民の声新聞 -2ページ目

【自主避難者から住まいを奪うな】「追い出さないで」。東京都に署名提出するも事実上の〝門前払い〟

原発事故による被曝回避のため東京都内に避難している〝自主避難者〟たちが9日、都庁を訪れ、6万4000筆を超える署名を舛添要一都知事あてに提出。2017年3月末で住宅の無償提供を打ち切るとした福島県の方針に対し、受け入れ自治体として翻意を促すよう求めた。しかし、対応した都住宅整備局の女性課長らは「福島県の方針に反した約束は出来ない」と事実上の〝門前払い〟。来年4月以降の強制退去についても「しないと確約する段階に無い」として明言を避けた。避難者らは今後も撤回方針に向けて運動を続け、最悪の場合、今の住まいに居座ることも辞さない構えだ。退去期限まで、あと10カ月…。



【「ご意見として伺いました」】

 事実上の「門前払い」だった。

 署名提出にあたり、都内への避難者を代表して「ひなん生活をまもる会」の鴨下祐也代表が舛添知事に宛てた「2017年4月以降もみなし仮設住宅の提供を延長するよう、国や福島県に働きかけて欲しい」、「避難者を現在のみなし仮設住宅から強制的に退去させないよう、避難者に確約して欲しい」などとする文書を読み上げた。

 鴨下さんは「これはただの紙ではありません」と言いながら6万4000筆を超える署名を手渡したが、対応した東京都都市整備局の女性課長は「福島県の決めた『新たな支援策』(家賃補助を中心とした民間賃貸住宅への転居促進策)に従った対応をさせていただく」、「福島県職員とペアで個別訪問し、転居相談などにていねいに応じる」と繰り返すばかり。

 「要望については理解した。福島県には伝えるが、東京都として(無償提供打ち切りを撤回するよう)意見する立場には無い」、「福島県の示した方針に反する約束は出来ない」などと、事実上、避難者らの要求を拒んだ格好だ。提供期間が終了した後の〝強制退去〟に関しても、「強制的な追い出し、というのがどういうことを指しているのか。今は確約する段階に無い」とはぐらかした。他の男性職員も「ご意見として伺いましたが政策の議論をするつもりは無い」、「政策上の問題は福島県に言って欲しい」などとして、今後は都内への避難者に対する転居相談を主眼に置いた対応になると繰り返した。

 個別訪問に対しても、鴨下さんが「相談に乗るというより、新たな支援策の周知徹底ではないか。一人一人説き伏せられてしまうのではないかと不安だ」としてオープンな場で避難者が意見を伝えられるような場を設けるよう求めたが、都側は「お一人お一人に話を聴かないと、それぞれで事情が違う」、「今回の要望だけが避難者の意見ではないだろう」などと一蹴した。

 結局、東京都はあくまで無償提供打ち切りを前提とする。強制退去も「どうなるか分からないがルールはある」として否定しない。原発事故でばら撒かれた放射性物質のおかげで避難を強いられている人々にとっては、歯がゆさとため息ばかりが漂った。
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(上)東京都知事宛てに提出された打ち切り撤回を

求める署名。6万4000筆を超えた

(下)都市整備局の女性課長は「福島県の方針

に反する約束は出来ない」と繰り返した

=東京都庁舎


【被曝か貧困か、二者択一】

 なぜ避難を続けるのか。答えはシンプルだ。依然として汚染が続き被曝のリスクが存在する福島には戻れないという想いがあるからだ。しかし、家賃負担は重く「福島に戻って被曝を受忍するか、避難先にとどまって貧困を受け入れるか。選択を迫られることになる」という声があがった。福島県田村市から都内に避難している70代女性は言う。

 「昨年11月に自宅玄関先の土壌を測ったら、放射線管理区域(1平方メートルあたり4万ベクレル)の倍以上の数値になった。帰還しろと言われても、とても出来ません。高齢の私は都営住宅を出て行きたくない。路頭に迷うということは命の危険にさらされるのです」

 別の女性は、打ち切りを前提として話を進める都側に、独自の経済的支援を求めた。

 「避難後、生活保護を受けながらの生活で、何度も自殺しようとしたお母さんもいます。腕にいくつもの傷があるんです。新しい支援策では無理なんです。お金がある人は既に転居しました。都が負担する家賃は東電に請求していただけないでしょうか」

 いわき市から2人の子どもと共に都営住宅に入居している母親は「私が望むのは現状維持。ただそれだけなんです。自分の足元が崩れていかないように、どうかお願いします」と頭を下げた。何も特別扱いして欲しいわけではない。自分たちがつくった汚染ではないのだから、余計な出費はしたくないとの想いもある。「このまま打ち切られてしまったら、居座るしかないですよね」。

 せっかく受け入れてくれた自治体と対峙するような事は避けたい。だからこそこうして頭を下げている。先の70代女性は静かにこう言った。「この先大丈夫ですよ、安心してください、という言葉さえあれば良いんです」。しかし、そんな避難者の願いも都職員には伝わらなかった。
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「5・3憲法集会」の会場にも避難者が出向き、

署名を集めた。打ち切り期限まであと10カ月。

避難者の不安は募る=東京都江東区有明


【「住まいは人権の出発点」】

 都側は「これまでの意向調査で避難者のニーズは把握している」と話す。しかし、今年2月に都内支援課が実施したアンケートそのものが福島県の打ち切り方針を前提にしたものであるため、民間賃貸住宅への転居や福島への帰還しか選択肢がないものだった。福島県が行った「意向調査」も同様で、鴨下さんは「最も回答が多くなるはずの『避難を継続したい』という選択肢がなく、欠陥調査だ」と憤る。 

 今年3月までに寄せられた署名は、3月に内閣府、4月には福島県、そして今回、東京都に提出された。署名集めは継続しており、まとまり次第、提出して打ち切り撤回を求めていく。3日に都内で開かれた憲法集会にも避難者が出向き、参加者から署名を集めた。避難者から住まいを奪うことは、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を破壊することになるからだ。今回の申し入れでも支援者から「住まいは人権の出発点」という声があがったが、都職員の反応は鈍かった。

 「福島県が決めた方針に粛々と従う」。そんな意思表示だけがはっきりした一日だった。それは結果として、国の「避難者減らし」と福島県の「帰還促進」に加担し、被曝を強要することになる。それを良しとするのが、現時点での避難者を最も多く受け入れている東京都の結論なのだろう。

(了)

美味しんぼ・雁屋哲さんが憂慮する生産者の内部被曝。〝鼻血騒動〟には「嘘つきはどっちだ」と怒り

漫画「美味しんぼ」の原作者・雁屋哲さんと前双葉町長・井戸川克隆さんの講演会が7日夜、埼玉県さいたま市内で開かれた。2年前、鼻血の描写を巡って激しいバッシングを受けた雁屋さんは「鼻血は内部被曝の典型」と語り、「福島の作物を買って応援することは、農家の内部被曝につながる」と語った。井戸川さんは「除染は住民を避難させないためのカムフラージュだ」と批判した。2人に共通するのは、低線量被曝は他人事ではないということ。原発事故から5年。被曝についてもはや考えなくなりましたか?被曝リスクは過去の話ですか?



【「鼻血は内部被曝の典型」】

 雁屋さんの静かで低い声が会場に響いた。

 「嘘をついているのは誰なのでしょうか」

 週刊ビッグコミックスピリッツ2014年4月28日号に掲載された「美味しんぼ」を巡り、激しいバッシングを受けた。福島第一原発の取材から戻った主人公が鼻血を出すという場面。井戸川さんも実名で登場し「同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」「疲労感が耐え難い」と語っている。

 「あれは僕の実体験です。福島から帰ると異様な疲労感に襲われる。地べたに引きずり込まれるような感じです。そして鼻血が大量に出た。内部被曝の典型が鼻血なのです」

 福島県は「総じて本県への風評被害を助長するものとして断固容認できず、極めて遺憾」とする文章を、騒動から2年が経った今でもホームページに掲載している。石原伸晃環境大臣(当時)は「専門家からは福島第一原発の事故による被曝と鼻血の因果関係はないと評価が出ている。風評被害を引き起こすようなことがあってはならない」と発言。安倍晋三首相も「放射性物質に起因する直接的な健康被害の例は確認されていない」、「根拠のない風評には国として全力を挙げて対応する必要がある」などと批判し、時の政権が被曝リスクを躍起になって否定する異常事態に発展した。雁屋さんは、著書「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」で低線量被曝にも触れて説明したが「当時、私を批判した人々は全く触れない。取り上げない」と怒りを込めて話した。

 雁屋さんは、福島県選出の森雅子参院議員を「野党時代は参考人まで国会に呼んで鼻血問題を(肯定的に)取り上げていたのに、与党になった途端に『風評だ』と言い出した」と批判。「安倍晋三も五輪招致スピーチで公然と嘘をついたのに、なぜ日本人は怒らないのか。汚染水は外海へ出ているじゃないか」とも語った。安倍首相は2013年9月、アルゼンチンで開かれたIOC総会で「福島については私が保証します。状況は制御されています(the situation is under control)」と語っている。しかし、誰が事故後の原発が「コントロール下にある」と思っているだろうか。

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雁屋さんは、自身が福島県浜通りで撮影した

写真を見せながら「内部被曝についてよく考え

欲しい」「福島産の野菜は安全でも生産者

には被曝の危険がつきまとう」と訴えた


【「避難させないための除染」】

 井戸川さんは、雁屋さんとの対談形式で登場。「疲れやすく、呼吸器系をやられていて声を出しにくい」、「最近になって『鼻血出たわ、町長』と言ってくる町民もいる」と語った。

 安倍晋三首相は2014年5月の記者会見で、安全保障に関し「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない」と語っているが「私たちは(国民に)含まれていない。棄民ですよ」と批判。「原発事故では地元町村を含めずに全て中央だけで決めてしまった。熊本地震では地元が物を言うべきです。そもそも、緊急事態条項など無くても災害には対応できます」と語った。
 福島県内で行われている除染についても「除染が必要ということは、人を住まわせてはいけないということ」として「人を住まわせておきながら除染ををやっていることがおかしい。いったん人を動かして除染をするべきだ。除染が、人を動かさずに住まわせておくためのカムフラージュになっている。お金をかけることだけは一生懸命だ」と痛烈に批判した。「政府自体がいい加減。元々『山も除染します』と言っていたのが、大臣が交代したら『年1mSvの基準に根拠など無い』と言い出す」。

原発事故直後から福島入りして「安全講演行脚」した長崎大学副学長の山下俊一氏について「原発事故前はまともな論文を書いていた。一番最初に放射能にやられたのが彼なんじゃないか」と話すと、会場から笑いが起きた。しかし、井戸川さんは「笑っている場合ではないですよ」と制した。

 「250km圏内は汚染されているんです。他人事ではありませんよ。東海原発に何かあったらどこに逃げますか?避難先は決めていますか?国には必ずだまされます。電力会社の広報部は情報操作に長けているのです」
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「万が一の時の避難先を決めるなど、原発事故を

自分たちの事として考えて欲しい」と警鐘を鳴らし

た井戸川さん=与野本町コミュニティセンター


【「作物が安全でも農作業で被曝する」】

 原発事故直後は、福島の作物を広く買ってもらうことで農家を応援していたという雁屋さん。「福島を巡っているうちに、これはいかんと思うようになった。作物が良くったって、農家が被曝する。野菜だけは安全。でも農家には危険。そういうものを勧めて良いのでしょうか。これは応援、助けることにはならない。だから今は福島の作物を買わないよう言っている」。

 ある無農薬農家が生産した米は、全袋検査で99%が11Bq/kg以下だったという。雁屋さんが「良かったですね」と言うと、こんな本音を漏らしたという。

 「でも怖いですよ。農作業で被曝するんですから。現実に疲れるんです」

 厚労省は今月2日、栃木県産のコシアブラ(流通品)から2200Bq/kgの放射性セシウムが検出されたと発表した。「コシアブラの天ぷらは最高に美味しいのに、もう食べられない…。皆さん、のんびりしていてはいけません。内部被曝についてきちんと考えて欲しい。声をあげないと、政治家の嘘にやられっ放しになってしまいますよ」。

 雁屋さんの低い声が会場に響いた。

 井戸川さんも、こう続いた。

 「(被曝を避けるには)何しろ、福島から離れるしかないのです」

(了)

【8000Bq/kg以下は公共工事へ】「汚染土壌は貴重な資源」~環境省方針に1万超す反対署名

福島県内の除染作業で生じた汚染土壌のうち8000Bq/kg以下のものを公共事業に再利用するとの方針を環境省が打ち出したことを受けて、国際環境NGO「FoE Japan」は2日、東京・永田町の参議院会館で再利用に反対する院内集会を開いた。集会には環境省の参事官補佐も出席。1万筆を超える反対署名を受け取ったが、福島県外に設置する予定の最終処分場への搬入量を減らすため、汚染土の減量が喫緊の課題。国として再利用を促進していく考えを繰り返した。国が方針を撤回しない限り、あなたの街の公共事業でも、原発事故汚染土壌が使われるかもしれない。原発事故の風化は著しいが、無関心は結局、汚染の再拡散を進めることになる。



【「管理をすれば安全に再利用出来る」】

 とにかく「再利用ありき」だった。

 「除染土の再利用方針は、建設業界からの要請があったから決めたわけではない。むしろ『使いにくいですね』という声がある」

 「覆土や管理をすることで追加被曝線量を年10μSvに抑える。安全に再利用出来ると考えている」

 環境省の山田浩司参事官補佐(水・大気環境局中間貯蔵施設担当参事官室)の言葉は丁寧ではあるが、内容はめちゃくちゃだ。極め付けは、この発言だった。

 「土壌は本来、貴重な資源。工事で使って欲しいのです」

 汚染を取り除くという名目で行われている除染で生じた汚染土を「貴重な資源」と呼んでしまう感覚に、参加者からは驚きの声があがった。同省が開設する「中間貯蔵施設情報サイト」には「減容化(=資源化)実施後の低濃度生成物は、安全・安心確保を大前提に、資源として積極的に活用します」として、再利用の例として「羽田空港D滑走路事業では、房総から約2600万立方メートルの山砂を切り出し、土木資材として活用しています」と記されている。山田参事官補佐からすれば当然の事を言ったに過ぎないのだろう。さらに、こうも続けた。

 「100Bq/kgとは違う枠組みの中で検討していく」

 「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規則に関する法律第61条の2第4項に規定する製錬事業者等における工場等において用いた資材その他の物に含まれる放射性物質の放射能濃度についての確認等に関する規則」という長い名前の規則で、廃炉作業で生じたコンクリートや金属の再利用について放射性セシウムは100Bq/kg以下と定めている。ホームページでも、環境省自ら「100Bq/kgは廃棄物を安全に再利用できる基準」と説明している。

 同じように「放射性物質に汚染した廃棄物」であるにも関わらず、しかも同じ省内に二重基準が存在する矛盾。これで、どうやって国民の理解など得られようか。山田参事官補佐は「100Bq/kgは『どのように再利用しても良い』という基準。8000Bq/kgは『用途や管理を明確にして部材として限定的に使うことが出来ないか』という基準だ」と苦しい説明に終始。会場からは「放射能が違うって言うのかよ」と怒声も飛んだ。

 従来の基準を無視してでも再利用に邁進する環境省。その背景には、国が福島県と交わした「福島を最終処分地としない」という約束がある。
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(上)「最終処分場へ搬入する除染土の量を減らす

ために再利用を進めたい」と話した環境省の山田

参事官補佐

(下)除染土の再利用に反対する署名は1万筆を

超えた=参議院会館


【「最終処分場への搬入量を減らしたい」】

 国が2011年10月に公表した中間貯蔵施設に関する基本的な考え方に、こううたわれている。

 「中間貯蔵開始後30年以内に、福島県外で最終処分を完了する」

 石原伸晃環境大臣(当時)の「最後は金目でしょ」発言を経て、佐藤雄平福島県知事(当時)が施設建設受け入れを表明したのが2014年8月末だから、実に3年を要した。今後、30年以内に福島県外に搬出するといっても、最終処分場選びには相当の難航が予想される。中間貯蔵施設に搬入される汚染土は最大で2200万立方メートル(東京ドーム換算で18杯分)に達すると試算されており、少しでも最終処分場に運び込む汚染土の量を減らすのが喫緊の課題となっている。

 事実、山田参事官補佐は終了後の囲み取材で、私の問いに「カサを減らしたい」と語った。国会でも、4月13日の参議院「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」で、丸川珠代環境大臣は山本太郎議員の質問に対し「最終処分量を減らすことが重要」と答弁している。

 政府交渉に参加した「ちくりん舎」の青木一政さんは「なぜ再利用しないといけないのか。安全に保管すれば良いじゃないか」と問い質したが、至極正論だ。福島県内では、減容を名目に汚染土の焼却が進められている。焼却と並行して再利用を推進することで汚染土量を減らし、最終処分場選びにおけるハードルを下げたい思惑がある。目的完遂のためには正論は耳をふさいで聞かないことにするらしい。

 実際に公共事業に再利用する場合には事前に住民説明会を開き、最終的には汚染土を工事に利用したことを明示するなどして「どこに何を使ったか、見えない形にするつもりはない」(山田参事官補佐)という。しかし、自分の街の公共工事に汚染土を利用することを歓迎する住民がいるだろうか。業者も積極的には使いにくいだろう。そこで国はインセンティブをつけて再利用を促していくという。「お金になるのか制度的なインセンティブになるのか分からないが、国としては利用を促していく」(山田参事官補佐)。

 透明性を強調して再利用を促す国だが、実は議論は非公開だ。環境省は「中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」を設置。さらに「除去土壌等の再生利用に係る放射線影響に関する安全性評価検討ワーキンググループ(WG)」で用途ごとの基準濃度を検討するとしているが、「未成熟な情報が公になることで率直な意見交換が出来なくなる。不当に国民の誤解や混乱を生む」としてメンバーの氏名も議事録も公開していない。山田参事官補佐は、構成人数すら明かすのを拒んだ。この問題を長く取材しているおしどりマコさんは「きちんとオープンにしていないのに国民の合意を得ようとしているのは問題だ」と指摘した。

 どのような議論を経て決められたのか知らされずに透明性も何も無い。「全て公表すると誤解や混乱を生む」とは、我々国民もずいぶん馬鹿にされたものだ。ちなみに、戦略検討会の委員には、東北大の石井慶造氏や長崎大の高村昇教授ら11人が名を連ねている。この問題に関する今年度予算は10億円を超える。場所は未定だが、減容・再利用についての実証事業も行うという。
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(上)「私たちが許してしまえば今後、世界に対し

加害者になっていく」と警鐘を鳴らしたおしどり

マコさん

(下)「ちくりん舎」の青木一政さんは「なぜ再利用

しなければいけないのか」と何度も詰め寄った


【「方針撤回もあり得る」】

 この日、環境省に提出された反対署名は1万305筆に上った。高木学校の瀬川嘉之さんも「出来るだけ被曝量を減らすにはどうすれば良いかを考えるのが大前提で、年1mSvさえ超えなければ良いというものではない」と、覆土をしたとしても再利用するべきではないとの立場だ。郡山から駆け付けた蛇石郁子市議は「これまでも〝空間線量だけ測って後は良し〟で汚染物が処分されてきた」と不安を口にした。同市中田町では、公益財団法人「原子力バックエンドセンター」による焼却灰減容化実証実験が計画されているという。

 山田参事官補佐は「一律8000Bq/kgではない。上限を8000にしましょうよ、ということ。用途によって濃度は変わってくる」と繰り返したが、一方で「賛否両論あるだろう。再利用をやめて欲しいという声があれば、見直さなければいけないと思う。住民説明会でも反対意見は出るだろう」と、今後の方針撤回に含みを残した。その言葉を受けて、FoE理事の満田夏花さんは改めてマイクを握った。「ぜひ撤回してください」

 会場からは大きな拍手が起こった。公共事業に乗じた汚染の再拡散など、誰も望むまい。



(了)

【地震と原発】福島の汚染と被曝を繰り返すな。川内原発停めない規制委に怒りの声~熊本地震

熊本を中心に大きな被害をもたらした大地震。誰もが「稼働中の川内原発は大丈夫か」と考えたに違いない。いまだ止まらぬ余震に「川内原発の予防的停止を」との声が高まるが、原子力規制委員会は「停める科学的根拠なし」と門前払い。福島県民の苦しみは生かされないのか。双葉町長として原発事故を最前線で見てきた井戸川克隆さんと、元京大原子炉実験所助教の小出裕章さんの話を中心に、改めて原子力発電の危険性について考えたい。あなたはいつまで、ロシアンルーレットと背中合わせで暮らしていきますか?



【「規制委なんていらない」】

 実際に原発事故当時の首長だけあって、井戸川克隆さん(元福島県双葉町長)の言葉は重い。

 「この期に及んで原発を停められない原子力規制委員会なんて『百害あって一利なし』ですよ。はっきり、そう書いてください。要りませんよ」

 「本当に川内と伊方は心配です。あれだけの地震が起きたら稼働中の川内原発を予防的に停めるのが大人の責任なのに、『揺れで自動停止していないから安全』という論法では…。福島の事故から何も学んでいないですね」

 東京・霞が関の弁護士会館。本来は20日が自身の訴訟の口頭弁論期日だったが、意見相違が続いた弁護団を解団したことにより中止。支援者を前に弁護団解団の経緯が報告された。被曝を強いられ、故郷を追われた1人として、そして「絶対に事故を起こしません」と公務中に東電社員から聞かされてきた元町長として、熊本地震に触れないわけにはいかなかった。

 川内原発のある鹿児島県薩摩川内市。岩切秀雄市長とは「以前は仲が良かった」という。しかし、今や「彼は首長として欠格者だ」と厳しい。「双葉町の現状を全く見ていないですよ。私たちの時は多くの方が支援してくれたけれど、もし川内原発で事故が起きたら、今度は世論はこうなるでしょう。『あれほど(危険だと)言ったのに動かしたのはお前らだろう』と」。

 町長として、双葉町民を埼玉県に避難させた。しかし「町民には大きな負い目がある。政府に後々の約束を取り付けないまま避難させてしまった」と語る。町民には「私はあなたの加害者。私を訴えなさい」と話すという。この5年間、それだけの覚悟を抱いて生きてきた。

 原発事故で多くの福島県民が被曝を強いられ、福島県立医大の関係者だけがヨウ素剤を服用した。当時の内堀雅雄副知事(現知事)に「つくば市に公務員宿舎の空きが多くある」と茨城県知事への橋渡しを頼んだが、動いてもらえなかった。町長室で繰り返し「原発は安全」と語ってきた東電に説明を求めているが、同社は「分かりました」と返事をしたきり何の回答も無い。原発事故は、ひとたび起きれば「嘘とねつ造と責任転嫁ばかり」。それを知っていながら、進められる再稼働に怒りが収まらない。

 新たに井戸川さんの代理人になった古川元晴弁護士は、日大法学部の船山泰範教授と共著「福島原発、裁かれないでいいのか」を2015年に出版。国や東電の過失責任を厳しく指摘している。「福島から学んでしまうと原発を停めなければならないから、薩摩川内市長らは耳をふさぐしかないのでしょう」

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(上)「この期に及んで川内原発を停められない

原子力規制委員会など要らない」と語る井戸川

克隆さん

(下)新たに代理人になった古川元晴弁護士。

「福島から学んだら原発を停めなければならない

から、薩摩川内市長らは耳をふさぐしかないので

しょう」と語る=弁護士会館


【「原発事故から身を守る方法など無い」】

 「いつまた、原発事故が起きるかもしれない。その時、私たちはどうやって身を守るか。しかし、事故が起きてしまえば、もはや身を守る術など無いのです。原発を無くしてしまうしか無いのです」

 京都市内で16日に行われた講演会で、元京大原子炉実験所助教の小出裕章さんは聴衆に語りかけた。

 「日本は、緊急事態宣言下にある国なんです。何十年も解除できない。でも安倍さんは、オリンピックの方が大事だと皆さんの手を引っ張って行こうとしている」

 日本政府がIAEA閣僚会議に提出した報告書では、福島第一原発事故で大気中に放出された放射性セシウム137は、広島に投下された原子爆弾168発分に匹敵するという。しかし、小出さんは「政府がきちんと申告するとは思えない。過小評価ではないか。場合によっては、原爆1000発分の放射能を今も撒き散らしていると考えられる」と指摘する。

 昨年まで勤めていた京大原子炉実験所は放射線管理区域。部外者は立ち入りを禁じられ、水も飲めない。トイレもない。もちろん、施設内で横になることも許されない。「外に出る際、身体が1平方メートルあたり4万ベクレルを超えていないかチェックされる。超えていたら衣服を区域内に捨てなければならないのです」。しかし、原発事故から5年が過ぎても福島県内には4万ベクレルどころか10万ベクレルを超える土地が少なくない。もちろん、福島県外にも汚染は拡がった。「風評被害でも何でもなくて、事実として汚れていると日本政府が言っている。そこに子どもたちが〝捨てられて〟被曝させられているのです。本当は人が住んではいけないような所なのに」。

 事故が起きたら最後。「ある日突然、日常生活が断ち切られる」。目に見えず、臭いも無い放射性物質は「五感では感じられない」。しかも「大量の死の灰を生み出す」。汚染水で海も汚され「何年経っても現場の状況は分からない」。放射性物質の拡散で行方不明者の捜索も出来なくなる。救える命も救えない。事故や避難のストレスから関連死という不幸な状況まで招く。「汚染地に残っても避難しても傷つく」。それが原子力発電なのだ。

 講演の直前、小出さんは私にこう言った。

 「熊本地震では津波が発生しなかった。川内原発で重大事故が起きなかったことで、推進派は当然、原発は揺れそのものには強いと強調するでしょう。しかし福島第一原発事故では、津波で浸水しなくても揺れそのもので破損していたと私は考えています。確かめるのは難しいですが」

 福島第一原発の事故は終わっていない。現在進行形。今後、原発を動かし続ける限り、福島と同じように地震による事故と汚染が起きないと誰が言い切れようか。被曝リスクと背中合わせで暮らすのだ。高浜原発(福井県)に万一の事があれば「京都市も猛烈な汚染をさせられることになる」。それでも原発でつくられた電力で暮らして行こうというのか。

 「避難計画など、出来るはずがないと私は思っています」
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「原発事故が起きてしまったら身を守る方法など

ない。原発を停めるしか無いんです」と警鐘を鳴

らす小出裕章さん=京都市内


【「科学的根拠なく原発停めない」】

 18日、東京・六本木で開かれた原子力規制委員会の臨時会議。熊本地震の原発への影響について話し合われたが、原発建屋下で観測された地震加速度の最大値は川内原発で8・6ガル(地盤や建物の揺れの大きさを表す加速度の単位。福島第一原発では、最大で東西方向に550ガル、上下方向に302ガルが観測された)、停止中の玄海原発(佐賀県)で20・3ガル、同じく停止中の伊方原発(愛媛県)でも10ガルで、原子炉自動停止の設定値を大きく下回っており、安全性に問題ないとの議論に終始した。

 会議後の記者会見では、田中俊一委員長へ「予備的に川内原発を停止する考えはないか」との質問が集中したが、田中委員長は「危険だという科学的根拠も無いのに停止する考えはない」と繰り返すばかり。挙げ句には、繰り返される質問にうんざりしたのか「国民の声があっても政治家に求められても、科学的根拠がない限りは原発を停めるつもりはない」と言い放つ始末。これに対し、井戸川さんは怒りの声をあげた。

 「(福島出身の)田中俊一は福島県の恥ですよ。彼は経済的な観点ばかりで公的な立場で物を考えることが出来ない。委員長に値しませんよ。資格そのものがない。うぬぼれているんじゃないかな。規制委員会の暴走を早く止めなければ…」

 熊本地震は、21日で最初の揺れから一週間。インターネットの署名サイトでは、川内原発停止を求める署名が10万筆を超えた。福島県浜通りから避難中の女性は言う。「原発事故が起きてしまったらパニックで避難なんてスムーズに出来ないよ」。実際、熊本県内の交通網もライフラインも完全に機能しなくなった。安倍晋三首相が「震度7でも原発はビクともしなかった」などと胸を張り出す前に、福島の教訓から改めて原発政策を見直す必要がある。これ以上、国土を汚してはならない。福島原発事故での避難者を守るためにも。



(了)

【61カ月目の浪江町はいま】「帰りたい、帰れない」。避難指示解除控え深まる町民の葛藤と国への怒り

半年ぶりに訪れた福島県浪江町。ウグイスの鳴き声が響き、桜は満開。だが、春の息吹とは裏腹に、2017年3月末にも予定されている避難指示解除に向け、町民の葛藤は深まるばかり。「放射線量は下がりました。はい、帰りましょう」などと簡単には割り切れない現実がそこにはあった。「ぜひ浪江町に住んでみてから避難指示を解除して欲しい」。町民の言葉を安倍晋三首相はどう受け止めるのか。町民不在で進められる〝復興政策〟への町民の怒りは根深い。



【除染が済んでも「帰らない」】

 男性は答えに困っていた。

 「そうやって質問されると、迷ってしまうね」

 自宅は、年間積算線量が20mSv超50mSv以下の「居住制限区域」に指定される地域にある。スズランが可憐な白い花を咲かせる庭で、手元の線量計は2.8μSv/hに達した。自宅周辺の除染作業が始まり、マイクロバスの中では作業員らが昼休みをとっていた。雑草が伸び放題だった田畑はきれいに刈り取られ、代わりに真っ黒いフレコンバッグが並ぶようになった。時期は決まっていないが、いずれ自宅の除染も始まる。事前の打ち合わせは済んだ。除染が終われば数字は今より下がる。男性はこれまで、一貫して「浪江町には戻らない」と話していた。「除染が終わっても戻りませんか?」。冒頭の言葉は、そう尋ねた私への、男性からの答えだった。言葉はすぐには出て来なかった。

 「そりゃ、長年住んだ自宅だもの。友人もいない、土地勘のない伊達市のアパートより、住み慣れた我が家で暮らしたいよ。除染をするなら当然、0.23μSv/hまで下げて欲しいけれど下がるのかなあ。それに下がったとしても、いったん気持ちは離れてしまったから…。やっぱり帰らないんじゃないかな」

 国は2017年3月末をもって、「帰還困難区域」(年間積算線量50mSv超)を除く「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」(年間積算線量20mSv以下)の避難指示を解除する方針を固めていて、浪江町では来春に向けて除染が本格化している。馬場宥町長の合言葉は「きれいな浪江町を取り戻そう」だ。

 常磐道・浪江インターチェンジからほど近い加倉地区(居住制限区域)でも、114号線沿いの住宅の庭には茶色の新しい土が敷かれ、付近の田んぼには除去した表土の入ったフレコンバッグが並べられているのが車中からでも良く分かる。この光景だけを見れば、浪江町も「住民の帰還に向けて着々と準備を進めている」という印象を持たれるだろう。男性の心が揺れるのも当然だ。しかし、政治家や官僚が「数値は下がった。さあ帰りましょう」とどれだけアピールしても、住民はそう簡単に割り切れるものではない。

 昨年9月に実施された「住民意向調査」では、避難指示が解除された場合に「すぐに・いずれ戻りたいと考えている」と答えた町民はわずか17.8%。「戻らないと決めている」は48%だった。この傾向は年代が下がるほど顕著で、30代以下で帰還の意思を示した町民は10%を割り込んでいる。町に戻る場合でも、18歳未満の子どもと一緒に帰還すると答えた町民は、わずか2%にも届かなかった。
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(上)「復興祈願」と書かれたのぼりがはためく

津島稲荷神社

(中)請戸川流れる赤宇木地区。手元の線量計は

6μSv/hを超えた

(下)「帰還困難区域」にも春は巡ってくる。

室原地区の桜は満開だが、当然ながら花見を

する町民の姿は無い


【「浪江に住んでから避難解除を」】

 地元紙が「ふくしまの遊歩道50選」の一つに選んだ「請戸川リバーライン」。「なみえっ子カルタ」でもうたわれているように、川に沿って咲き誇る桜は素晴らしい。避難先の二本松市から来たという女性が満開の桜を見上げて写真を撮っていた。薄ピンク色の花びらの向こう側に、真っ青な浪江の空が広がる。「昔はここで毎年のように花見をしてね。花火も打ち上がったりして楽しかった」。駐車場に設置されたモニタリングポストは0.208μSv/hだった。ここ、権現堂地区は「避難指示解除準備区域」で、最も汚染の度合いが低いとされる。浪江駅や町役場、商店街があり、町で一番にぎわっていた地域だった。

 「私たちは戻りませんよ」

 商店街の一角で、夫と共に小売店を長年、営んできた60代の女性は言った。「私や夫は年老いたから良いけれど、子どもたちがね…。表面的に『きれいになった』と言われても、目に見えない物への不安は残ります。それを抱えながら生活をしていく勇気は無いのよ」。

 千葉県内の避難先から浪江町まで車で約3時間。わずかな滞在時間で片付けている。こうやって帰ってくると、避難先の人々の誤解と現実とのギャップに複雑な気持ちになるという。

 「浪江町がすっかり復興していると勘違いしている人も多いのよ。本当の事を話すと驚かれる。そりゃそうよね。テレビや新聞は良い場面しか報じないもの」

 除染は済んだ。だが、測定地点によって数値は異なる。空間線量が下がっても、放射性物質の浮遊を視覚的にとらえることは出来ない。「今は良くても、何代か先の世代に健康被害が出ないとも分からない」。避難指示が解除されても、町での生活を再開させるのが高齢者ばかりでは町の存続も危うい。商売の先行きを見通せる状態でもない。「そういった〝現実〟を無視して、とにかく町民を戻すことが前提で何もかもが進められているのがおかしいわよね」。女性はさらに、こうも言った。

 「政治家はどうして現実を見てくれないのかしら。東京五輪で世界に復興をアピールしたいことは分かっていますよ。私たちの知らない、政治的な事情があるのでしょう」

 除染に莫大な予算をつぎ込むくらいなら、双葉郡全体を正当な価格で国が買い上げて放射性廃棄物の巨大処理地にすれば、住民が帰還で悩む必要もなくなる─。原発事故直後からずっとそう考えてきた。「でも、それではゼネコンが儲からなくなってしまうものね」。浪江町も通る国道6号を子どもたちが清掃したと思えば、今度は東京五輪の聖火リレーに安倍晋三首相が前向きになっているという。女性は大きくため息をついた。

 「安倍首相は、まず浪江に住んでみてから避難指示を解除して欲しい」

 町民不在の〝復興政策〟にはもう、うんざりなのだ。
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(上)居住制限区域で行われている除染作業。

来春にも避難指示が解除される予定だ

(中)男性の自宅で手元の線量計は2.8μSv/h

を超えた

(下)フレコンバッグに書かれた数値が、居住

制限区域の汚染の高さを伺わせる


【お金に換算できぬ「ふるさと喪失」】

 静まり返った森に、ウグイスの鳴き声が響いた。

 住民がいなくなった「帰還困難区域」に、今年も春がきた。

誰もいない街。昼曽根地区の使われない公衆電話の横で、手元の線量計は5μSv/hを超えた。「電話してみる?」。男性はおどけた表情で言った。電話をかけたら〝あの頃の浪江町〟につながるのだろうか。津島稲荷神社では、氏子たちが作った「早期復興祈願」ののぼりがはためいている。参道で線量計の数値は2μSv/h超。赤宇木地区に至っては、6μSv/hを上回る。葛尾村への道路に面した大柿簡易郵便局に設置されたモニタリングポストも6.5μSv/hを超していた。

 帰還困難区域の南端にあたる室原地区では桜が満開になっていたが、手元の線量計は3μSv/h以上。「自分の地域の線量が下がっても、山側の汚染が解消されないと不安だ」と多くの町民が口にするのも理解できる。「住民意向調査」でも、50代の男性が「津島地区の山林や川底、ダム湖底のセシウムなどを除去しない限り、下流域での生活はしたくない」と答えている。
 間もなく62歳になる男性は最近、ようやく精神的損害に対する賠償金を東電から受け取った。国や東電に屈するようで、これまで送られてきた封筒を開ける事さえしなかった。母親の分も合わせると金額は大きくなったが、原発事故が奪った「故郷」はお金には換算できない。

 「故郷を追われるということがどういうことか、みんな分かってないよ」
 浪江の空に、ウグイスの鳴き声が再び、響いた。


(了)

被曝回避なき消火活動~丸2日燃え続けた伊達市霊山町の山火事。消防団員「マスクなんかしてられるか」

福島県伊達市霊山町の「徳が森」で3月30日昼に発生した山林火災は、丸2日経った1日午後、ようやく鎮火した。焦げ臭さの漂う森は灰で覆われ、強風で灰が舞う。手元の線量計は0.35μSv/h前後。まるで〝バグフィルターすら付いていない焼却炉〟と化した現場での消火活動だったが、被曝を防いだ者は1人もいなかった。消防本部は防護の必要性すら感じていない。市役所も市民への注意喚起は無し。消防士や消防団員らの熱意には頭が下がるが、残念ながら内部被曝は情熱や根性では防げないのが現実だ。



【「伊達市は警戒区域ではない」】

 「放射線?そんなもの気にしている余裕なんて無かったよ。とにかく民家への延焼だけは防ごうと必死だったんだ」

 火勢の弱まった「徳が森」を見上げ、消防団員らは時には語気を荒げ、時には苦笑交じりに異口同音に語った。それは消防士も同じ。「この辺りは放射線量は低いですからね。防護をするという発想すらありませんでした」。そう語る消防士の口元はマスクで覆われていたが「これは花粉対策ですよ」と笑った。除染されていない森での消火活動。しかし、放射性物質の存在を意識している者は皆無だった。10年以上、消防団員として活動している男性は「防護マスクなんて邪魔だよ。火を見つけたら道なき道を突き進んでいくんだから、ヘルメットさえ脱げてしまうんだ」と話した。

 現場の消防士や消防団員は、誰もが被曝回避の話題になると怪訝そうな表情になり、「考えてもみなかった」と口にした。伊達地方消防組合消防本部の幹部も「放射性物質から身を守るという意味での特別な装備はさせていません。もちろん、警戒区域に入る場合の防護服などは用意してありますが、伊達市は国から警戒区域に指定されているわけではなく、避難指示も出されていないからです」と語る。幹部は「防護をしなくても大丈夫と言い切れるかどうかは分かりませんが…」と付け加えた。

 ベテランの消防団員でさえ「3日間も消火活動をするような山火事は初めてだ」と驚く。火元とみられる墓地の線香の小さな炎は、折からの乾燥と強風にあおられて瞬く間に燃え広がり、数時間後には大きな火柱となった。夜には雨が降り出したが、火の勢いを止めることなくやんでしまう。福島県知事の要請を受けて出動した陸上自衛隊は神町駐屯地(山形県)や木更津駐屯地(千葉県)からヘリコプターを派遣して散水。散水量は延べ207㌧に達した。焼失面積は今のところ、25ヘクタールを超えると推計されている。これは、郡山市にある多目的ホール「ビッグパレットふくしま」5個分に相当する。

 除染されていない森での大規模火災は、放射性物質の拡散を意味する。霊山町では仮設焼却炉が稼働中。伊達市のほか桑折町、国見町、川俣町で発生した除染廃棄物を燃やしている。伊達地方衛生処理組合が公表している2月3日の測定データによると、焼却灰で1kgあたり8200ベクレル、焼却飛灰(ばいじん)は同1万6000ベクレルに達している。バグフィルターを通しても排煙で放射性物質が周囲に漏れるのに、山林火災ではフィルターすら無い。放射性物質は燃焼によって濃縮され、濃度が高まると言われている。
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(上)「徳が森」の入り口に設けられた消防の現場指揮

本部。誰一人として被曝を防いだ者はいなかった

(中)灰に覆われた登山道。焦げ臭さが漂う

(下)手元の線量計は0.35μSv/h前後を示した


【強風で舞い上がる灰】

 山火事の起きた「徳が森」はJR福島駅から路線バスで約50分。「掛田駅前」でバスを降り、さらに30分ほど東に歩いた場所にある。標高294メートル。桜だけで68種類、250本が花を咲かせるはずだった。麓の水辺には水芭蕉が咲いていた。10年前から、地域のボランティアグループ「徳が森環境整備プロジェクトチーム」が山の緑を守る活動を続けている。3日に山開きが計画されていたが、今回の山火事で中止されることが決まった。「お地蔵様も燃えてしまいました。山開きでは、おにぎりと温かい汁を振る舞ってもてなす予定だったんです。手作りの記念品も用意していたのですが…」。プロジェクトチームの渡辺政幸会長が残念そうに語った。山開きが中止されるのは、震災が起きた2011年に続き2回目だ。

 現場指揮本部の許可を得て、焦げ臭さの漂う登山道を歩いた。まるでうっすらと雪が積もっているかのように灰が地面を覆っている。山肌は黒く変色し、炭のようになった真っ黒い木が転がっている。まだ熱がこもっているのが体感できる。野鳥の鳴き声などない。時折、強い風が吹くと登山道を覆う灰が舞い上がる。木々の枝に積もった灰が落ちてくる。手元の線量計は、0.35μSv/h前後を示していた。数値は森の奥に入るほど徐々に高くなっていった。

 伊達市放射能対策課は、市内の空間線量は測っているものの、土壌測定はこれまで全く行っていないという。3月8日発売の「女性自身」によると、森から比較的近い市立霊山中学校付近の土壌は、放射性セシウム137だけで1平方メートルあたり61万8000ベクレルもあった。4万ベクレル以上は放射線管理区域だから、実に15倍以上の汚染状態ということになるhttp://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%

 プロジェクトチームの渡辺会長は「原発事故の翌年の2012年には、徳が森の頂上で空間線量が0.9μSv/hあった」と証言する。福島県土木部が1日に公表したデータでは、霊山町掛田地区を流れる小国川の堆積土砂は1キログラムあたり5000ベクレルを超えた。県農林水産部が2011年8月に発表したデータでは、少し離れた同町下小国地区の畑の土壌は放射性セシウム137だけで1キログラムあたり4681ベクレルだったので、単純換算で1平方メートルあたり30万ベクレル。森林は除染されていないため、依然として高濃度に汚染されていることが容易に推測される。

 しかし、伊達市は「マスク着用など周辺住民に対する注意喚起は特に行わなかった」(放射能対策課)。取材に応じた職員は、なぜ注意喚起が必要なのか理解できないという表情でこちらを見ていた。

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(上)3日に予定されていた山開きは中止が決まった

(中)地元商店街の告知にも「中止」の貼り紙

(下)現場を訪れた仁志田市長。「被曝を防ぐような

装備は無い」と語った=伊達市霊山町山野川


【ベラルーシでは薬剤散布】

 伊達市の仁志田昇司市長は1日、火災現場の「徳が森」を訪れ消防関係者から報告を受けた。声を掛けると「山の中は0.4μSv/hくらい?まあ、消火活動で吸い込む可能性はゼロでは無いけれど、そういう装備は無いからね」と話して車に乗り込んだ。

 同県田村市の原木シイタケ農家は2013年秋に仲間と「ベラルーシ森林研究所」を訪れた際、山林火災による汚染の再拡散防止が重要な課題になっているとの説明を受けている。森林除染をせず、植林で汚染を封じ込めた。山林火災を防止するためにヘリコプターで定期的に薬剤を散布しているという。汚染が続く森からひとたび火の手があがれば、延焼だけでなく汚染の再拡散が懸念されるのが、原発事故から5年経った福島の現実だ。多くの人の努力で火は消えても、残念ながら汚染は残ってしまう。これ以上、汚染を拡散させてはいけない。


(了)

【南相馬訴訟】「20mSvで指定解除するな」~屋内外で変わらぬ線量。4万Bq/㎡超える土壌汚染

空間線量が年20mSvを下回ったことを理由に「特定避難勧奨地点」の指定を一方的に解除したのは違法だとして、福島県南相馬市の住民808人が国を相手取って起こした民事訴訟の第3回口頭弁論が28日午後、東京地裁で開かれた。準備書面を原告自身が説明をするという〝奇策〟で事実上の意見陳述を行った原告側は、屋内外で空間線量に差が無いこと、広範囲の汚染が今も続いていることを主張した。第4回口頭弁論は6月6日。



【「国の遮蔽係数は不当に低い」】

 「国が用いている遮蔽係数が不当に低いことについてお話しします」

 原告の1人、平田安子さんが法廷で語り始めた。裁判長はじっと平田さんを見つめながら聞いていた。実は、本訴訟では原告自身の意見陳述は裁判所に拒否されている。そこで、福田健治弁護士ら弁護団が利用したのが「準備書面を原告が説明する」という手法だった。これなら裁判所側も「準備書面の範囲内なら」と認めざるを得なかった。進行協議の場では「今後も構いません」と裁判所は言ったという。事実上の〝意見陳述〟だった。「原告の生の声が法廷に響くのは大切。作戦を変えようと考えました」(福田弁護士)。

 平田さんの自宅は、屋外の平均空間線量が0.19μSv/h。それに対し、屋内の平均空間線量は0.18μSv/hだった。つまり、屋内外でほとんど差が無いというわけだ。「窓やサッシ戸を開ければ、空気中に漂っている目に見えない放射性微粒子がチリやほこりと一緒に家の中に入ってきます。洗濯物や布団を屋外に干せば、放射性微粒子が付着して家の中に持ち込まれます。家の中の除染が行われたことはありません。原発事故からこれまでの時間の経過を考えれば、屋内外で空間線量が変わらないのは当然のことです」(平田さん)。

 原告に名を連ねている120世帯について、ボランティアグループ「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」が屋内と平均空間線量と玄関先と庭の平均空間線量を測定。遮蔽係数を計算すると0.81になったという。国の遮蔽係数は0.4だから、国は実際の汚染の半分しか考慮していないことになる。

 法廷では、平田さんの自宅のある南相馬市原町区片倉地区の空間線量を示したメッシュ地図も掲示された。住宅地図を南北100メートル、東西に75メートルに区切って空間線量を測定したが、同地区は、0.6μSv/hを超える地点が過半数に達した。国は一方的に特定避難勧奨地点の指定を解除したが、実際には今も広く面的に汚染されているのだ。平田さんは、裁判官にこう言って頭を下げた。

 「国の遮蔽係数が不当に低いこと、私たちの地域の空間線量が高いことを十分にご理解いただきたい」
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午前6時に南相馬市を出発して裁判所に駆け付け

た原告の中には「虫蛙鳥猿消えたこの里に住めと

言うの?総理大臣」と掲げた人もいた=東京地裁


【4万Bq/㎡以下は2世帯のみ】

 平田さんは、自ら「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」の測定に参加した。「本当のことを知るには自分で動くしかありません」。自宅の測定を心配そうに見つめていた老夫婦の姿が、今も忘れられないという。

 原発事故さえなければ、どこにでもあるような楽しい生活が送れていたはずだった。だが、子や孫は遠くに避難し、寂しさが募る。「子どもや孫が戻って来ても大丈夫かなあ?」。しかし、測定を始めると、老夫婦の期待を裏切るような数値が出た。2階の部屋は、0.28μSv/hに達した。畳表面の汚染は、1平方メートルあたり1万ベクレルもあった。「どうでした?」の不安そうに尋ねる老夫婦に、平田さんは測定結果を伝えることが出来なかった。「後日、書面で送りますね」と言うのが精一杯だった。心が痛んだ。決して他人事ではない。自身は茨城県つくば市に避難中。2人の娘は夫婦で新潟県などに避難している。平田さんもまた、放射性物質に家族を引き裂かれた1人だった。
 原町区押釜行政区で暮らす男性は、自宅が1平方メートルあたり10万~20万ベクレルに達するが「これでも低い方だ」と語った。「南相馬の土壌汚染は、酷い地点で1平方メートルあたり1億ベクレルにもなるんだよ。測定した原告206世帯のうち、放射線管理区域となる1平方メートルあたり4万ベクレルを下回ったのはたったの2世帯だけ。空間線量だけでは汚染を判断できないんだ」。

 高齢の母親を介護するため、原発事故から半年間は避難せず地元に残った男性は「因果関係は分からないけど、これまで病院になんかかからなかったのに白内障や糖尿病になった」と体調不良を訴えた。別の女性は、娘が3人を出産することになったが「里帰り出産が叶わない」と嘆いた。「年20mSvでは安心して住めない基準。負けられない裁判なんです」と力を込めて話した。

 国は「年20mSv以下は安全だ」と帰還を促すが、被曝への不安から若い世代ほど戻らない。「孫がいるが戻れる状態にない」、「若い人が戻らないから将来が暗い」と原告らは語る。菅野秀一原告団長も「年寄りばかりの限界集落になってしまったが、勉強すればするほど、とても戻って来られる状況ではない」とジレンマを口にした。
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(上)南相馬市原町区片倉地区は、空間線量は

依然として1.0μSv/hを上回る。「ふくいち周辺環境

放射線モニタリングプロジェクト」が測定した

(下)平田安子さんの自宅は、屋内と屋外で空間

線量に差が無かった。「屋内の方が被曝が低い

とは言えない」と法廷で訴えた=参議院会館


【「なぜ福島だけ年20mSv?」】

 原告らはこの日も、用意したバスで午前6時に南相馬市を出発。開廷前には、経産省前で「きれいな土を返せ」、「きれいな山を返せ」と訴えた。ある原告は「原発労働者は年5mSvで労災認定されるのに、なぜ福島県民だけは年20mSvで特定避難勧奨地点の指定が解除されるのか納得できない」とマイクを握った。多くの人が、横断幕に目をやることもなく、足早に通り過ぎて行った。あと何回、訴えれば霞が関の住人には伝わるのだろうか。
 閉廷後、参議院会館で開かれた報告集会で、原告でもあり「ふくいち~」のメンバーでもある小澤洋一さんは「除染作業員は年5mSv以上浴びてはいけないのに、私たちに関しては20mSv以下で大丈夫だと国は言っている。おばあさんが畑仕事をしている隣で、完全防護をしている作業員がいるなんておかしい」と国の方針を批判した。

 最近は、海外メディアの取材を受けることも多くなってきた。「こんな汚れた国でオリンピックなどやってはいけない」と話しているという。
 経産省前で抗議の声をあげる原告の背中に、こんな言葉が書かれていた。

 「虫(ホタル、コオロギ、トンボ)、蛙、鳥(スズメ、カラス)、猿消えたこの里に、住めると言うの?総理大臣」

 民を切り捨ててでも東京五輪で「原発事故の収束」をアピールしたい安倍晋三首相に、南相馬市民の問いかけが理解できるだろうか?

(了)

「ただ大切な人を守りたい」。歌に込められた原発避難者のいま~京都の上平知子さん作詞「あなたへ」

2011年の原発事故による放射線防護のため京都に避難した人々の間で、「私たちの想いをリアルに表現している」と話題になっている歌がある。「あなたへ」。避難者支援活動を続けている「京都ピアノとうたの音楽ひろば」代表・上平知子さんが、ピアノ教室などを通じて避難者と交流する中で完成した曲は、21日に京都市内で開かれた「京都と東北をつなぐ私たち・僕たちのコンサート」で披露された。3番まである歌詞に沿って、避難者のいまと、伴走してきた上平さんの想いを伝えたい。避難も支援も現在進行形。


【「支援者ではなく伴走者に」】

1)もう何度、満開の桜を見ただろうか

揺れるブランコ、絵本とおもちゃ、かすかなピアノの音

もうこんなに大きくなったと、

クローバー摘む子どもたちを見つめるお地蔵さま

ただ大切な人を守りたいと、ふるえる心でこの町に来た

私は今日も、この町で生きてゆきます

いつもいつも思っています。大切なあなたへ、あなたへ


 「心の傷は癒されることはありません。そこに寄り添いたいんです。支援者ではなく伴走者として。一つ一つは小さいけれど、それの積み重ねなんです」

 京都市・伏見区役所4階の青少年活動センター。コンサート準備の手を休めて、上平さんは語った。ここは2年前、ピアノ教室を始めた〝原点〟だ。

 2013年5月、ボランティアグループ「京都ピアノとうたの音楽ひろば」を結成。11月から、避難した親子を対象にピアノ教室を始めた。昨夏からはバイオリンも加わった。現在、ピアノ25人、バイオリンは5人の生徒がいる。

 京都府職員として20年以上、働いてきた。避難をためらう男性の気持ちは痛いほど良く分かる。「自分が福島県庁の職員だったら…。やっぱり動けないと思う」。福島に残って働く裏には、生活を支えるという覚悟があるのかもしれないとも考える。事情はそれぞれの家庭で異なる。だから、避難者には定住も帰還も促さない。「つらいと思うけれど、それは家族で決めることです。他人がとやかく言うことではない」。阪神大震災後には、公務員として、ボランティアとして被災地に赴いた。

 ピアノ教室に通ってくる子どもたちにも、自分から話してくれるまでいろいろと尋ねることはしなかった。話してくれるのを待っていた。信頼関係が出来ると、子どもたちは家族のことや学校のことを話してくれるようになった。福島に1人残った夫を想う妻の気持ちを耳にした。一部の避難者が参加している原発賠償集団訴訟も何度か傍聴した。こうして昨年10月、オリジナル曲「あなたへ」は完成した。

 一口に「避難者」と言っても十人十色。歌詞に描かれた風景が全てではない。そっとしておいて欲しいと話す人もいる。「何かをアピールするための曲ではないんです」。上平さんが出会った等身大の避難親子を綴った。京都府には約700人の避難者が暮らしており、うち7割が福島県からの避難。しかし「そういう現状を知らない人も多い」と上平さんは話す。

 「いま、お母さんたちは来年4月以降の住まいで頭が一杯。中には福島に戻るという選択をする家庭もあるでしょう。今後の支援活動はどうなるか具体的には分からないけれど、避難者と伴走していきたいです」

 コンサートでは、ピアノ教室の生徒たちも練習の成果を披露した。一人一人のそばに「知子先生」はいた。子どもたちの伴奏をしているかのようだった。
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(上)「あなたへ」を作詞した上平知子さん。

ピアノ教室などを通じて避難者支援を続けている
(下)作曲を担当した重吉和久さんとのユニットで

曲を披露した=京都市・伏見区役所


【避難者同士つながり、故郷とつながる】

2)たくさんの住宅の群れにも慣れてきた

お茶とお菓子とミシンの音。つながる笑顔の部屋

もうこんなにも時が経ったと

遠い町へ祈りこめて、ともす灯篭の火

あの町で生きるあなたに毎朝、心の中で「いってらっしゃい」と

離れていてもあなたは私の誇り

いつもいつも想っています。愛するあなたへ、あなたへ


 福島県から京都に避難中の母親らでつくる「笑顔つながろう会」。代表の高木久美子さんは昨秋、上平さんから受け取ったCDで曲を聴き「涙が止まらなかった」と話す。「私たちの気持ちを汲んでくれている歌詞で、ジーンときちゃいました。絶望でも希望でもなく、今を歌にしてくれています」。

 毎月開いている「お裁縫会」で手芸品をつくり、販売した収益で西日本の米や野菜を福島に送り届けている。「安全な食」を届けることが主眼になっているのはもちろんだが「届けることでつながりが生まれるんです」と高木さんは話す。特に政府の避難指示が無いというだけで〝自主避難〟と分類される人々の場合、放射線防護に対する考え方の違いから、避難を機にそれまでの友人関係が壊れてしまうケースも少なくないからだ。「食材を通して京都を感じてもらい、それが『京都に遊びに行ってみようかしら』という促しになれば良いですね」(高木さん)。

 昨年の発送後、福島や茨城などから「たくさんの野菜をありがとう」とメールや電話で寄せられた。避難中の妻からは「福島の夫からメールが届いた。ちゃんと食べているのが分かってうれしかった」との報告もある。南相馬市の幼稚園は「園児たちに食べさせたい」と喜んだ。二本松市の女性は「子どもが甲状腺疾患の経過観察中」と不安を吐露した。避難先から須賀川市に戻った女性は「地元の食材しか手に入らないからありがたい」と感謝の言葉を綴った。

 米や野菜、味噌と一緒に「あなたへ」のCDも送った。「歌詞を読んだだけで泣いてしまった」というメッセージが返ってきた。二番の歌詞に登場する「お茶とお菓子とミシンの音」は、まさに「笑顔つながろう会」のことだ。避難をしても、故郷を捨てた訳では無い。わが子や夫。それぞれの「あなた」を想いながら、避難生活は続く。
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(上)「常磐炭鉱節」など福島民謡を歌った

日本民謡若竹会

(下)京都の路地には、至る所にお地蔵様が

祀られている。福島からの避難母子もお地蔵様に

見守られている


【救われた老夫婦の声がけ】

3)1週間が10日になり、気が付けば5年が過ぎた

原告席で仲間と一緒にこぶし握る私

なぜ今、私がこの場所にいるのか

自分でも分からない。ただ普通の母親だったのに

悲しい時も辛い時も、そばには私を支える人が居る

私はいつも信じてる。ひとりじゃない、と

いつもいつも思っています。あの町のあなたへ。この町のあなたへ

愛するあなたへ。あなたへ
 

 「上平さんの歌詞には、私たち母親の気持ちが具体的に、リアルに表現されていますね」

 京都府内の公営住宅に住む30代のAさんは2012年6月、福島県いわき市から2人の子どもと共に避難してきた。「子どもの身体への悪影響が心配で離れることにしました。原発事故もいまだに収束していないですしね」。息子は小学校5年生、娘は3年生になった。

 見知らぬ土地での子育て。「何かあったら遠慮なく言って」。隣室の老夫婦がかけてくれた言葉は、何よりも心の支えとなり、孤立せずに済んだ。今ではカギを預けるほどになった。母子家庭で働きながら子育てをし、「原発賠償訴訟・京都原告団」の1人として国や東電と争っている。頼れる人の存在は何物にも代えがたい。

 「家賃を払うので、今の住まいで暮らし続けたいんですけど…」
 当然の願いはしかし、福島県が2017年3月末で住宅の無償提供を打ち切る方針を決めたことで、叶わなくなってしまった。転居すれば、ようやく築けた人間関係を失うことになる。京都府は、公営住宅からの退去期日を「避難による入居から6年」と定めている。Aさんは2018年6月までは猶予があるものの、それでも1年間延びるだけ。「新たな住宅支援策」の説明会のため京都を訪れた福島県職員に「何があっても、絶対に絶対に方針は覆りませんか?」と迫ったが、職員はあっさりと答えたという。「絶対に覆りません」。
 いわき市には帰らない。「今まで全てが事後報告でした。まだ国や行政、東電の言うことを信用できないんですよ」。京都での定住を考えているだけに、住まいへの不安で頭が一杯だ。原発事故さえなければ、Aさんも
避難や訴訟をする必要のない「普通の母親」だったのだ。


(了)

母の決意、父の誓い。「ずっと守ってあげるからね」~わが子の放射線防護に奔走した5年間

原発事故で福島から避難した父親や福島に残って放射線防護に奔走する母親らが20日、都内で開かれた「ちくりん舎シンポジウム」で5年間の苦悩を語った。共通するのは「わが子を被曝のリスクから守りたい」という想い。そして、子どもを守ろうとしない国や行政への怒り。親戚や友人から「変わった人」、「恥さらし」と言われても、わが子のために闘い続ける親たちの声は、ともすれば原発事故などなかったかのように毎日を送ってしまう私たちに、鋭い刃となって突き刺さる。



【腕を痛めるまで雑巾がけ】

 福島県外に避難しなかったからといって、被曝のリスクに無関心でいるわけではない。むしろ、わが子のために出来ることは全力でやってきた。福島県伊達市の菅野美成子さんは「毎日が闘いの日々です」と語った。

 国や行政、学校の理不尽さばかりだった5年間。購入してわずか2年の自宅は、特定避難勧奨地点に指定された。市内で最も放射線量が低いとされる地区への避難。タクシーでの通学支援を受けられるため転校せずに済んだが、小学校低学年だった長男は「避難なんて絶対に嫌だ」と布団の中で泣きじゃくった。これでは転校を伴う県外避難などとても切り出せない。しかし、汚染を理由に移転すると期待した小学校は、同じ場所で授業を再開。わずか1年で校内マラソンまで実施した。学校だよりには「179μSv/hあった敷地が除染で3.9μSv/hにまで下がりました」などと書かれていた。

 「気が狂いそうな日々でした。尿など様々な検査を受けさせました。保養にも連れて行きました。雑巾がけが放射線防護に有効だと聞けば、手が曲がらなくなるまで何度も室内を拭きました。学校を信じては子どもを守れないと思いました」
 わずか5日間の除染作業で汚染は解消されぬまま、半年ほどで勧奨地点の指定は解除された。自宅周辺には次々と除染汚染物の仮置き場が造られた。自宅には戻らず、市教委がタクシー支援を打ち切ったのを機に長男は断腸の思いで転校を決意した。しかし「お母さんに心配をかけたくなかった」と頑張っていた息子が原因不明の高熱で入院。菅野さん夫妻は新居の購入を決意する。比較的放射線量の低い「Cエリア」も全面除染する、と市長選で公約に掲げた仁志田昇司市長への期待もあった。だが、仁志田市長は当選後、「全面除染するとは言っていない」と3μSv/h以下の住宅除染を拒み続けている。

 「土に触っては駄目、座っては駄目、食べては駄目。駄目駄目駄目の生活は、3人の子どもにとってどんなにつらかったか…」

 菅野さんは涙をこらえて振り返る。子どもたちは小学校の学校給食用に、ご飯を自宅から持参し続ける。全校で菅野さんの家庭だけだ。長男は4月から中学生。どうするか、まだ決まっていない。皆と同じご飯を食べたいという息子の気持ちも理解できる。正論だけでは生きて行かれない現実との葛藤は、今後も無くならない。

 「今、福島で放射線を意識して生活することは周囲からは変人のように見えるかもしれません。でも、私は胸を張って声をあげています。放射線を意識して生活していると言います。子どもたちにも胸を張って生きて行って欲しいから。決して復興、復興という言葉に惑わされないでください」

 1人の声は小さい。でも、あきらめたら子どもを守れない。福島の友人からは、こんなメッセージを預かってきた。

 「ブレることなく、同じ思いの人達と踏ん張り続けて行きます。福島を気にかけてくださり感謝しています」

 決して独りじゃない。
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涙をこらえながら「毎日が闘いの日々です」と話した

福島県伊達市の菅野さん


【「誰も守ってくれない」】

 悩んでいる暇はなかった。気付いたら動いていた。郡山市から東京都内に避難した星ひかりさんは「この国に『避難の権利』はない。自力で生きて行けと迫られる。子どもを守るって本当に大変なこと」と話す。

 郡山では、生活保護を受けながら2人の子どもと3人で暮らしていた。未曽有の大地震で身を寄せた避難所で原発事故を知った。開成山公園には当時、給水車に長い列が出来た。誰も、高濃度の放射性物質が降り注いでいることなど知らなかった。何時間も並んだ。避難所では、双葉町や大熊町からの避難者だけが別の避難所に移動して行く。何かが起こっている─。3月16日には、妹を頼って都内に避難した。〝自主避難〟の始まりだった。

 「とにかく子どもを守る、ということだけで動きました

 環境の変化に戸惑っている余裕も無く、家や仕事探しに奔走した。小学校6年生だった娘には、卒業式にだけは出させてあげたいと一時戻ったが、手続きに訪れた市役所の職員は冷たかった。「あなたの勝手で転居するのだから費用は出せません」。転居費用も家財道具もほぼ全て自力で揃えた。日本赤十字社から「家電6点セット」をもらえると知ったのは、買い揃えた後のことだった。東電から受け取った賠償金は、3人でわずか128万円。悔しくて1年間は受け取らなかったが、生きて行くためと手続きに応じた。「わたしの命は8万円」、「ばかにすんじゃねえ!」。怒りを詩で表現した。

 「私が倒れたら子どもは誰が守るのか?」。いつもそう考えている。だが、福島県が住宅無償提供の打ち切りを決めたため、来年4月からは家賃負担が生じる。母子家庭にはつらい仕打ちだ。「誰も守ってくれない。多くの方とつながらないと子どもを守れません」。
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南相馬市の小澤さんは土壌測定の結果を基に

「不用意に福島に入らないで」と呼びかけた

=武蔵野公会堂


【「親戚の恥さらし」と言われても】

 南相馬市の小澤洋一さんの自宅は、特定避難勧奨地点に指定されなかった。「隣の家はNHK受信料も電気料金も免除だ」。しかし自宅周辺の土壌は、依然として1平方メートルあたり23万ベクレルを超える。「そりゃ避難したい。でも出来ない。それぞれに色々と事情があるんです」。

 「女性自身」の取材に協力し、福島県内小中学校近郊の土壌に含まれる放射性セシウム137を測定。2011年3月15日の数値に換算したところ、南相馬市で13万9000ベクレル~17万5000ベクレル、福島市で50万ベクレル超、会津若松市でも24万ベクレルを超えた個所があった(すべて1平方メートルあたり)。汚染はコントロールなどされていない。「食べて福島を応援しないでください」、「不用意に福島に入らないでください」と呼びかけた。

 長谷川克己さんは2児の父。2011年8月、郡山市から静岡県内に一家で避難した。避難を決めたことで後ろ指をさされることもあったが「この子は自分たちで守ると思えば平気だった」。だが本来は、国の責任で子どもたちを逃がすべき。挙げ句に年20mSv以下は安全として帰還を促している。「まるで被曝など無かったかのような所業だが、この理不尽に必ずけじめをつけてみせる」と誓った。

 最近、こんな詩をつくった。

 「放射能は、この子たちの体をもう侵し始めているのだろうか。体の中に入ってしまったのだろうか。全部もらってあげる方法はないのだろうか」

 小学校5年生になった息子は昨年、3月11日が何の日か多くのクラスメートが答えられなかったことに悔し涙を流した。「僕が1年で一番嫌な日なのに、皆が覚えていなかったことが悔しい」。当事者にしか分からない苦悩を少しでも理解してもらいたい。それが、長谷川さんが「親戚の恥さらし」と言われても講演を続ける理由の一つだ。

 映画「A2-B-C」などで福島の実情を世界に伝えているイアン・トーマス・アッシュ監督は言う。「何で避難しないの?危ないなら福島から外に出ればいいじゃん。初めは簡単に考えていました」。理屈抜きに動いた人。家庭の事情で動けない人。それぞれの立場で5年間、わが子を放射線から守ろうと取り組んできた。そして、これからも。放射線防護に「節目」も「東京五輪」も関係ない。

 長谷川さんの詩は、こう結ばれている。

 「お父さんとお母さんが、ずっと守ってあげるからね」

 「先に死んでしまっても、ずっとずっと守ってあげるからね」



(了)

【自主避難者から住まいを奪うな】原告団潰しにもつながる打ち切り~千代田区議会は継続求める意見書

福島県から東京都内への避難者の集団訴訟「福島原発被害東京訴訟」の第16回口頭弁論が16日、東京地裁で開かれた。国や東電を相手取る争いが長期化する一方、「自主避難者」である原告は住宅支援の打ち切りという〝敵〟との闘いも強いられている。避難者減らしに加え、原告団潰しにもつながる住宅問題。打ち切り撤回を求める署名は6万筆を超えた。一方、千代田区議会が国に支援継続を求める意見書を提出。避難者への「追い風」となるか、注目される。



【6万超える署名も無視か】

 都営住宅に暮らす熊本美彌子さん(73)は、来年4月以降、どこで落ち着いて生活できるか何も決まっていない。「都職員の話では、今の都営住宅には来年3月末までしか住んではいけないという。でも、4月以降どうすれば良いかというと何も無い」

 東京に生まれ育ち、還暦を機に「自然豊かな土地で」と、福島県田村市に移住した。「田舎暮らしは良かったですよ」。しかし、それも10年足らずで終わらせざるを得なかった。原発事故で「Uターン」。集団訴訟「福島原発被害東京訴訟」の原告として、国や東電と闘っている。しかし〝敵〟は住宅を取り上げるという形で、熊本さんら原告に名を連ねる避難者を追い込もうとしている。

 「都営住宅に入居するには、20倍もの倍率をくぐり抜けなければいけません」。路頭に迷うのではないか…。日々、不安が拭えない。

 別の原告は言う。「家賃を支払うと言ってるのに、今の家に居させてもらえないんです。せっかく住めるようになった家を追い出されてしまうんです。無茶苦茶です」。

 今月14日には、全国の避難者が住宅無償提供打ち切り撤回を求める署名を内閣府や復興庁に提出した。署名は実に6万4041筆に上った。しかし、国は「福島県が決めたこと」と責任転嫁する形で打ち切り撤回を拒み続けている。福島県も、打ち切り決定の理由を「6年が限界」(避難者支援課)と繰り返すばかり。何度、避難者が頭を下げても方針見直しに応じない。

 「自立」を錦の御旗に避難者を追い詰める背景には、4年後の東京五輪を見据えた「避難者減らし」がある。世界に原発事故からの復興をアピールしたい安倍政権にとって、避難者の存在は邪魔でしかないのだ。

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(上)熊本美彌子さんも原告の1人。今の都営住宅

で暮らせるのは来年3月まで。4月以降の住まいは

「何も決まっていない」

(下)医学博士の崎山比早子さん。低線量被曝の

人体への影響について、意見陳述する予定だ

=弁護士会館


【国を訴えたら身内から「面汚し」】

 「住宅問題で、全国各地の原告団が崩壊しかねない」

 「福島原発被害東京訴訟」の原告団長、鴨下祐也さん(47)は危機感を募らせる。生活に基盤である住まいが安定していなければ、裁判どころではなくなってしまうからだ。

 口頭弁論はわずか16分間で閉廷。次回期日は2カ月後だ。原告自身の尋問が行われるのは、冬頃になりそう。専門家の尋問も予定されている。原告弁護団はこの日、国や東電の責任論について意見陳述した。国際原子力機関(IAEA)が2015年8月に公表した、原発事故に関する「事務局長報告書」を挙げ「原子力利用を推進する側のIAEAが『安全対策が不十分だった』と結論付けている点は注視・尊重されるべきだ」と主張した。遅々として進まないように見えるが、被害の実態、国や東電の不作為を裁判長に正しく理解させ裁判に勝つためには、気が遠くなるような時間が必要なのだ。

 ただでさえ、国や東電を相手に闘う原告の立場は弱い。「いじめられる」と語る原告さえいる。「避難者でいる間は周囲から優しくしてもらえたのに、原告になった途端に冷たくされた人がいる。原告団長に就いたことで『一族の面汚し』と身内から罵倒された人もいるほどです」。今回は、原告自身の意見陳述はなかった。もちろん、人前で話すのが苦手な人、日々の生活に精一杯な人など事情は様々だ。だが、被害者が声をあげにくい状況にあると原告らは強調する。

 「だからこそ全国各地の訴訟が連帯する必要があるのです」。弁護団の内田耕司弁護士は話す。担当弁護士同士で連絡会をつくり、各訴訟での成果を共有することで勝訴を目指すという。

 南相馬市の男性が東電に1180万円の慰謝料を求めた訴訟で、東京高裁は今月9日、「年間20mSvの被曝で健康被害は認められない」として請求を棄却した。たった1人で東電と争う姿勢は素晴らしいが、一方で強大な敵と闘うには数の力も必要だと指摘する弁護士もいる。住宅支援打ち切りで原告団が分断されれば、喜ぶのは国や東電だ。内田弁護士は「一番つらいのは原告。1人1人の原告を支えてください」と支援者に呼び掛けた。
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原発事故への関心が低下する中、支援者らは

無視をされても頭を下げてチラシを配った。

無関心は、原発事故被害者をますます孤立

させてしまう=東京地裁


【「居住継続できる支援策を」】

 この日、画期的な意見書が安倍晋三首相や内堀雅雄福島県知事らに宛てて提出された。東京・千代田区議会が「東日本大震災自主避難者への支援拡充を求める意見書」を全会一致で可決したのだ。

 意見書は、「経済的にも子どもの教育環境からも、なんとか現在の住居に住み続けたいとする声が寄せられています」としたうえで「住宅の供与の延長も含め、今後も負担無く居住継続できる支援策を」と求めている。千代田区議会事務局によると「住宅問題に特化した意見書は初めて」という。

 避難者らの地道な訴えが、ようやく1つの形となった。もちろん、この意見書がすぐに大きな成果につながるものではない。しかし、権力側が一方的に期限を区切っている以上、愚直な取り組みを続けるしかない。残念ながら、この国には「避難の権利」は無い。

 「国策である原発の事故でこういうことになったんです。国には私たち被害者に住宅を提供する義務があります。あきらめません」
 熊本さんは力強く語った。



(了)