<<ブログ342>>
『派閥』って何?
『派閥』と言う言葉から想うこと
「排他的」集団、『派閥』は組織
国政の世界には不要なのでは!!!
~私の想い~ by入道
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今回も東京秋葉原のアトリエを基地として
世界への羽ばたきを重ねておられる私とちょっとだけ?歳の離れた友達
画家の田中拓馬さんが
ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。
拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。
田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。
http://tanakatakuma.com
https://ttakuma.thebase.in/
http://www.takumatanaka.info
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昨年末から自由民主党の「派閥でのお金」の問題が大きく取り上げられており、 年明けの国会でもこのことがたくさんのたくさんの時間を使いやりとりされています。
・・・パーティー収入の不正還流・・・・
政治と金・・・政治資金規正・・・
政治資金規正法を改正すべき
・・・連座制導入・・・などなど
今回のブログ、派閥のお金のことには触れることはしないで「派閥」という言葉から私自身がずっと思い続けていることを以下に記していきたいと思います。
●日本人は3人集まれば派閥ができる人種である。
かつてどこかで聞いた言葉です。
●そして・・・・『派閥』とは出身や利益を共にする人々がつくり、「他と対立する集まり」だということです。
<派閥> 出典:デジタル大辞泉(小学館)
・出身・縁故・利害・政治的意見などで結びついた人々が形
成する排他的な小集団。
特に、自民党などで特定の政治家のもとに結集している
議員の集団。
<派閥> 出典:日本大百科全集<ジャポニカ>
・ある集団の中で出身、資格、利害、主張、好悪などを
共通にする者が集団全体の動向に影響を与え
るために形成した小集団。
特に政党内の私的な人的結合を党の合理的な意思決定、
実際行動、人材配置を阻害するものとして派閥と呼ぶ
のが一般的である。
政党の派閥は、一つの党の枠内における資金や役職
などの利得の配分をおもな機能としており、その点で
分派とは違う。
●多数意見と少数意見。
●多数意見「対」少数意見であるならばわかるのですが、国会
の動き、そしてそれを報道するマスコミ各社の報道の在り方な
どから感ずるのは・・・もしかしたら日本中が「排他的
な派閥社会」になってしまってきているのでは、と感じ
たりもしていますし、単純に言うと『おかしいよ』と感じてな
りません。
●同じ政党の中の「派閥」だけでなく同じ国会の中、としてみる
と単純、残念ですが「政党」も『派閥』だと私は想います。
●そして・・・・政界に於いては政党内の派閥と所謂「党」と言う名のおおきな派閥では「排他的」と言うことに関して大きく異なっている、と想うのです。
●政党内派閥は最終的な「党」してのところでまとまり、行動もひとつになるのですが、政界に置いての大きな派閥である(と、私は想っている)「政党」では本来、国会議員の職務から想うと『日本をいい国にしていく』と言う想いはたぶん「一致している」はずなのに現実の動きに置いてはそうはいきません、そうはなっていません。
★「国会」が一つの組織体になっていない、のです。
★国会に於いては与野党・・・・「党」が派閥になってしまっているのです。私はそう感じています。
日本の明日を考え、良い国にしていく動きに於いて党を捨て去り、国会議員として一つにまとまってはいないのです・・・。
●反対のための反対の積み重ねとなっています。
●派閥なんだから「他と対立する」ことが必要なのでしょうか?
●違うと想うのです。おかしいと感ずるのです。
その「おかしいよ」の入り口はすごく単純。
★みんな日本人なんです。みんな日本で生活している仲間なんです。
★日本の明日のために」「明日の日本のために」は少なくとも「共通のものさし」 を持っている、待たないといけないのでは、と想うのです。
★「日本を良くしていきたい」「日本をもっといい国にしていきたい」同じ意識なのではないのでしょうか。
★『日本を国際社会の中のGood Countryにしていく』と言うことでは、政界は本来的に「一致」しているはずのものだと想いますと何か、先の定義からして「排他的」を前提とする派閥が国会・政界に存在することは納得できない、正に「おかしいぞ」となるのです。
挿絵は田中拓馬画伯 画
●大勢の「にんげん」がいれば「意見の違い」「意見の食い違い」は絶対にあることだと思います。
●なぜなら一人一人の人間は異なる存在なのですから。
●しかし、重要なのは前記しました「Good Country」のような『大きな方針が共有できているのか、掲げられている方針に共感できるのか』であり、そこに行き着くまでの実現行動をどうとるのかと言うことにおいてのみ「意見の食い違い」があるのであれば、むしろそれは『組織として喜ばしい状態』であるといえるのだ、と思います。
●昨今の政界の動きから・・・
法律各論で反対してばかりなのではなく『日本と言う国をどんな国にしていきたいのか」「どんな国でありたいのか」この入り口部分をしっかりと議論して欲しい、議論するべきなんだと感じてなりません。
★そして、議論していろいろな意見交わして「国会」、組織として決定して実の動きになったら、まさに「国会一丸」「国会議員一丸」となって、なのだと思うのです。
挿絵は田中拓馬画伯 画
★『多数派と少数派』。
●この色分けは永続的なものではなく少し長い目でみれば「瞬間的」なものなのでは、と想います。
●この色分けが「絶対的」であるという人は『世の中が動いている、世の中は変化するものである』と言うあたりまえのことを忘れていると私は感じます。
●と、すれば今は少数意見であっても、それが多数意見となる可能性を持っている訳であり、従って、私たちが意思決定する際にはそのことをいつも心の選択肢に入れておかなければならない、とも思うのです。
●会社組織でも同じです。同じだ、と私は想い続けています。
★組織で必要なのは『大きな方針(exこんな会社にしていきたい)の共感を大前提として、その実効策の決定にあたってはむしろその時点での少数意見を自らの意思決定にあたりきちんと確認しておくこと』であると思います。
挿絵は田中拓馬画伯 画
●『大きな方針の共感』『共感された大きな方針』の存在を前提としての「多数意見と少数意見のGood Mixing」です。
●くどくなりますが「反対のための反対は多数派にしろ少数派にしろ、絶対にやってはいけないこと」なんです。
●なぜなら、その瞬間に「大きな方針の共感が消える」消えてしまう、残るのは「自分達」だけなんですから。
●だから・・・・「うん???おかしいな」「へんだぞ」と感じたら、その時(少数意見の時)に大きく口にすることを全員に要求しなければいけないんだと想うのです。
●但し!!!!
ただ「やだよ!!」なのではなくどうして異なる視方、考え方、行動の仕方を考えるのかを「決して感情100%で言うのではなく、背景と共に『代替解決策』をもきちんと理論立てて表現すること」が必要になります。
●それが組織人としての「役割」であり、それができることに『組織人としての生きがい』を感じられる時なのではないのでしょうか。
●多数意見と少数意見とが「お互いに相乗的に機能を発揮しあう組織体」でありたいと想うのです。
●そのためには・・・・・
●改めて大きなところでの心の一致点、『日本を良い国にしていく』この『良い国日本』をより具体的に、箇条書きでも構わないと想います、わかっているつもりを一旦勇気をもって捨て去り、それぞれが明確にしていき、一致する「ありたい状態」を早く共有していくことである、難しく賢く(賢そうに!!)抽象的に言葉遊びで考えるのではなく優しく易しく、一人ひとりの日本人の心に感じられるものにしていくこと!!!!!!!!!!!!!
私はそう想い続けているのですがどうでしょうか。
今回も最終行にまでお目を進めていただきまして
ありがとうございます。
これまで意識的に「政治」に関することはブログで
触れずにきていますが
ここのところの国会での動きそして
連日のマスコミ報道から「日本大丈夫なのかな」と
感じてなりません。
それは
政界だけでなく、「全てにおいて排他的」
それが今の日本であるような動きとなっている、と
感じましたゆえに。
「これしかない」「自分の想いと違うのは全て悪・間違い」
昨今のマスコミの報道にも
こんなことを感じさせる内容での
報道が多い、と感じています。
で、あるならばどうでしょうか、
新聞・テレビ・雑誌・・・・
報道する前に「自社の立場を明確に打ち出したうえで
報道をする」ことで読者、視聴者・・・
情報の受け手に「選択」をしてもらうことを
するべきなのでは・・・・・。
そうでないと
たまたま読んだ新聞、視たテレビ・・・・での
報道が「全て」と想ってしまうのですから。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)