何ゆえタイランド (無期限休止中) -3ページ目

母の腰具合、悪し




母は30年前と14年前に背骨の圧迫骨折を2箇所、やっている。


以来腰部ベルトは欠かせなくなり、それでも受傷当時は骨密度に問題はなかったので

動きに辛い時は太い針金四本入り、そうでもない時は厚手のサポーター状のもの、と使い分け

日常生活に支障ない程度には回復し日々を送っていた。




“なるべく腰の負担になる作業は避ける様に”



周りの人間は声に出し注意するし(←特にワタシ)

本人も気を付けているだろうけども、どうしたってトシと共に行動制限は厳しくなる。



が。



当の本人は中々認めたがらず、
「去年もやったし、ずっとやって来てるから大丈夫さぁ!」

やめなさいと言っても聞かずやらかしたのが、

先の春先、雪解けを早く進める為の剣先スコップを使った厚雪割りが原因で

2週間位外出不可、立ったり座ったりが不自由な生活を招いた。


ほら見ろ。




私は故意に、かなりキツく怒った。

言うことを聞かずやって、本当に動けなくなったら困るのはお母さんなんだよ!

1人暮らしでやってくんでしょ

自分で無理しない事を選択しないと、お兄ちゃんに施設に入れられるよ


等々。





でも所詮親子関係、母がしゅんとしてたのは僅かの間で




炊事洗濯、掃除片付けの共同作業の合間に


私の目を盗んでは玄関前&庭の草むしり

庭の花木、トマトやインゲンの世話をし続け

兄が定期的に訪問し見てくれているからやらなくていいんだ、と言っても


「ちょっとだけだよ。
少しだけやったから平気だ」


とムッとしながら言い返してくる始末。


墓掃除&草むしりも一緒にやるし(-_-メ)。





…頑固で強情、人に言われたぐらいでは引かない
自分でやってみるまで気が済まない、負けん気の強さ




私の気質は母譲りで間違いない。







で。



積もりに積もった疲労がとうとう、やっぱり爆発。



“起きられない”



3日前朝、起きようとすると腰から右股関節まで痛みが走り、
起き上がるまでに30分近くかかるようになってしまった母。


さすがに圧迫骨折発生時以来のこの状態に慌てたようで、(トイレに行きたい時は特に…)


「ダメ!痛くて。なんで急に?なんもしてないよねーお母さん。」





…。





……。








まだ言うか…。






大変なのは起床時のみで一旦、起きて立ち上がってしまえば

まぁ、最初は杖つき、徐々にではあるがあちこち捕まりながら
歩行は可能なほど。




病院へ行くと自ら言い出したのでこれ幸いに速攻、
一番近くの整形外科へ連れて行った。


あちこち向きを変えたレントゲン撮影後、

「そう簡単に動けるワケないさっ痛いのにっ」

とぷんぷん怒っていた母だったが(苦笑)


年齢の事もあるので骨粗鬆症の検査も行った。





医師の診断は、やはり骨粗鬆症を起こしていて(正常値70%が58%しかないそうだ)


様々な動きによって圧迫骨折の場所に負担がかかって

再びつぶれかけて神経に触り、痛みを引き起こしている

と。




しばらくは週1の通院が必要との事だった。



普通に動けなくなった母なので、私はタイに戻るのはまたもや先伸ばし。



ま。こんな騒ぎも


どうやら、母は自分の年をやっと自覚し
野良仕事はタブーと理解する為には

必要な出来事だったようだから、仕方ないとしよう。



居場所




何度か書いた覚えがあるけれど



私は 日本人でも両手上げて




「大好きです日本!」




と口が裂けても言えない人間である。



それは

ただ息が詰まる無言の弾圧から、束の間でも放たれたいが為の旅先として外国を選ぶ以前からの


私の根本的な感覚だった。




皮肉なことに諸外国に出向く様になってやはり、

国籍を更に強く意識する出来事が増えたので


それまで思いつきもしなかった自国の温かな良心を見たり

反対に劣悪な腐った部分を知ったりもした。





基本的に日本人としてのアイデンティティーは、しっかりと根が張っていたので


食を含む生活様式、環境的側面では当然日本がダントツ、楽であった。




ただ楽なだけで、日本的閉鎖差別型封建社会に埋没し

無理に合わせて生きる事がバカバカしくなったのも


怖さ半分、興味半分で外国での滞在へ目を向ける様になってからだった。





父の逝去騒ぎで慌ただしく、その後6年ぶりの帰国に浮かれて

快適なそんなこんなの毎日に かつての想い等忘却の彼方へ…



と思いきや。




しっかり思い出させてくれる事件がきっちり、発生。


それは狭い町内において、非常に下らない重箱のスミをつつくような

本当に些細な出来事だが



母と私を、意味の解らない腹立だしさでイラつかせるには、十分な案件だったし





《私の居るトコロは


ココジャナイ》



の認識マークがくっきりと脳内に出現する

確固たる呼び水となった。



コトを起こした当人達の目的や企みには

決して私に「はっ。」と気付かせる
こんな思惑はない、と断言できるほどだが



゛何故にワタシタチこんな行動を?゛

と煙に巻かれた気分ぐらいは、彼らはもしかして感じているやもしれない。





1人暮らしになった母の心配と、タイの10年間があまりにも過酷であったせいで


このまま楽な生活にそそっとツノを隠し任せて、未期限で流してみようかな…


とちょっと思ったりもしていた矢先の、隙を突く一撃だったのだ。



読まれてるな。(後ろの人に)

と気付いた瞬間に重ッ苦しい気分はすぅっと消え
肩が軽くなる。


「正解で~す」と言われているかの如く。






こうして目に見えないメッセージに

少しづつ慣れて噛み締める回数が激増して行く。




これからのその場所はやはり

日本ではないらしい。



首を締める女2




狭い待合室だった。



縦に3列、横に6席並んだ配置の硬めのプラスチック素材待ち合い席は、ほぼ人で埋まり

私は最後列の一番右端に腰掛けていた。



ふと顔を上げると座った人々の頭越しに、背の高いひょろっとした日本人形のように前髪を切り揃え

肩まで真っ直ぐ流れ落ちる髪に白い細面を包まれた女が

こちらを凝視している事に気付いた。





女は、喉元から足元までかっちり覆うタイプの白いワンピース姿で

上半身は細い身体のラインを強調するようなぴたりとした作りだが、


腰からはストンと裾に向かってやや広がるデザインがより一層、
肉感など感じさせない痩せた身体を際立たせている。

一瞬、朝靄の中で森林に立つ白樺をイメージした。



私から見て正面より右寄りにぼうっと立ち、こちらを見詰めている女の

切れ長で暗い陰気な目と視線を合わせるが


女の目には私の姿など映っていないようにも感じられ、

アゴの尖った冷たい面は色を失った薄い唇まで全く動かず、感情が読み取れない。





その時。



彼女とは反対の位置、私から見た左端前方で小さな影が揺らめくのを視界の隅に捕えた。


目を向けると、また対照的にひどく小柄で
肌の露出度がやたらと多い出で立ちで立ち尽くす、
こちらも女であった。




子供ではない事はキャミ型のトップスとショートパンツの上からでも、

微妙にゆるやかにカーブした身体のラインで明らかだったが、

手足も細く作りが総じて小ぶりな印象だ。




背中まで届くであろう髪を頭の上部できゅっと
一つに結わえ、ポニーテールにしていて

肌が弱いのか額から頬から、顔全体にニキビが赤く散り張り
まだ若々しい柔らかな白肌を痛め付け


私を睨む大きなつり目を更に凶暴に見せているようだ。



瞬きをせずじっと放つ視線が

弱々しいながらもはっきりとした、嫉妬を孕んだ悪意に満ちた黒い光を投げてくる。






やはり、標的は私か。







攻撃が始まる切り裂く空気の予感に、私はその場で立ち上がった。


椅子の背後に回った途端に

私を左右に挟む程度の距離を保ち、横一直線上前方に並んでいた二人の女は

同時にすぅーっと前へ動きみるみる迫ってきた。



二人の女が手に持ち、間にピンと張られた半透明の細い糸状の物が見えてくる。


テングスのような糸を見て、私はその場に踏み留まった。



あっという間に距離が詰まり、ひょろ女が手を回し
私の首に糸をくるりと二重に巻き付ける。

私はすかさず、巻く瞬間に首と糸の間に右手指2本を入れる。



間近にいても女達は全くそのまま表情を変えず、
ギリギリッと互いに引き合うように一気に
ぐん!と力を込めて締め付けて来た。






私にはなんの力も必要なかった。


指2本。




指2本をかすかに動かしただけでその糸は

溶けるようにかき消えていた。




糸が触れたと言う感触さえも、何もなかった。






そこで目が覚めた。

ベッドに横向きに寝そべったまま、ゆっくりと目を開いてみる。





カーテン越しに明るい朝の光が、ほのかに室内を浮かび上がらせていた。



つづく