日本」「コロナ後のわが社」「明日のわが社」「これからの地域」「コロナ後の地域」・・・・・・・・・・

 

「これから」「From Now」を「入り口」とすれば、今、大切にしていきたいのは「日本」「会社」「地域」等々・・・・・「組織」に属する人たちの「心を密にしていくこと」なのではないでしょうか。

    

      組織=二人以上の人間の集まり  by 入道

          

                     さし絵は田中拓馬画伯 画

 

 

国会の先生方・都道府県知事そして経営者・・・・・組織のトップのみなさん・マスコミみなさん「早く早く」気づいて欲しい!心からそう思います。

 

    今回も最終行にまでお眼を進めていただきましてありがとうございます。

                   「密の回避」だけが叫ばれ唱えられて2年

                       コロナ禍下で日本そして日本人

       国・地方自治体・地域そして会社・大学などの「組織」に属している

                 一人一人の想いの結集・想いの一体化

               心の一体化がどんどん薄れていっている

                           そう感じ続けています。

 

           「3密」、身体は離れていても「心のつながり」は持続され

     拡大していく・・・・そんな新しい仕組みを考え、考えたらやってみる・・・

   上手く行ったものを継続し、うまくいかなかったものは改めて考えてみる

              そんな繰り返しをしていきたい、そう感じます。

ありがとうございます。 にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ入道(夫)

 

<<ブログ 325>>

 

            新年にあたり信念を再確認

       『「働く」「仕事する」という「動き」』に

           対しての私の「想い」

      働く動きの入口は「心」

  心(感じる)→頭(考える)→身体(動く)

         この繰り返し

            

        ~私の変わらない想い~    by 入道

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         今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

   世界への羽ばたきを重ねておられる私とちょっとだけ?歳の離れた友達

    画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

           拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。

         田中拓馬さんのサイトも訪ねてみてください。

            http://tanakatakuma.com/

                 https://ttakuma.thebase.in/

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●新しい年、令和4年・2022年が始まりました。

                 

 

●私、毎年年初めに恒例としていることがあります。

●それは『ダブルしんねん』、「しんねんに自分のしんねんを確認すること」です。
                                   

                         新年に自分の信念を改めて確認する。

 

●今回はその変わらないの一つ、「働く」「仕事する」という「動き」に対しての私の想い「信念」を記していきたいと思います。

                      

                       挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「働く」そして「仕事する」、私たちが何気なく使っているこの二つの言葉に対してこれまでも何度かブログに書かせていただいておりますが、「私の勝手な自己定義」を30年以上前に行い、以来ずっと変わることなく使っております。

 

      はたらく・働く 

      自分以外の人(お客様・仲間・・・他人)に「〇〇さんありがとう」

      と感じていただける自分自身の動きをすること 

       

      しごとする・仕事する

      お金をいただいて(有償で)働くこと

 

働く > 仕事する、であり、働くという動きの一つが「お金をいただいて・有償で働くこと」である「仕事する」と言うことなのです。だから「仕事していく」にあたって大事なことは「働く」の私なりの定義から出てくる想いを一言で表せば「(人に対しての)やさしさ」となります。

 

★就職して会社組織で「仕事」をしていくのであれば「楽しく仕事をしていきたい」、まだまだ自分の信念なんてない「新入社員」時代でしたが、その時からずっと自分に課してきたことです。

 

自分のことはもちろんのこと、お客さまそして一緒に仕事している「仲間」「協力会社」「協力スタッフ」「会社の近隣の人たち」・・・「会社に関わる全ての人たち」が「楽しい状態」になっているのかを「ものさし」とし続けてきています。

 

★この自分の想いがやがて利益=Σ(お客さま満足)-Σ(お客さま不満足)」⇒「利益=Σ(笑顔)-Σ(涙顔・怒顔)」⇒「利益=Σ(ありがとう)-Σ(ばかやろう)」と言う、私自身の代名詞ともいわれている利益に対しての「想い」「信念」に繋がっています。

 

★ 働くにあたって必要なのは・・・・。繰り返します。

      (他人・ヒとに対する)やさしさです。

★ 他人に対する「やさしさ」を失念しては絶対にダメです。

 

★  『自分に厳しく他人(ひと)に優しく』!!なのです。

 

★ でも・・・いつもいつも心に置いて意識し続けていないと、現実的には知らず知らずに「楽な」、『他人に厳しく自分に甘く(⇔やさしさではありません)』の行動になってしまいます。

 

★  つねに「意識し続け行動していかなければできないこと」なのです。

 

★  「やさしさ」。!!!!!!?????

 

★  これも私の勝手な定義付です

               ⇓

      「やさしさ=優しさ+易しさ」

 

         優しさ:おもいやりがあって親切

 

         易しさ:簡単であること・すぐできる

 

     「優しさ」の「優」は「にんべんにうれい(憂い)」です。

     にんべんは」そして「」は「心配する、気にかける、

     思い悩む・・・

         

★こんな心の展開から私は「優しい人」とは「他人(ひと)のことを心配し気にかけることのできる人と定義付しています。

 

★そしてものごとはできる限り「易しい」ことがいい。難しいことをいかに簡単にして易しくして他人(ひと)にわかっていただくか等、シンプル」「単純」をキーワードにして考え動いていくことが大切、そう想い続けています。

 

★私の想う「プロとは上記の動きがあたりまえにできる人、そうも考えています。

難しことを難しく言うことはだれにでもできます。他人(ひと)の知識の請け売りでさえ可能なのですが、相手の方に合わせて専門用語を使うことなくその人の解る言葉で語ってあげるのは大変にムズかしいのですが、「伝えたいこと」を徹底的に理解していれば易しく優しく語っていくことは「専門用語を用いなくとも」必ずできる、そう思います。

 

やさしさ=優しさ+易しさ。私の信念でもあります。

 

★そして働く(仕事するを含む)という動きを昔、自分なりに整理していまでも使用している「想い」を改めて記してみたいと思います。

           

                         挿絵は田中拓馬画伯 画

 

働く(仕事するを含む)のスタート賢さ」ではありません。

自分以外の人たちが何に困っているのか、何をなやんでいるのか。何が嫌なのか、どうしていきたいと思っているのかなどなど、自分以外のひと・他人の心の状態を感じとること、ここから始まる私の想いです。(※注:ここでは自分以外の人と記しましたが「自分」を第三者的・客観視した時の自分も含みます)

 

「感じる」ことから「働く・仕事するが始まる」のです。「賢さ」ではなく「優しさ」から働くそして仕事するは始まるのです。

 

 入り口は「で感じる」こと、で感じたらで考え、考えたら身体を動かす。働く・仕事するって、きっとこの繰り返し なんだと思っています。

          

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

                    

           働く動きとは   by 入道

 

         ①心   「感じる」(こうしたらいいんじゃないか)

                    ⇩

      ②頭  感じたら 「考える」 

                     (どうしたら実現できるのか)

                    ⇩  

       ③身体 考えたら 「動く」 

 

☆始まりました新しい一年、2022年令和4年も自分の信念を大切に感じ考えそして動いていきたいと思います。
 

              今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                              ありがとうございます。
                   新しい一年も自分の信念をものさしとして

      いつも「人・人間としてどうなのか」を「ものさし」として感じ・考え

           そして動いていきたいと思います。
       頭(かしこさ)よりも大切なのは心(やさしさ)

 

             ありがとうございます。

     にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

<<ブログ 324>>

 11月政府から経団連への「賃上げ要請」に素直に素直に感じること

          賃上げは政府が要請要求していくことなのだろうか?

                                      今の日本

               ここ数年での日本の影響力は低下している

   日本への「あこがれ」を持つ外国の人たちも減少しているのでは

         「時間ものさしだけの『働き方改革」の見直しが必要

         楽しく仕事していくには」をものさしに

    ⇑            ⇩

 「日本人、もっと楽しく身体・頭そして心にたくさんの汗かいて働かないとまずい」のでは・・・・日本人もっと働こう、素直にそう感じています

         ~私の想い~       by入道

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  今回も東京秋葉原のアトリエを基地として世界への羽ばたきをされている

       私の歳の離れた友達、画家の田中拓馬さんがご厚意で

   ニューヨーク出張から帰国してすぐに素敵な挿絵を画いてくださいました。

     拓馬さん、コロナ状況下でのニューヨーク出張お疲れ様でした。

              そして「ありがとうございます」!!!!!

      田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければと思います。

            http://tanakatakuma.com/
                 https://ttakuma.thebase.in/

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●先の10月31日投開票の衆議院選挙が終わり、岸田内閣がスタートしていますが、この選挙期間中そして新内閣スタート直後から、゜あること」に対して「おかしいな」「大丈夫なのかな日本」と感じ続けています。

 

 「日本、このままでは国際社会のあらゆる分野で日本の影響力はどんどん低下していってしまうのでは」 、と感じ続けています。

 

●そして・・・・嘗てはたくさん存在していた「日本にあこがれを持つ外国の人たち」現在はどれだけいるのだろうか?やはりどんどん減少してきているのでは・・・・?いろいろなことが心に湧いてきています。

 

「あること」・・・・・・それは

◆選挙期間中、立憲民主党の公約として声高々に掲げた「所得を分配して『一億総中流社会』をとりもどす」。

 

◆そして選挙後、岸田政権がスタートしてから政府が企業側に要求し始めている企業はぜひ賃上げを行っていただきたいの動き。

 

●これって両者ともに「おかしい」「おかしくないかな」と思っていた時にふと心によぎったのが今年8月中国の習近平国家主席が「スローガン」として掲げた「共同富裕」と似ている、同じなのでは?と言うことでした。

 

中国は国家主導の共産主義・社会主義の国、そして日本は「資本主義・自由主義の国」。

国家体制の成り立ちが異なる二つの国なのにほぼ同時期に「同じようなスローガン?」はどうして?そんな想いになりました。

 

●ちょっと時系列的に並べてみます。中国の「共同富裕」が早い、のです。

 

  ・2021年8月17日  中国 習近平国家主席

          「共同富裕」は社会主義の本質的な要求、と宣言

  ・2021年10月19日 立憲民主党枝野代表 選挙第一声

          「所得を再分配し一億総中流社会を取り戻す」

  ・2021年11月10日 岸田首相 記者会見

          「私が労使の代表と向き合い賃上げを促していく」

  ・2021年11月15日 萩生田経済産業相 経団連会長に要請

          「経済の回復が業種によって差が開く「K字」の構図が   

          鮮明となる中、好業績の企業はぜひ賃上げを行って

          いただきたい」

 

●日本・・・与野党ともに中国のスローガンに影響受けて、のものなのでしょうか・・??

 

●そんなことはないと思うのですが、共産主義と資本主義の二つの国でほぼ同じ時に同じような動きをしている・・・・先のように時系列的に並べるとそうなってしまいます。

 

日本は資本主義・自由主義の国。中国は共産主義・社会主義の国。

 

◆かつて学んだ知識では、共産主義の国は「資本や財産をみんなで共有する平等な社会体制」であり、「財産などは国のものでありみんなで共有する」

 

◆一方で、日本・資本主義の国では「個人や企業が利益を追求する「自由競争」の下で社会全体の利益も増加させていく体制の国であり、「働いたらその分だけ報酬が得られ、個人や企業が財産を所有することができる」

   

◆中国との対比はこのブログで書きたいこと主題ではないのでここまでにしますが、時系列に観て感じたことを書いてきました。

 

賃金を上げて。政府が要請している給与水準アップは単純に企業業績アップが第一です。

          

                          挿絵は田中拓馬画伯 画
企業業績が上がれば給与水準が上がり、業績が下がれば給与の上げ幅は小さくなるか据え置き・・・・。

 それが「あたりまえ」のことなのでは。

 

業績に関係なく「各社一律に給与を上げていく」そんな動きはありえない、改めてそう思います。

 

国が「各企業の給与」を決めるのではなく、また決められるわけはありません。
(中国はそれができる体制の国なのですが、日本はそうではありません)

 

なのになんで・・・中国と似たような、同じような動きをしているのだろう?と考えます。

 

★野党が毎日毎日「一億総中流社会を取り戻す」と声高々に国民に訴えかけていて国民の心も揺れたと政府も感じているから??なのでしょうか。

 

●繰り返したいと思います。

賃金を上げる、その入り口は単純「企業業績を上げていくこと」です。


●土台の「日本経済を活況化していくこと」だと「あたりまえ」に思います。

 

●そのために企業活動活性化」のバックアップ策・支援策を「国」として「日本の政府」として「何」を実施していくのか、「どんな動き」をしていくのか、この動き必要なことなのでは。

 

●加えて・・・ブログに何度も書いていますが、「日本と言う国をどんな国にしていくのか」「どんな国を目指しているのか」明快に国民に示していただきたいと思うのです。

 

●前記の「企業業績アップ」支援も「どんな国にしていきたいのか」が初めにあって、その実現のための一つの手段となるはず、なのですから。

 

それなくして「賃金上げて」の単純な動きは不自然すぎる、そう感じてなりません。

 

日本人の給与水準が上がらない要因、私は政府が主導的に動いていた・いる「働き方改革」の動きがある、そう正直に感じています。

 

★日本人の働き方について、日本ではコロナ禍以前に「働き方改革」の名の下で「ほぼ働く時間短縮・休みの時間/日の増加』、単純に「働く時間短縮国主導行ってきています。

 

コロナ禍は確かに日本の企業経営に大きなマイナスを与えていますが、本当にこれだけなのでしょうか。

 

★私は「ほぼ時間、働く時間の短縮」をものさしにして動いてきた「働き方改革」にも大きな「原因」があるのでは、と感じています。

 

★日本を改めて、再び「身体と頭そして何よりも心にたくさんの汗を流していく働き方を認め合い、そして報い合う国」にしていきたい、そんな国にあって欲しいと強く感じています。

         

                          挿絵は田中拓馬画伯 画
 

 働く動きとはby 入道

        感じる(こうしたらいいんじゃないか)

        感じたら「考える」(どうしたら実現できるのか)  

    身体   考えたら「動く」

 

★ただし、それは「楽しく仕事をしていく」ことを前提としたいとも思います。

 

★だからこそ、今度は「時短」ものさしでなく「楽しく働くには」をものさしとしての「働き方改革」に国を挙げて取り組んでいくことが必要なのだと感じてなりません。

 

身体と頭そしてなによりも心にたくさんの汗を流した人がたくさんの「報酬」を得られる、そんな当たり前の国、「日本」に。

 

身体・頭・心」に汗を流さずに「楽(らく)して」金儲けをする人たちを褒めたたえるような風潮、「楽(らく)してお金を得たい願望」から早くひとり一人が抜け出してある意味で「あたりまえの人間の集まり」の国、日本であって欲しいと願います。

 

●いつ頃から、なのでしょうか。

 

たくさんの「夢」を持って、「総意工夫の積み重ね」で「新技術」「新商品」を生み出して、世界に提供していく動き・・・・そしてひとり一人の日本人が一生懸命に働くことでその「夢」を一つひとつ実現していく、そんな日本人らしさを見失った、どこかに置き忘れてきてしまったのは。

 

★多分・・・・たぶん・・・・それは今回の衆院選で立憲民主党が言葉にした「一億総中流社会を取り戻す」、この「一億総中流」と自分たちを称した頃から逆に「日本人らしさ」を見失っているのでは、私そう思っています。

 

★戦後の立て直しからたくさんの先人たちみなさんが正に身体と頭そして心にたくさんたくさん汗して構築してきた日本。

★私が所属している「団塊世代」時代・・・世の中には「24時間はたらけますか!!」のコマーシャルが流れていました。

 

★ひとり一人が身体と頭そして心に沢山の沢山の汗を流し、企業がその汗を結集していくことで日本は技術第一国、新製品新商品は日本発・・・もはや今は死言となってしまいましたが「made in japan」が世界の中で大きな価値を持っていた時代。ブランドだったのです。

★時間的には「今と比べ者にならない長時間労働」なのですが、みんな活き活きしていました。「楽しく仕事していた」のです。

           

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

一生懸命働くことが収入増につながり、収入が多くなることで自分そして家族の「夢」を一つひとつ叶えていったのですから・・・。

                        

★そんな先人達の残してくれた「これまでの財産」を使いきってしまっている、かつての大企業も傾き再編成の最中・・・そして、日本全体がそうなってきていることに気づかないとマズイ、本気でそう思うのです。

 

一億総中流!!
朝から晩まで身体中汗まみれにならなくても日本に居れば自分も家族もちゃんと生きていける・・・・そんな感覚にみんななってしまった時から、なのではと思うのです。

 

●それは別の言い方をすると、大切な仕事なのに・・・世の中に「3K(きつい・きたない・きけん)」仕事への「嫌悪感」?が漂い始めた時期と一致するのではとも思います。

 

日本人、再び「一生懸命働く」になりませんか。「一生懸命になれるような仕事の仕方」「楽しく仕事できるような新たな仕組み形成」等々、「労働時間短縮ではない」「楽しく」を「ものさし」としての「働き方改革」に取り組むことが必要、改めて私は強くつよく感じていますが、どうでしょうか。

         

                        挿絵は田中拓馬画伯 画

 

 国際社会をリードする国「日本」。たくさんの外国の人たちから「(富士山等観光以外で)日本に行きたい」「日本で勉強したい」「日本で働きたい」「日本人と友達になりたい」・・・・・妙な表現になりますが「あこがれられる国、日本 を形成していたきいと思います。

 

★そのために「政府」「国」として「何をするのか」を与野党一緒になって考え続けて、議論途中では意見相違はあっても「決定」したら再び国会一丸となっての動きにぜひ!!!!

 

そして追記的に

国民の祝日数世界一。更に祝日と祝日の谷間の日の「国民の休日」もある!!!!

コロナ禍前2017年には「金曜日」は早帰りを国を挙げての動き「プレミアムフライデー」そしてもありました。そして、OECDデータでは2016年の労働時間「日本は22位」・・・・日本はもう「働き過ぎの国」ではないのです。
 有給休暇をしっかりと取れるようにする等、「楽しく働く要因のひとつひとつを」各企業が実施し、働く人たちの心身衛生をしっかりと考え実施していけば、
週休3日等々、もう今以上に休みを増やすことは必要ないのでは。

 これも私のかねてからの正直な想いの一つです。

 

★最後に・・・・

       働く動きとはby 入道

        感じる(こうしたらいいんじゃないか)

        感じたら「考える」(どうしたら実現できるのか)  

    身体   考えたら「動く」

 

        今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                ありがとうございます。

    日本が世界をリードしていた、日本に学べの言葉が世界に満ちていた

      資源がない国、日本が世界からあこがれの心でみられていた

                   それは

      働くひとり一人が「心に感じ、感じたら考え、考えたら動く」の

          働くループを繰り返していたからなのだと

      私は自分自身の会社所属時代を顧みて思い続けています。

             怒られるかもしれませんが

             「日本人もっと働こうよ」本気でそう思っています。

              ありがとうございます。

       にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

<<ブログ 323>>

 

         衆議院選挙2021から想うこと

    「日本のこれからは大丈夫なのか」

            本気で感じています

                  

               各党ともに

    「日本をどんな国にしていくのか」

  「日本をどんな状況にしていきたいのか」

     の提示そして議論はほぼなし

         ほとんどが現状・今に対しての施策

 「日本の明日へのデザインを競う選挙に

  どうしてならない・しないのだろうか」

                 ⇩

         国会(政党・国会議員)

  そして私たち国民双方に原因がある

              ~私の想い~  by  入道

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          今回も東京秋葉原のアトリエを基地として

   世界への羽ばたきを重ねておられる私とちょっとだけ?歳の離れた友達

    画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

        拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。

         田中拓馬さんのサイトも訪ねてみてください。

            http://tanakatakuma.com/

                 https://ttakuma.thebase.in/

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衆議院選挙2021。10月31日投票開票で終わりました。

●今回の選挙だけでなくここのところの色々な「選挙」の度に私が感じている「想い」がやはりまた今回も・・。

★ここのところ
選挙の度に感じている私の想い

 

●それは「今(これまで)に対しての施策」論議がほとんど、「今がこうだからこんな施策を講じていく」各党、施策内容は異なりますが「入り口」は「今」なのです。

 

★私が想うのは「今の施策」「今のマイナス」「今の欠けていること」を「(思い付き的に)提示する」のではなく、やはり入り口は「今でなく」「明日・未来」からだと思うのです。

「明日の日本」「5年後・10年後の日本」「5年後・10年後、明日の日本人」を「こうしていきたい」強い想いがあって初めて「未来・明日」と「現実・今」の「ギャップ」を埋めていく、縮めていくために「何をしていくのか」・・・・これが「公約」であるべき、あって欲しいと思うのです。

          
                             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★テレビ・新聞・週刊誌・・・マスコミの報道の仕方にも問題があるとも感じます。


コロナ対策を初め、夫婦別姓・ジェンダー・年金・・・等々「今に焦点を充てて」「何をしていくのか」に報道の力点がある、報道の大半がそのような構成だと私は感じていました。

 

 

◆別の言い方をしますと、「目的」がないのに「目標」「手段」だけが提示されているそんな気もします。

「どんな状況に日本をしていこうとしているのか」「日本人をどんな人間の集まりにしていこうとしているのか」これが「目的」

 

◆そしてこの「目的」を実現していくために、「手段」としてたくさんの施策・こうどう(=考動)がある、のです。

 

★今回の選挙にあたって各党から提示された「政策」は「目的実現」のための「手段」でもあるはず、なのです。


★でも・・・私にはその「目的」が各党共に見えてこないのです

           
                             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●選挙期間中、私は良く「衆議院選挙2021 NHK選挙WEB」を観ていました。

 

●このコーナーで紹介されている各党の「政策」は大きく「8つ」に「政策区分」されていました。

 ①新型コロナ対策   ②子育て支援・教育    ③外交・安全保障

 ④原発・エネルギー  ⑤経済政策など      ⑥年金・社会保障

 ⑦憲法          ⑧ジェンダー・多様性

 

●この区分で各党の掲げている政策が並んでいるのですが・・・・・・中身をしっかりと観ていくと・・・・・・・・・

やはり「トータルとして」「日本と言う国をどうしていきたいのか」、「日本をどんな国にしていきたいのか」がまったく観えてきません。

●見えてくるのは「今(これまで)」が「こうだから」「こうする」の動きだけであり、その結果「3年後」「5年後」あるいは「10年後」の日本がどうなっているのかを窺い知ることはできません。

          
                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

私たち国民・選挙民からもそんな要求をしないし、声も大きくはなっていません。ここに「も」大きな問題がある、そう感じます。

 

●そして、ごめんなさい大変に失礼な言葉になってしまいますが「国民」「選挙権を持っている人たち」に対して「媚を売っている」ように感じてなりません。(いわゆるバラマキ施策が目立つ現実)

 

「日本」という国を「いい国」「楽しい素晴らしい国」「世界をリードしていく国」にしていくのは「政界」、国会議員の先生方だけでできるものではありません。

 

日本人ひとり一人の「今までとは異なる動き」、「身体と頭そして心にたくさんの汗をかく必要」が絶対にあると思うのですが、そのことへの言及は各党共に全くと言っていい程ありません。

 

☆日本を変えていくのは国会だけでできる、そう思われているのでしょうか。

 

「日本を5年でこんな国にしていきたい」→「そのために国民のみなさんにもこんなところで少しづつ我慢して欲しい」「ひとり一人がこんなところに汗をかいて欲しい」そんな国民に「しんどさ」「がまん」「頑張り」のお願いも絶対に必要なのだと思うのですが、そうなってはいません。どうでしょうか。

 

「楽して」「今を大きく変えていくことはできません」。「楽して変化を実現していくことはできない」そう単純に想うのです。

 

★そんなことしたら「票が逃げてしまう」から、だと思うのですが、これで「日本の明日」「未来の素敵な楽しい国、日本」が実現していけるのでしょうか。

 

各党そして国会議員の先生方「勇気」を持っていただきたい、改めてその想いを強くつよくしています。

 

会社経営と同じだと思います。

 

〇いきなり「年度計画」は出てきません。

〇最初に必要なのは「どんな会社にどれだけの時間でしていきたいのか」「経営理念」であり、実際の行動のものさしとなる経営指針」です。

 

〇経営理念、その実現のために「長期経営計画」があり「中期経営計画」そして「年度経営計画」(半期・四半期も含む)があるのです。

 

〇そして・・・社長が取締役会が、ただ単に「もっと売り上げあげろ」「利益を上げろ」ではだれもついてきてはくれません。

 

〇今年度の売り上げそして利益は「〇〇を実現していくために必要な数字」。今期がんばれば「会社はこうなる」「みんなの生活はこうなっていく」・・・「今の頑張り先に何があるのか」「今のしんどさ・苦しさの向こうに何があるのか」みんなが「見える状態」「共有できる状態」にしておくことがとてもとても大事なことなのです。

 

★この状態が「経営計画の共有」、「みんなが今期の目標の意味を知っている・納得している」状態です。

★この状況があって初めて「みんな頑張ろう」が成立していきます。いくのです

 

〇残念ですが、まだ多くの会社でもそうなってはいません。

 

〇経営計画・目標は経営層と経営企画室が「電卓片手」に、そして「売上・利益ともに前期比マイナスは悪」の感覚に心を奪われて創っていくもの・・・・。

 

「増収増益」は誰のためなのですか。「みんな身体と頭に汗して増収増益にして誰が喜ぶのでしょうか」。

〇経営者自身の評価のため・・・・? 借り入れをしている金融機関から叩かれないため・・・?
・・・・・
〇ごめんなさい、会社についてはこれくらいにして、本題に戻ります。

 

国会そして政党・・・国会議員の先生方の動きを変えていただくためには何が必要なのか。

 

●私は単純だと考えています。

 

日本人ひとり一人が「国会・政党そして先生方」に要求し続けていけばいいそれだけだと思うのです。

 

日本人ひとり一人の「選挙に対する考え方」を変えていかなければ「国会・政党そして先生方」は変わらないそう思います。

 

★やはり入り口「日本人ひとり一人が」「日本をどんな国にしていきたいのか」を「世界の中の一国、日本」のものさしも同時にもって声にしていくことなのだと思うのです。

 

今回の衆議院選挙から「3年後」「5年後」そして

「10年後」の「日本」は「どんな国」になっているのか、そしてそのために「日本人ひとり一人がどんなところで汗を流すのか」「何を我慢するのか」・・・残念ですが・・・ほとんど感じることかできませんでした

           

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★日本にとって、「未来の日本人の人たちのために」「ものさし」に「今の日本人・私たち」は考えそして動いているのでしょうか。

 

今が良ければ、自分たちが良ければそれでいい、になっているのでは・・・。

とっても寂しいですがそんな気持ちにもなってしまいます。

 

考えそして動きたいと改めて思います。

 

☆「今、自分たちのために」だけでなく「未来の日本人のために」を「大きなものさし」にしての行動(=考え動く)が必要ですし、絶対に忘れてはいけないことだと感じてなりません。

 

☆政党のみなさん、国会議員の先生方「勇気を持って変化へ挑戦」していただいて」大丈夫です。

「今のしんどさそして苦しさの向こうに何があるのか」「何のために今しんどい想いを、苦しい想いをしているのか」がみんな心で感じられていれば日本人は「一緒に考えそして動く」そう思います。

 

勇気を持って3年・5年・10年後の「日本」を議論し続けていきませんか

         今回の選挙からの素直な想いです。

 

                  今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                                 ありがとうございます。

 

                               選挙の時の「ものさし」を

               「各党は今の自分たちに何をしてくれるのか」から

                   「日本をどんな国にしていってくれるのか」

       「未来の日本人の暮らしはどうなっていくのか」「どうしていくのか」を

                                    議論し合っていく

                            そんなものさしにしていきたい

                そうしていかないとマズイ

          改めてそう感じた2021衆議院選挙でした。

 

                 ありがとうございます。

       にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(入村道夫)