【原発PR看板】撤去された〝原発事故遺構〟~標語考案者の大沼さん「倉庫で眠らせず展示して」
テーマ:原発政策福島県双葉町の双葉町体育館前に設置されていた原発PR看板が21日午前、撤去された。伊澤史朗町長が三月議会で撤去方針を表明して以来、撤去反対・現場保存を訴えてきた町民の大沼勇治さん(39)、せりなさん(40)夫妻=茨城県古河市に避難中=が見守る中、文字盤は30分ほどで外されていった。アーチそのものは24日以降に外される予定。具体的な展示方法も決まらぬまま、不都合な原発PR標語だけを真っ先に外した格好で、大沼さんは「必ず展示を」と改めて訴えた。
【「私は永遠に語り継いで行く」】
白い防護服に身を包んだ大沼さんが見守る中、標語の書かれたアクリル板が一文字ずつ、外されていく。高さ約4メートルのアーチ。作業開始から約30分。高所作業車の作業員が最後の一文字を外すと、長年の陽射しで焼け付いたのだろう。アーチにはうっすらと標語の文字が読めていた。「僕の執念かな」。大沼さんが苦笑する。しかし、心中は虚脱感でいっぱいだった。
「とうとう終わってしまったな…。怒りとか悔しさとかいうよりも、空虚な気持ちですね」
一番、思い入れがあるという「明」の文字を手にしながら、大沼さんは語った。
撤去されたPR標語「原子力 明るい未来のエネルギー」は、自身が双葉北小学校6年生だった1988年に考えたものだ。原子力発電をPRする標語を提出しなさい、と教諭から出された宿題に、大沼少年は「21世紀」や「リニアモーターカー」などの、まさに「明るい未来」をイメージした。標語は優秀賞に選ばれ、当時の町長から表彰された。誇らしかった。原子力発電で生まれ育った街が輝かしく発展すると信じて疑わなかった。だが、それが子どもの純粋な心を利用した大人たちの狡猾なPR作戦だったこと、そして原発は、明るい未来をもたらすどころか一夜にして故郷を奪う〝凶器〟になることを、後に知るのだった。
「1日で故郷を失ったんですからね…」と大沼さん。報道陣に配布した「声明文」で、次のように綴った。
「この看板こそ、原発遺構として最も重要な遺構です」、「二度と同じ失敗を繰り返さないための教訓にするよう、この原子力PR塔は必ず展示してください」、「私は永遠に語り継いで行く覚悟です」
〝凶器〟に胸躍らせていた少年の日々、そして原発事故による哀しみ、痛み、反省。看板は撤去されても、大沼さんの取り組みは終わらない。
(上)外された文字盤を手にする大沼さん。自身の
考案した標語のような「明るい未来」は、残念ながら
やって来なかった
(中)国道6号からバリケード越しに見えていたPR看板。
国の意向が働いたか?
(下)文字盤は町役場の倉庫に保管されるが、具体的
な展示方法などは全く決まっていない
【「町が復興したら展示」と町長】
「撤去ありき」の町役場と闘い続けた1年だった。
伊澤町長が三月議会で看板の撤去を表明、撤去費用を盛り込んだ予算案を提出すると、すぐに撤去反対と現場保存を町や町議会に申し入れた。並行して署名集めも始め、最終的に6902筆を提出するに至った。町長が「老朽化」を撤去の理由に挙げていたため、町職員に「修繕費を出すから保存して欲しい」とまで持ちかけた。だが、町長の方針は覆らなかった。
「取材対応も含めて、現場に足を運んだのは50回を超えているでしょう。何度見ても壊れるとはとても思えない。何より、展示方法を決めてから撤去するのが通常の進め方でしょう。とにかく撤去ありき。よほどこの標語が国道6号から見えると不都合なんでしょうね」
自身が管理していた看板横のアパートには「看板撤去絶対反対! 負の遺産として現場保存を!」と書かれた赤い垂れ幕を下げて訴えた。さらに原発事故から3年にあたり、「新たな未来へ」と題した自作の詩を掲示した。
「双葉の悲しい青空よ かつて町は原発と共に『明るい』未来を信じた 少年の頃の僕へ その未来は『明るい』を『破滅』に ああ、原発事故さえ無ければ 時と共に朽ちて行くこの町 時代に捨てられていくようだ…」
大沼さんの訴えも署名も全て無視して撤去に邁進してきた伊澤町長はこの日、秘書広報課を通じて木で鼻を括ったようなコメントを報道陣に出した。
「今回看板の老朽化により原子力広報塔を撤去するが、双葉町の財産として大切に保存をする。看板については、双葉町が復興した時にあらためて復元、展示を考えている」
しかし、双葉町がいつ「復興」するのか。どこに、どのように展示をするのか。誰も分からない。何も決まっていない。
(上)30分ほどで外された標語。「文字がうっすら見え
るのは僕の執念かな」と大沼さん
(中)自身の所有アパートに垂れ幕を下げて撤去反対
を訴えていたが、伊澤町長の意思は変わらなかった
(下)撤去作業前、抗議の標語を掲げる大沼さん
ご夫妻。「たとえ看板がなくなっても、原発と歩んできた
歴史は消えません」
【消えぬ原発との歴史】
撤去作業を前に、大沼さん夫妻は「撤去が復興?」、「過去は消せず」と書かれた自作の〝看板〟を掲げて最後の抵抗を試みた。「たとえ看板がなくなっても、原発と歩んできた歴史は消えません」。双葉町体育館前では、町の木で「町民の歌」でも歌われるセンダンの黄色い実がたわわに実っていた。「センダンは双葉より芳し」ということわざにかけて「双葉 看板死 過去永久に」という抗議看板も作った。しかし、標語はあっさりと外されてしまった。
大沼さんは今後、外されたPR看板が倉庫でほこりをかぶって眠り続けることのないよう、町に働きかけていく。
「まずは倉庫にきちんと保管されていることを確認します。その上で、絶対に展示させます。今回、私が動かなければ解体・廃棄されていたでしょう。これで終わりじゃない。私は納得していませんよ」
国道6号から見えるPR標語を是が非でも取り外そうとした行政。過疎の町が原発による繁栄をどれだけ夢見ていたか、その想いをいかに原子力ムラが利用してきたか。大沼少年の考案した標語があまりにも的確過ぎて為政者には不都合だということの、何よりの証拠と言えよう。
(了)