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【Cエリア除染】除染求める請願を「趣旨採択」で逃げた伊達市議会~物言えぬ議会への失望

福島県・伊達市議会本会議が16日午前、開かれ、Cエリアの全面除染を求めて市民から出されていた複数の請願について「趣旨採択」した。採択でも不採択でもない玉虫色の決着に、Cエリアに住む母親らは一様に失望する。「Cエリアは安全」と言い続け、頑なに除染を拒む仁志田昇司市長。市議会までもが、市民に寄り添わず市長の顔色を伺っているようでは、移住の難しい母親らは立ちすくむしかない。「気持ちは分かる」では被曝は避けられないことを、市議らはご存じか。



【実現性の面で確信が持てない?】

 伊達市議会は、あいまいで、しかも自分たちの体裁には傷のつかない卑怯な方法を選択した。 

 「趣旨採択」。

 議会事務局によると「『趣旨採択』の定義はないが、地方議会の用語辞典では『請願の趣旨は妥当だが、実現性の面で確信が持てない』と記載されている」という。最近では、今年の9月議会に提出された「『原発再稼働の中止を求める意見書』の提出を求める請願」が趣旨採択とされている。

 Cエリアの全面除染を求める請願は9月に1件、11月に2件、計3件出されたが、全て趣旨採択。総務生活常任委員会の佐藤実委員長は「放射線量が下がっており、全面除染は不要という声も委員会での中ではあった」、「請願を採択すべきという委員は2人しかいなかった」と経過報告。これに対し、高橋一由議員(きょうめい)は「実に残念な議会だ。除染をやれと言えない議会は何なんだ。市民は納得しない」と発言。近藤眞一議員(共産)も「趣旨採択でなく採択するべきだった」と批判した。

 請願では、提出者がそれぞれの想いを「8000ベクレルに近い土壌汚染が見つかった個人宅もある」、「汚染が放置されたままのCエリアでは外部、内部の被曝を懸念し普通の生活を送れずにおります」などと綴っているが、本会議での質疑の中で、佐藤委員長は「低線量被曝など、細かい文言については委員会では審議しなかった」、「細かい文言については審査はしていない」と述べ、高橋議員が「請願を軽微に扱っていることが露呈した」と指摘する場面もあった。

 実は同市議会は2014年7月23日、Cエリアの全面除染に関し、当時の議長名で「住宅除染を希望した世帯の対応を優先して実施すること」など5項目の申し入れを仁志田昇司市長に対して行っている。それから1年以上が経ち、議員たちの考えは大きく後退したのだろう。他県で避難者サポートに従事している女性は「議員さんたちが視察に来た際、『Cエリアも除染してもらわないと帰れない』というお母さんたちの声を聴いていたはずなのに…。その時の議員さんも趣旨採択に賛成して起立しているのを見て驚きました」と傍聴席で残念そうに話した。

 請願を採択して市当局に除染を求めるわけでもなく、不採択して市民の訴えを一蹴するわけでもなく、「気持ちは分かるが…」という玉虫色決着。Cエリアの除染に消極的な仁志田市長はさぞ、満足だったろう。
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市民からの請願を「趣旨採択」とすることに賛成して

起立する議員たち。昨年、議会としてCエリアの除染

加速化などを市に申し入れたが、大きく後退した

=16日、伊達市議会


【地表3μSv/h未満は対象外】

 「気持ちは分かるって言われてもねえ…。目の前にある汚染はどうしてくれるんでしょうか」

 請願が「趣旨採択」となったと知り、Cエリアに暮らす母親らは一様に落胆の色を隠せなかった。

 静岡県内に母子避難した母親は「だまされた」と振り返る。

 「避難先に届く市政だよりには『除染がんばってます』というような事が書かれていて、てっきり、戻ってきたら自宅の除染は終わっているものと思っていました。ところが全く手つかずじゃないですか。場所によりますが、今でも自宅周辺には0.4μSv/hもある場所があります」

 仕事の都合で福島を離れられない夫を残しての母子避難。「伊達市を出る時は『こんなに放射線量が低いのになぜ逃げるんだ』と町内会長に言われました。そのまま移住するのが一番良いのかもしれないけれど、子どもにとっては両親が揃っている方が良いし、経済的な問題もありますし…」。広報紙の文面に託した淡い期待はしかし、残念ながら叶わなかった。
 気の合うママ友たちで集うクリスマス会。走り回り、お絵かきするわが子を見守りながら、別の母親は「今、住んでいる人を大事にしないで、伊達市に未来なんてあるの?」とつぶやいた。

 「私は福島市に住んでいて、山形県内に一時避難していました。戻るにあたって、別の市に転居しないと民間借り上げ住宅として認められない。福島市に戻っては自費で借りないといけないんです。そこで伊達市を選んだのが間違いでした」

 伊達市の除染実施計画第2版では、Cエリアは「年間積算線量が1mSv以上5mSv未満」と定義され、「伊達、保原、梁川など約1万5600世帯」が該当するという。「ホットスポットを中心とした除染を行う」と記載されているが、実際には地上1㎝の高さで3μSv/h以上が計測されないと対象とならない。先の母親は「自宅周辺は0.6μSv/hもあるのに除染の対象とならないんです。一度、市職員が測りに来たけれど、説教でもするように安全性を散々、語って帰って行きました」と憤る。屋根や雨どいの除染を行うことも考えたが、全て自費になってしまうのがネックになる。行政へ除染を求めることは、決してわがままではない。
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伊達市役所周辺には、Cエリアの全面除染を求める

のぼりが立てられている。しかし、仁志田市長は一貫

して「Cエリアは全面除染の必要ない」と拒み続けている


【「必要なのは『心の除染』」】

 2013年から発行されている「だて復興・再生ニュース」。仁志田市長は毎号書いているコラムの中でCエリア除染をたびたび取り上げ、否定的な見方を示し続けている。

「Cエリアにおいては全面除染の必要はなく、いわゆるホットスポットを除去すれば大丈夫」

「基本的に年間5mSv以下であって、放射能被曝対策は迅速であらねばならないことからも、ホットスポットの除去を迅速に行うことが現実的である」

「Cエリアでは、累積被曝線量が概ね1mSv未満であったことを確認しております」

「1㎝の高さで3μSv/hという基準が高すぎるという意見を多数いただいていますが、これも誤解がある」

 さらには、国の示した除染基準0.23μSv/hを「無用な不安を市民に与えている」と批判。「今、必要なのは『心の除染』」などと綴ってきた。

 市は2014年、Cエリア住民の意向調査を実施。同年2月末時点での集計では、回収率がわずか29.2%ながら回答した人のうち68%が「不安」と答え、45%が除染の実施を求めた。しかし、その後も仁志田市長は「(放射能への)過剰な拒否反応は良くありません」、「(市民に)除染の役割に大きな誤解と混乱がある」、「伊達市のように1mSv/年以下の現状から見ると、放射線による健康被害は無視できる程度」などとコラムに記載し続けた。

 さらに「(除染費用は)回りまわれば我々納税者の負担」、「(仮置き場が)確保できずに道端やあちこちに野積み状態にでもなれば、ますます風評被害の原因になる恐れさえある」として、「Cエリアの全面除染は行うべきではありません」、「識者の意見をもとに放射能対策を進めています」と市民の要望を完全拒否しているのが実情だ。
 頑なに除染を拒む仁志田市長。それでもあなたはCエリアに住み続けますか?



(了)

【自主避難者から住まいを奪うな】避難継続者切り捨て、帰還者優遇改めて明確に~京都の避難者は直訴状

原発事故による被曝の危険性から逃れようと、福島県から東京や神奈川、京都に避難している自主避難者たちが15日、福島県庁を訪れ、国や福島県が打ち出した2017年3月末での住宅支援打ち切り撤回を改めて求めた。2900筆を超える署名も提出したが、県避難者支援課は間もなく、期間限定の家賃補助などの〝支援策〟を公表する予定。しかも、公表後に意向調査を実施するという。当事者の声が反映されないまま、非情な切り捨てが着実に進んでいる。秘書から手渡されたであろう直訴状を、内堀雅雄知事は真摯に受け止めるべきだ。



【「福島では普通に生活している」】

 「お気持ちは分かりますけれども、福島県内においても普通に生活しているというのがある」

 なぜ自主避難者だけが切り捨てられるのか。理詰めで次々と問われた福島県避難者支援課の幹部は、答えに窮した挙げ句に、とうとう本音を口にした。もはや汚染も被曝の危険性も無いのに、過剰に心配して勝手に福島県外に逃げ続けている─。県庁としてそう考えていると受け取られてもやむを得ない発言に、自主避難者たちは騒然となった。しかし、幹部には暴言との認識はなく、発言の撤回も謝罪もない帰還推進という国との共通認識を言葉にしただけなのだろう。「避難指示区域は、まだ帰れる状況にない」とも続け、強制避難者との差別化を図っている姿勢を見せた。

 実際、竹下亘復興大臣(当時)も今年6月、参議院の「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」で「ずっと帰らなくて良いよ、という前提で復興を進めているわけではない」と答弁している。国も福島県も、自主避難者への支援を縮小して福島県への帰還を促そうという意思は明確なのだ。

 「普通の生活?これだけ汚染していて何が普通の生活だ」、「何も好きで逃げているわけでは無い。危ないから、子どもを守りたいから逃げているのに、その言い方はなんですか」、「私たちは悪いことをして追い出された犯人じゃ無いんですよ」

 避難者たちから怒りの言葉が県職員にぶつけられた。しかし、幹部には響かない。自主避難者切り捨てという結論ありき。県職員は、このような要請があるたびに、何度も「ご意見として承る」と口にするが、施策には反映しない。ガス抜き。2時間近く、自主避難者たちから怒りを浴びせられた先の避難者支援課幹部は、散会となるや真っ先に部屋を後にした。顔は真っ赤だった。唇をかみしめていた。原発事故被害者に寄り添うという表情では無かった。これが「被災者の生活再建を支援する」とうたう避難者支援課の素顔なのだった。
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「もはや正攻法では切り捨てられる」と、京都に避難

した福島県民が内堀知事宛ての直訴状を用意した。

しかし、直接手渡すことはできず、秘書課長が代理

で受け取った。


【支援策公表後に意向調査?】

 自主避難者たちの要望はシンプルだ。住宅支援打ち切りを撤回すること、避難先にとどまる県民と内堀雅雄県知事との意見交換の場を設けること。だが、福島県に支援打ち切りを撤回する意思はない。住宅支援が打ち切られれば、特に公営住宅に入居している避難者は退去を求められることになり、民間賃貸住宅への転居費用などが重くのしかかる。福島県は既に、避難先から県内へ帰還する人には転居費用として10万円を助成する方針を打ち出しているが、この日の交渉で避難者支援課幹部は「敷金や礼金についてはどこまで支援できるか検討しているが、引っ越し費用については厳しい」との見方を示した。

 なぜ帰還者と避難先にとどまる者とで差をつけるのか。「財源の問題もある」と口にしたが「財源があれば転居費用も出してもらえるのか」との問いには答えない。帰還推進に伴って自主避難者は切り捨てられる。地元紙はこの日、避難先にとどまる自主避難者について支援打ち切り後2年間に限って福島県が家賃補助を行うと報じたが「具体的な数字は言えない。年内に公表する」の一点張り。自主避難者の収入を詳細に調べ、シミュレーションを行って真の自立に必要な期間を算出しているわけでもない。しかも、今後の支援策を公表した後に、自主避難者たちの意向調査を行うというのだ。

 「年明けにも、今後の生活、住まいについて、どのように考えているか意向調査を行います」

 年内に詳細な支援策を発表しておいて、その後に当事者の意向調査を実施するという矛盾。「意向調査の結果を参考にするのなら、支援策の年内公表を中止して欲しい」という声にも「年内公表は決まっていること」と耳を傾けない。神奈川県に避難している男性が「そもそもなぜ、政府の指示に拠る避難か否か、区域内か区域外かで差別するのか」と質問しても答えられない。郡山市から川崎市に避難中の女性が、我慢できぬと声をあげた。

 「自宅に帰れるのなら、10代の娘を連れて帰りたいですよ。でも、敷地内に汚染物がある。娘は戻せません。好きで避難先にとどまるのではないですよ」

 避難者支援課の幹部はうなずきながら聞いていたが、住宅支援延長に関してきっぱりと拒否した。

 「区域外については、平成29年3月末で終了です」
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2900を超える署名を添えて、改めて住宅支援打ち

切り撤回を求めた自主避難者たち。涙を流し、頭を

深々と下げても「自主避難者切り捨て」の大前提は

覆らない=福島県庁自治会館


【避難者と会わない内堀知事】

 内堀知事に直接、想いを伝えたい─。担当職員との交渉では埒が開かないと、京都に避難した人々が半紙に認めた直訴状を用意。知事室を訪れた。
 「5月から何度も求めて来たのに無視されてきた」。アポなしでの直撃は一見、荒唐無稽な手法だ。当然、秘書らは「公務中」を理由に知事との面会を拒んだ。しかし、避難者たちも生活がかかっており、簡単には引き下がれない。正攻法では切り捨てられてしまう。直訴状には血判を押した人もいた。廊下には、5人の守衛が待機して事態を見守ったが、声を荒げているわけでも暴れているわけでもない。30分ほど押し問答を繰り返した末、秘書課長が代理で受け取り、知事に必ず届けると約束した。

 関西だけではない。首都圏の避難者たちも内堀知事との面会も2回、申し入れたが返事はなかった。「ぜひ機会を作って欲しい。このままでは、何度もこうやって押しかけなければならないですよ」。

 避難者に寄り添うと公言する内堀知事。しかし、当事者たちと会おうともせず一方的に切り捨てる。京都の支援者の言葉が自主避難者たちの危機感を如実に表していた。
 「首をくくる人が出たらどうするんですか?そうならないために、こうやってお願いしているんですよ。避難先にとどまりたいという人たちを路頭に迷わせないでください」


(了)

【銀座であんぽ柿PR】「福島県産は食べたくない」は「風評加害」か?「消費者の当たり前の用心」か?

「風評被害」。福島第一原発が爆発して以来、一体どれだけ使われた言葉だろうか。国も行政も「食べて応援」を掲げ、ともすると「買わない消費者」が過剰に内部被曝を恐れているかのような風潮は消えない。原発事故から4年9カ月。追加被曝を避けようと「福島産」に手を伸ばさないのは「風評加害」なのか。東京・銀座でPRを始めた福島県伊達市のあんぽ柿農家の話を軸に、風評について改めて考えたい。



【「測っているのは福島だけ」】

 「風評被害というのは現実に存在すると思いますよ。大手スーパーが扱ってくれなかったりというのはありますから。でも、買ってくれないからといって消費者を責めるようなことはしません」

 福島県伊達市梁川町の農家で、JA伊達みらい「あんぽ柿生産部会」部会長を務める宍戸里司さんは語った。都営浅草線・東銀座駅からほど近いビル10階のテラス。背後には松屋や三越などの看板が見える。NPO法人「銀座ミツバチプロジェクト」の協力で伊達産の柿を1月まで吊るし、原発事故で売り上げが落ち込んだあんぽ柿をPRしようと上京したのだった。

 60代の宍戸さんは、農家の4代目。物心ついた頃からあんぽ柿に接してきた。第一次大戦で生糸の価格が暴落したのを機に、養蚕農家が生産し始めたというあんぽ柿。酸化防止のため、干す前に硫黄で燻す技術は同町の発祥と言われる。「90年以上も生産が続いてきたのは、やっぱり美味しいからですよ」。宍戸さんは素早い手つきで柿をむきながら話した。

 伊達市農林業振興公社によると、柿は乾燥すると放射性濃度が3倍に濃縮されるため、幼果期、収穫前、箱詰め後の3回、検査を実施。1kgあたり50ベクレル以下であることが確認されたものだけを出荷しているという。同公社幹部は「どうしても単語としては『風評払拭』ということにはなってしまうが、なかなか一言では言い表せるものではなく難しい。消費者に理解をしてもらって、食べていただきたい」と慎重な言い回しだが、こんな本音も吐露した。「測っているのは福島だけですからね。他県のあんぽ柿の数値はどうなんでしょうか」。

 あんぽ柿は、道行く人にPRするためビルの1階に吊るされた。宍戸さんは「買う買わないは自由だから仕方ない。でも、安全性を分かってもらう努力は続けていく。1年1年の積み重ねしかない」とあんぽ柿を見上げた。そして、こう続けた。

 「風評はね、人々が忘れてくれれば良いんですよ。宮崎の口蹄疫は震災の前年だからね。でも今や、誰も口蹄疫が怖いとは言わないでしょう。願っているわけでは無いけれど、何か大きな事件や事故が起こるしかない。でも、原発事故以上の事故なんて無いからね…」
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(上)東京・銀座に吊るされた伊達市のあんぽ柿

(下)生産者・宍戸さんは「買わない消費者を責める

ことはしない」と語った=紙パルプ会館


【1kg100ベクレルは「呪縛」か】

 6月1日に開かれた参議院の「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」。一番手で質問に立った熊谷大議員(自民、宮城)が「これが緩和されれば、被災地はもっと元気になるのにな」として、食品中に含まれる放射性物質の基準値を挙げた。食品1kgあたり100ベクレルという基準値が「非常につらい呪縛として被災地を縛っている」というのだ。

 自民党青年局「チームイレブン」の一員として福島県いわき市も視察に訪れたという熊谷議員。生産者が一様に「100ベクレル以上はほとんど出ないと言っている」と紹介し、「あの混乱の中で設定したものが果たして今はどうなんだろうということも見直していくべきなんではないかな」、「この100ベクレルという基準を設定する前は暫定で500ベクレルで、みんな被災地の食品、農産品を食べて応援しようぜと言っていた」、「この100ベクレルという数値があるがゆえに、世界各国、今でも40か国が輸入規制をしている」などとして、竹下亘復興大臣(当時)に「大臣の雷のような一言で是非見直しを指示、または見直しを検討していただければな」と基準緩和を迫った。

 これに対し、竹下大臣は「直接私の所管ではない」、「私自身で判断がなかなか難しい問題」と苦笑。「厚労省に聞きますと、これは見直すつもりはないというふうに答えております」と、やんわりと拒否した。生産者を苦しめているのは、果たして基準値なのだろうか。そもそもの「汚染」から目を背けてはいないか。だが福島県内にも、100ベクレルという基準値に疑義を投げかけている首長がいる。伊達市の仁志田昇司市長だ。2014年1月の広報紙に掲載されたコラム「市長日誌」で次のように綴っている。タイトルはズバリ「あんぽ柿」だ。

 「そもそもヨーロッパでは1キロあたり1200ベクレルが基準だし、毎日食べるのであれば如何かと思いますが、多少基準値をオーバーしていても、美味しい物を食べた方が精神衛生上はいい」

 「放射能について正しく理解してもらい、恐れるばかりでなく、現実的な判断をしてもらうことを目標のひとつにしたい」

 仁志田市長は「無用な内部被ばくを避けるのは当然です」とは書いているものの、たびたび「心の除染」を口にするなど、本音は「安全なのに一部の人間が怖がり過ぎている」という立場だ。3日の市議会本会議でも、Cエリア全面除染を求める看板やのぼりが複数、立てられていることに関し「汚染があるのは事実だが、ことさらに取り上げるのは伊達市にとってマイナスだ。看板やのぼりは撤去してもらいたい。何とかして伊達市は安全だとアピールしていくことが大事だ」と答弁している。

 伊達市のあんぽ柿農家がわざわざ銀座まで足を運んでPRしなければならないのはなぜか。それは売れないからだ。では、売れないのはなぜか。消費者が過剰に怖がっているのだろうか。違うだろう。そもそも原発が爆発し、放射性物質が拡散された。不幸にして農家が大切にしている土地が汚されてしまった。その事実は4年9カ月で消え去ったのだろうか。

(上)参議院会館の食堂では、福島を含む東北産の

食材を積極使用している

(下)「食べて応援しよう」キャンペーンを続ける農水省


【「消費者の当たり前の用心」】

 「福島産」を避ける側はどう考えているのか。

 「汚染地域の農産物は、たとえND(不検出)だとしても原発事故前と比べて10-100倍の汚染があると言っていい。これを食べるのかと言われたら『可能な限り避ける』ことが合理的な判断。安全な被曝など無いのです」

 福島県いわき市から県外に自主避難した父親は語る。「1食0.1ベクレルだとして、1000万人が食べたら総量は100万ベクレルになる。LNT仮説(放射線の被曝総量と影響の間には閾値(しきいち)がなく、直線的な関係が成り立つという考え方)では、1人が100万ベクレルを食べる被害と、1000万人で100万ベクレルを分ける被害は同じ。被害者の自覚が無く特定が出来ないだけで、既に被害は出ていると考えるのが妥当だ。これは出荷制限などで避けることが出来た追加の人災と言える」と厳しい。「やはり、汚染地域ではエネルギー作物などへの転作をするべきだった。米や果物などを作れなくなった生産者へは、その損害を賠償するべきだった」。

 伊達市内に暮らす母親も同様の考えだ。

 「『微量の毒がありますが、身体に影響ないですよ』という食べ物があって、微量であっても食べさせる親などいないでしょう。子どもには、微量の毒がある食べ物を食べて欲しくはありません」

 少し以前のものだが、福島大学の後藤忍准教授のゼミ生たちが2013年、「風評被害」に代わる言葉を調べているので紹介したい。

 後藤准教授は「放射能汚染の実害」と定義。影浦峡・東大教授は「汚染被害」と答えた。静岡大学の小山真人教授の回答は「消費者の安全不信による経済的被害」。そして、詩人・アーサービナードさんは次のような言葉で表現した。

 「消費者の当たり前の用心、最低限の自己防衛」

 私は、これが最も的確な表現だと考える。




(了)


「泣き寝入りするもんか!」「切り捨ては許さないぞ!」~終わらぬ原発事故、立ち上がる被害者たち

加速する安倍政権の棄民政策に、原発事故被害者たちが危機感を募らせている。5日、都内で開かれた「原発事故被害者の切り捨てを許さない東京集会」では、福島県内外で声をあげる被害者らが、改めて国との闘いを表明した。原発事故から間もなく57カ月。2020年東京五輪に向け、国は幕引きを図ろうと必死だが、被害者らは「黙って切り捨てられてなるものか」と拳を振り上げた。



【権利は勝ち取るしかない】

 絶対に忘れられない「あの日」。原発事故から5カ月後の2011年8月、夜逃げのようになるのは悔しいと朝、故郷の福島県郡山市を発った。途中、あいさつのために実家に立ち寄ると、当時5歳だった長男が車の中から何度も何度も叫んだ。

 「ばあば、さよなら! じいじ、さよなら! さよなら、さよなら…」

 こみ上げる涙をこらえるように、長谷川克己さん=静岡県富士宮市=は話す。妊娠中の妻と何度も話し合い、下した「自主避難」という決断。「自分の子どもは自分で守る」。周囲から怪訝な顔もされた。後ろ指もさされた。「わが子のため」と思えば、それも苦にはならなかった。しかし、それは本来、味わう必要のないものだ。

 「避難してからというもの、理不尽の連続でした。そもそもなぜ政府は、予防原則に基づいて子どもや妊婦を避難させなかったのでしょうか。なぜ帰還させようとするのでしょうか。なぜ…」
 少しでも実態を理解してもらおうと数多くの集会でマイクを握り、メディアにも何度も取り上げられた。「声をあげれば波風が立つ。これも4年間で良く分かりました」。どれだけ叩かれたか分からない。それでも屈しないのは、あの日、幼いわが子が味わった「理不尽」に絶対にけじめをつけてみせると誓ったからだ。

 原発事故も汚染も被曝の危険性もなかったことにしたい政府。しかし、長谷川さんは敢えてこう語る。

 「なかったことにしたいのは、本当は私たちです。放射性物質がわが子に降り注いだこと、故郷を汚されてしまったことをなかったことにしたいのは、母親であり父親なんです」

 現実を直視し、出来得る最善のことをするのが大人としての責任─。断腸の思いで福島を離れた一人として、今後もますます声をあげていく。「自分たちの権利は自分たちで勝ち取るしかないんです」。
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(上)「泣き寝入りするもんか」と拳を振り上げる原発

事故被害者や支援者たち。東京五輪に向け被害者

切り捨てが加速している

(下)大城聡弁護士は、書籍「原発避難白書」を中心に、

「被害者自らが闘い、被曝を避ける権利の確立を」と

呼びかけた=東京都港区・田町交通ビル


【今なお土壌は9000万ベクレル超】

 今年4月、福島県南相馬市の住民が、20mSv/年を基準とした特定避難勧奨地点の解除は違法だとして、国を相手取って訴訟を起こした。いわゆる「20mSv基準撤回訴訟」。原告の一人、小澤洋一さんは今なお解消されない高濃度汚染の実態を語った。
 自宅のある同市原町区馬場の土壌(深さ5㎝)を11月17日に採取して測ったところ、9610万ベクレル/㎡もの放射性セシウムが検出された。空間線量(高さ1メートル)は実に42μSv/hに達したという。「政府は土壌汚染を無視している。こういう場所に帰還させようとしているのは問題外だ。私は髪の毛を測ってもらったら放射性物質が検出された。いくら洗髪しても駄目なんだ」と小澤さんは話す。

 伊達市と同じく、南相馬市でも採用された「特定避難勧奨地点」の問題点は、地域全体で無く戸別指定にしたことだ。そのため、放射線量がわずかでも基準値に達しなければ指定されない。小澤さんの自宅も「委託を受けた電事連のデタラメな測定」(小澤さん)で1.9μSv/hだったが、2μSv/hに達していない(高さ50㎝)として指定の対象とならなかった。子どもがいることも考慮されず、固定資産税の減免などの支援を受けることができなかった。

 そして昨年末の指定解除。一方的に指定されて一方的に解除された住民たち。国は「住民説明会を4回も開いた」、「議論を尽くした」と豪語するが「私は4回とも入場を拒否された。勧奨地点に指定された世帯しか説明会に参加させなかったんです。ちっともていねいに説明していないじゃないか。沖縄の問題と構図は全く同じ」と小澤さんは怒る。

 「2020年東京五輪のために、原発事故はなかったことにされます。福島の住民が、再び被曝の犠牲者になります」と語った小澤さん。今後も「人工放射能による追加の被曝限度は1mSv/年」と訴え続ける。
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南相馬市の小澤洋一さんは、自宅の放射線量が1.9

μSv/hだったにもかかわらず、特定避難勧奨地点に

指定されなかった。避難勧奨は昨年12月に解除され

たが、今年11月に自身で自宅周辺の土壌を測ったと

ころ、9000万ベクレル/㎡もの放射性セシウムが検出

されたという


【国の狙いは被害の矮小化】

 集会には、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」(SAFLAN)事務局長で、書籍「原発避難白書」(人文書院)の編集にも携わった大城聡弁護士も参加。「本来なら国が白書をまとめるべき。被害の実態を調べないのは、国が原発事故の被害をなるべく小さく見せようとしているからだ」と批判した。

 今年に入り、国は自主避難者への住宅支援を2017年3月末で打ち切ることを表明。強制避難区域の住民でも、2018年3月末で賠償が打ち切られる。復興庁は2020年度末での廃止が決まっており「国は明確に被害者救済から遠ざかっている」と大城弁護士。「国にとっては不都合であっても事実を積み上げ、きちんと闘いましょう。当事者が語ることも大事」と呼びかけた。

 貧困問題に取り組む宇都宮健児弁護士は「子ども被災者支援法の立法に関与した者として、骨抜きには大変怒りを感じている」と話し、「なぜ加害者が被害者支援を打ち切るのか」と政府の姿勢を批判。ルポライターの鎌田慧さんは「生活の見通しが立っていないのに補償を打ち切るのは拷問的行為だ。政府は『帰りたい』、『帰りたくない』というアンビバレントな感情を利用して被害を無いものにしようとしている」と話した。
 原発事故被害者の現状を端的に表現したのが、前いわき市議の佐藤和良さん。「厳しい分断と疲弊で、声をあげにくい状況になっている」。汚染と被曝は継続し、風化と切り捨てだけが進む。来夏の参院選をにらみ「自公政権が続く限り、帰還の強制や被曝の受忍強制は続く」と語った。

 被害者が疲弊するほどまでに声をあげ続けなければならないのが原発事故。アベノミクスの掲げる「三本の矢」には、被曝を避ける権利は含まれない。

 南相馬市から神奈川県に避難している村田弘さん(原発事故被害者団体連絡会「ひだんれん」)の言葉が、静かな口調ながら会場に重く響いた。

「避難者はその日その日を生きていくのに精いっぱいだが、黙っていては切り捨てられる」


(了)

【浪江町の米】東大学食で始まった「食べて応援」~居住制限区域の米は本当に「世界一安全」なのか?

東京大学(東京都文京区)の学生食堂で30日、福島県浪江町の居住制限区域で今秋、収穫された米を使った「浪江定食」の提供が始まった。生協購買部で米の販売も始まり、大学をあげて浪江町を応援している。「食べて応援」に潜む追加被曝の危険性や、国が目指す「原発被害者の自立・帰還」推進と賠償の打ち切りを東大生は知ってか知らずか、「浪江定食」は初日から飛ぶように売れていた



【「復興に役立てれば」と東大生】

 原発事故など今は昔。放射性物質の拡散から4年後の居住制限区域で収穫された新米が、次々と東大生の胃袋に収まって行った。正午を過ぎ、安田講堂にほど近い学生食堂に長い列が出来ると、次々と「浪江定食」が売れていく。福島第一原発から10kmほどの浪江町酒田地区で収穫されたコシヒカリに野菜の天ぷら、岩手県大船渡市産の小女子(コウナゴ)の南蛮漬け、鮭やニンジン、ダイコンなどがたっぷり入った紅葉汁で500円。「120食を用意しましたが、予想以上の売れ行きですね」と女性スタッフも驚くほどだった。

 「単純に安かったのと、応援というか、どんな味か食べてみたくて…。ほら、福島のお米って美味しいって言うじゃないですか」。3年生の男子学生は、安全性への不安を否定した。同じく3年生のカップルは、2人とも浪江定食を食べた。「美味しかったですよ。安全性?不安は無いですね。こうやって食べることで少しでも復興に役立てればうれしいですね」と男子学生。隣席の女子学生も「きちんと数値も出ているし、食べても大丈夫だろうと思います」と話した。別の男子学生も「店で売っていたら進んで買うことはしないかな」と話したが「不安や心配はないですよ」と浪江産の米を食べた。

 「浪江定食」を注文すると、2014年から始まった浪江町での米の実証栽培の様子や生産者からのメッセージが記された紙が手渡される。その中で、同大アイソトープ総合センター長・児玉龍彦教授が「福島と食の安全」と題して、こう綴っている。

 「1000万袋の米袋全部を検査し、世界一厳しい基準以下のもののみを出荷している世界一、放射線に関しては安全なお米です福島農民の支援とともに食の安全を再構築していくために、ぜひ福島での復興への新米を一緒にあじわっていただけませんでしょうか」
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浪江町で収穫された米を使った「浪江定食」は500円。

売れ行きは上々だった=東大生協中央食堂


【「笑顔で食べて」と生産者】

 浪江町農林水産係によると、2013年に環境省が酒田地区の水田を除染。放射性セシウムで汚染された表土を5センチの深さまで取り除き、汚染されていない地元の土を入れたという。昨年から、酒田農事復興組合が米の実証栽培を始めた。昨年、収穫された227袋(30kg)のうち、226袋が25ベクレル未満だったという。東大は浪江町と復興支援協定を結んでおり、今年1月には馬場有町長や濱田純一東大総長、生産者が出席して米の試食会が開かれたほど。この際、600kg分の米が販売され、売上金は町に寄付されている。
 今年も6000kgのコシヒカリを収穫。200袋のうち、198袋が25ベクレル未満。1袋が25~50ベクレル、もう1袋は51~75ベクレルだったという。定食に添えられた生産者からのメッセージには「まだまだ風評の多いなかのご協力に感謝致します」、「愛着のある土地で精一杯の努力で作った米です。どうぞ、笑顔で食べてください」と書かれている。

 東大生協の購買部では1袋400円(1kg入り)で販売されており、生協関係者は「米の安全には自信を持っている。東大生が食べるわけだから、何かあってはいけない。大丈夫だから売っている。食べて応援ですね」と胸を張る。浪江町の職員も「個々の判断はあるだろうが、国の基準を満たしているわけだから安全。販売して生計を立てるという本来の姿に戻すのは当然だ」と話す。

 ちなみに、酒田地区は年間放射線量が20mSv超50mSv以下の「居住制限区域」。「酒田集会所」のモニタリングポストは30日の時点で0.4-0.5μSv/h、少し離れた「苅宿公民館」は1.3μSv/h前後、「加倉運動公園」では2.6μSv/h前後と依然として高い値を示す。水田が仮に除染出来ていたとしても、農作業中の生産者の被曝の危険性は残る。
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生協購買部では1kg400円で販売も。大学をあげて

「食べて応援」に取り組んでいる


【「被曝しながらの農作業」と町議会】

 浪江町議会は2014年6月17日、「浪江町居住制限区域の米の配布自粛を求める意見書」を馬場有町長宛てに提出している。

 意見書は「浪江町は全袋全量検査体制による食品の基準値以下であれば出荷販売してもいいと判断しているようですが、米消費者の立場からすると安易な対応であります」、「いつ帰還が可能なのか見通せない居住制限区域で、少ない線量とはいえ外部被ばくしながらの農作業であることを認識し、食の安全について慎重な対応をしていただきたい」と町の姿勢を批判。「浪江町の居住制限区域の米をイベント等で不特定多数に配布することについては、風評被害の払拭を目的としているもののかえって逆効果になり新たな問題が生じる可能性があるので、自粛すること」と釘をさしている。
 原発被害者である生産者には、何の罪もない。将来の帰還を望むのなら、生活の糧としての農業再開を目指そうという想いは理解できる。しかし、福島産の農作物を避けることは「風評加害」だろうか?すべてを「風評」で覆い尽くして「食べて応援」を推進することで、新たな被曝の危険は生じないのか。米の全袋検査では放射性セシウムしか測らない。そもそも原発事故によって失われた営農の機会や収入は、加害者が責任を持って賠償するべきなのだ。

 福島県須賀川市の主婦は言う。

 「初期被曝させられたうえに、追加被曝を強いられる構造を止めなければいけない」

 安倍政権は、原発事故被害者に「自立」を促す。帰還政策の加速化と表裏一体の「食べて応援」拡大。それでも東大生は、実体の無い「応援」を続けるのだろうか。


(了)

【井戸川裁判 第2回口頭弁論】「国も東電も津波対策を怠った」~町民は防げた被曝・避難を強いられた

福島県双葉町の前町長、井戸川克隆さん(69)が国や東電を相手取って起こした損害賠償請求訴訟の第2回口頭弁論が19日午前、東京地裁で開かれた。意見陳述で井戸川さんは「国も東電も大津波は予見できた」と主張。対策を講じていれば、全電源喪失は免れたとして、両被告の過失責任を問うた。第3回口頭弁論は2016年2月に予定されている。


【「大津波は十分予見できた」】

 若手弁護士が代読した意見陳述では、井戸川さんは「国も東電も、遅くても2006年の時点で福島第一原発に小名浜港(いわき市)の工事基準面(以下、OP)からさらに10メートルを超す津波が到来する可能性を認識できていた」と結論付けた。その上で「津波対策を怠ったために全交流電源喪失を招き、防げたはずの原発事故を引き起こした過失責任がある」と主張した。

 1993年7月の北海道南西沖地震で奥尻島を襲った大津波を例に挙げ、「想定外の津波が起こり得ることが分かっていた」と指摘。その後も、1998年当時の国土庁や気象庁、消防庁などが作成した「7省庁手引き」(「地域防災計画における津波対策強化の手引き」)の中で「現在の知見により想定しうる最大規模の地震津波を検討し、既往最大津波との比較検討を行った上で、常に安全側の発想から沿岸津波推移のより大きい方を対象津波として選定する」と明記されていたことなども「大津波の可能性を認識し得るだけの情報が含まれていた」と指摘した。

 また、東電も加入している電気事業連合会(電事連)が2000年2月に行った試算で、福島第一原発については、OPから5.9~6.2メートルを上回る津波で非常用海水ポンプのモーターが止まり冷却機能に影響が出ることが分かっていた、と述べた。A4判で6ページにわたる意見陳述で、井戸川さんは国や東電の怠慢を指摘した。津波を予見できたということが立証できなければ、国や東電の過失責任を問えないからだ。

 東電は2011年12月にまとめた「福島原子力事故調査報告書(中間報告書)」の中で、「結果的に津波に対する備えが足らず、津波の被害を防ぐことができなかった」と記している。しかし「備えが足りなかった」と認める東電がなぜか、被害者賠償では優位に立っているのが実情だ。
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第2回口頭弁論で「国や東電は津波対策を怠った」

と意見陳述した井戸川前双葉町長。手にしているの

は10月26日の北國新聞に掲載された記事「見送ら

れた津波評価」のコピー=弁護士会館


【「双葉郡の首長で原告団結成したかった」】

 「この裁判に負けるわけにはいかないし、負ける理由が見つからない」

 閉廷後、弁護士会館で開かれた報告集会で、井戸川さんはきっぱりと言った。「町長時代、原発の津波対策について東電から報告を受けたことは一度もない」、「原発事故後、あらゆる意思決定の場から地元住民を排除し、加害者に有利なように進められてきた」と怒りを込めて話した。

 「本来なら、同じ立場にいた双葉郡の首長たちで原告団を結成しなければいけないのだが…」とも。福島県内では「復興」の二文字ばかりが躍り、汚染や被曝を訴える井戸川さんは早々に孤立してしまった。「住民が苦しんでいるのに『復興』も何もないだろう。どことは言わないが、ある市では住民がいくつも訴訟を起こしているのに、首長はソッポを向いている」と批判した。

 原発事故後、佐藤雄平知事や他の双葉郡の首長らとともに枝野経産相(いずれも当時)と面会した際、枝野大臣はイスに深々と座りながら「国が支援しますよ」とくり返したという。「我々、被害者が要望に訪れているのに言葉の使い方を間違えているだろう、と彼の言葉を遮って言ってやりましたよ」。当事者意識の薄い発言を、井戸川さんは呆れた表情で振り返った。

 原発事故から4年8カ月が経ち、風化が進む。福島の地元紙にも「県外避難者数が減少」、「空間線量が下がった」、「風評払拭」など、国の帰還政策を後押しするような記事が目立つ。しかし、乏しい情報の中で故郷を追われた人々の避難生活は何ら変わりはない。増えたことと言えば、徒労感と賠償金への周囲からの羨望、そして戻れない故郷への郷愁。避難先の埼玉県加須市から駆け付けた町民も「原発事故は終わった?冗談じゃない」と言葉を強めた。一方、井戸川さんは「町民にみじめな避難生活を強いたのは私。当時の菅総理に『ちゃんとやれよ』と言質をとるべきだった」と自らを責める。だからこそ「負けるわけにはいかない」のだ。

 「勝負はひるんだら駄目」。井戸川さんは自分に言い聞かせるように、支援者たちに呼び掛けた。
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「国も東電も10メートルを超す津波が福島第一原発

に到達することは予見できた」と結論付けた意見陳述


【「国は被曝を闇に葬ろうとしている」】

 この日は原告側の意見陳述と準備書面の確認のみで、開廷から約20分で閉廷した。抽選にはならなかったが、100席ほどの傍聴席は支援者でほぼ埋め尽くされた。第3回口頭弁論は2016年2月4日午前10時から、同じく東京地裁103号法廷で開かれる。宇都宮健児弁護士を団長とする弁護団は「この裁判の特長は、被曝の問題を正面から取り上げていること。多くの人を被曝させたじゃないか、責任を負え、と。しかし実際には、国は被曝を闇に葬ろうとしている。今後、多くの健康被害が生じる可能性があるにもかかわらず、何ら対策が講じられていない。裁判を通して、世の中のおかしな動きを変えていきたい」と、今後の裁判の中で低線量被曝の危険性についても取り上げていくという。
 宇都宮弁護士は「原発再稼働の動きにくさびを打ち込むという意味でも、非常に重要な裁判だ」と話した。口頭弁論期日は、既に来年6月まで決まっている。国や東電は60ページを超える準備書面を提出した。

 「まだまだ世に出していない話がいくつもある」と井戸川さん。傍聴席には、国の避難指示に拠らない「自主避難者」の姿もあった。原発事故後の対応は被害者不在、加害者が主導権を握ったままという本末転倒の異常な状態が続いている。被曝と避難を強いられた原発事故被害者に、国や東電は何をして何をしなかったのか。前町長の闘いは始まったばかりだ。


(了)

「戻りたい。でも戻れない」~分散強いられた浪江町民。町長選の争点は本当に「復興」か?

分散させられた浪江町民は町長選挙で何を選択すれば良いのか─。14日、二本松駅前で始まった「復興なみえ町十日市祭」。雨の中、集った町民の心は「帰りたい」、「帰れない」で揺れる。故郷を奪った原発事故。「いつかまた」と涙を流す町民の想いを知らぬ安倍政権と官僚たちは、原発被害者に「自立」と「帰還」を促す。国策で漂流させられた町民たちは、再び国策に振り回されている。

【選挙公約は「復興」? 町民は「戻れない」】

 冷たい雨が降り続く中、十日市祭会場の一角で頭を下げる候補者の姿があった。

 2007年以来、8年ぶりの浪江町長選。しかし、福祉関係者の女性は冷ややかに言う。「選挙?うーん。3人(前町議会議長、前副町長、現職)立候補しているけれど、誰も原発事故の事を口にしないでしょ?住民が町に帰る話ばかり。このまま町が消滅してしまうかも知れないのにね。原発事故など無かったことにされてしまうんじゃないかと心配でね…」。

 今年もすいとんやモツ煮込みを振る舞った町商工会婦人部の1人も「復興、復興と言うけれど、現実には戻れないわけです。でも、国も町も住民が戻ることを前提に話を進めている。それだけはやめて欲しい。現場に来ない政治家や官僚に何が分かりますか」と厳しい表情で話した。

 実際、候補者の選挙公報には「復興」や「避難指示解除」という文字が並ぶ。だが、福島市内で期日前投票を済ませた40代の夫婦は「もはや町には戻れない」と口を揃えた。自宅は苅野小学校にほど近い立野地区。自宅周辺の放射線量を思い浮かべるだけで苦笑が漏れる。誰だって故郷には帰りたい。だが、現実の汚染は淡い期待を吹き飛ばしてしまうほど酷い。昨年8月に復興庁や福島県、浪江町が共同で実施した住民意向調査では、48.4%が「現時点で戻らないと決めている」と答えている。「すぐに・いずれ戻りたいと考えている」と回答した人は、30代以下ではひとケタ。40代でも15%にとどまっている。そんな中で「復興」を争点に選挙をされても誰をどう選べば良いのか。期日前投票を終えた町民に声を掛けても、一様に歯切れが悪い。日々の生活に精一杯で選挙どころではないという人もいる。

 夫はポツリと言った。「一丸となって国や東電と闘わないと。選挙で争っている場合じゃないんだよね…」。ある候補者にこの言葉を伝えると大きくうなずいた。「正直、私もそう思います」。複雑な想いが入り組んだまま、町の〝新しいリーダー〟が15日夜、決まる。しかし、単なる「帰還の旗振り役」では、ますます町民を失望させるだけだ。
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(上)今年の「十日市祭」会場には、町長選挙の投票

を呼び掛ける看板も設置された

=二本松市民交流センター

(下)雨の中、期日前投票を済ませる町民たち。

しかし、一票に込める想いは複雑だ

=福島市方木田の「あつまっぺ交流館」


【分散した町民つなぐ田植え踊り】

 原発事故による放射性物質の拡散で、7割が福島県内に、3割は県外に避難している。町長選の候補者が「住民がバラバラ。そこが一番大変」、「選挙公報だけじゃ政策が伝わらない。直接、説明したいのだが、いかんせん避難先は全国規模だから…」と語ったように、浪江町民は浜通りの他の町村と同じようにバラバラにされてしまった。町が今年7月にまとめた「浪江町の現状と課題」でも「町民は全国600以上の市町村に分散」として「つながりの喪失」を挙げている。
 「田植え踊りを通じてバラバラになってしまった町民がつながれる。笑顔になれるでしょ」

 今年も十日市祭で「請戸の田植え踊り」が披露された。20年以上、踊りの歌い手を務めている女性(65)=郡山市に避難中=は「震災後、お世話になった方々への恩返しでもあるんですよ」と話した。
 浪江町は震災や津波、原発事故による直接・関連死も含めて分かっているだけで555人もの命が失われ、全半壊した住宅は合わせて1800戸を超えた。大津波の直撃を受けた請戸地区の被害は甚大で、女性は「踊りを続けていくのはもう無理だろうと思いました」と振り返る。地区の高齢化・過疎化で従来より継承が課題となっていたが、そこに大津波、そして原発事故。「踊りなんてやっている場合か」という声もあった。伝統芸能をつないでいくのは苦しみも伴う。「これでようやく解放される、という気持ちもありました。正直言うとね。大変なことばかりですから。でもね、ここで終わらせてしまったら、これまでつないできた先輩に叱られてしまうし、全国の方々に背中を押してもらえたのでね」。

 すべてを流してしまったのは大津波。だが、原発事故さえなければ、今ごろ、田植え踊りも地元で踊れていた。もうすぐ5度目の年の瀬を迎えるが、いまだに浪江町では踊れない。女性は原発への恨み言はあまり口にはしなかったが、私が「だからこそ、原発事故の罪は重いですね」と水を向けると「そうね」と寂しそうにうなずいた。
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(上)浪江町の伝統芸能のひとつ「請戸の田植え踊り」。

原発事故でますます継承が難しくなっている

(下)会場では町民の手芸作品も展示された。仮設住

宅から退去する人が少しずつ増え、自治会の存続も

危機に瀕しているという


【「浪江の空」奪った原発事故】

 ここにきて、国は原発事故被害者に「自立」を強く促すようになった。勢い、仮設住宅から公営の復興住宅へ転居する人、別の土地に新居を構える人が増えてくる。仮設住宅で暮らす女性は「だんだん人が少なくなってきて、自治会が成り立たなくなってきた。いつまでも〝仮設暮らし〟ではいけないから、良いことなんだろうけど、寂しいわよね」と複雑な表情で話した。

 別の50代女性も、80歳を過ぎた母親の「落ち着いた家で死にたい」という言葉を受けて、福島市内に新居を構えた。津島地区に生まれ育った女性は、山で採れるマツタケやイノハナが大好きだった。「まぜご飯にすると最高だったのよ。あの頃を山を返して欲しい。元通りにして欲しい」それが叶わぬ事であることくらい、分かっている。しかし、原発事故を思うと怒りが収まらない。避難先の中通りで浴びた「早く浪江に帰れば良いのに」という暴言。酒に溺れ、体調を崩して亡くなってしまった同級生…。賠償金の査定は、金額の大小を巡って町民同士の心情的な対立まで生んでしまった。「永田町は何も分かっていないのよ」。女性に反論する言葉を、政治家たちは持ち合わせているのだろうか。
 娘と群馬県内に避難しているシンガーソングライターの牛来美佳さん(30)は、ステージで5曲を披露。9月に発売された3枚目のアルバムにも収録されている「いつかまた浪江の空を」では、客席からすすり泣く声が聞かれた。


「あと、いくつ数えたら『その日』は来るのですか?」

「目を閉じると浮かぶ人達、あの場所で会える日まで」

「いつかまた浪江の空を、またみんなで眺めたいから」

「涙がいつか笑顔に変わる日が来る」


 帰りたい。でも帰れない。原発事故が奪った故郷。町民たちの喪失感は賠償金の算出には含まれない。計算など出来ない。「復興」を錦の御旗に進められる帰還政策で、本当に浪江町は取り戻せるのか。「帰れって言ったってどこに帰る?俺の帰る場所は結局は墓になってしまうじゃないか」。吐き捨てるように男性は言った。原発事故が壊したものはあまりにも大きい。


(了)

原発事故で生活を破壊された双葉町民の怒り、前町長の決意~「井戸川裁判を支える会」設立集会

福島県双葉町から埼玉県内に避難中の井戸川克隆さん(前町長)が、国や東電を相手取って起こした損害賠償請求訴訟の支援団体「井戸川裁判を支える会」が6日、設立され、集会が参議院会館講堂で開かれた。裁判で求めるのは金ではなく、国や東電の責任の明確化と謝罪、そして被害の回復。井戸川さんは改めて支援者に誓った。「誰かに遮られたとしても、本当の事を言うのはやめません」。双葉町から泣きながら逃げた女性の話を中心に、前町長の決意を届けたい。



【極寒の中、着のみ着のままで逃げた】

 「まだまだ話したいことはいっぱいある。1時間くらい欲しい」

 わずかに与えられた時間では、原発事故から4年8カ月の苦労を語り尽くせるはずもない。それでも分かってもらいたい。なぜ私たち双葉町民は切り捨てられなければならないのか。あふれそうになる涙をこらえ、怒りを哀しみを込めて女性は話した。
 70代の女性の自宅は、福島第一原発から、わずか1.2kmの距離にあった。巨大な揺れになす術もなく這いつくばった。夫にやっとの思いで屋外に出させてもらうと、屋根瓦が音を立てて落ちてきた。飛び込んだ自家用車は「船が揺れてるようだった」。

 「放射能が漏れる可能性があるから逃げろ!逃げろ!」。しばらくすると、男性の怒鳴り声が聞こえた。実家のある浪江町に逃げよう。しかし大渋滞。普段、15分もあれば行かれる実家まで4時間も要した。着いた頃には3月12日になっていた。そして6時50分、非常事態を知らせるサイレンの音。「10km以遠に逃げてください」。再び大渋滞。結局、自宅から持ち出せたものはわずか3000円の現金だけだった。
 ワゴン車での避難は「地獄でした」。今にも雪が降りそうな寒さ。ガソリンが減ってしまうからと暖房を我慢していたが、手足の冷たさはもはや、限界を超えていた。あと何日、自宅から離れていれば戻れるのか。誰も教えてはくれない。「ここには居られない」。親類を頼り、横浜へ向かった。

 親戚と言えども他人。初めは良いが、そうそう長居もできぬ。「仕方ないですよ。親戚だって、20日も面倒見られませんよね」。都内の住宅に落ち着くことが出来たのは、かなり時間が経ってからだった。行くあてもなく、芝公園(東京都港区)の横に車を停めて二晩を明かしたこともあった。しかし、新しい住まいに入居しても、着替える服も布団もない。お金は借りての避難生活。「夫の前で何回泣いたか分かりません」。

 女性が自宅に初めて一時帰宅出来たのは、事故から5カ月後の8月26日。「うれしかった」。限られた時間内に何を持ち出そうか。そんな期待はしかし、一瞬にして打ち砕かれた。「自宅は変わり果てていました。はっきり言います。泥棒です。泥棒に入られて、現金も洋服もバッグも宝石も全部持って行かれて何も無かった」。あの日、干した洗濯物が風に揺られていた。失意の中、実印を持ち出すのが精一杯だった。

 「泣くたびに、夫には我慢しろと言われた。でも、そう言ったって…」。

 この4年8カ月、様々な機会を使って原発被災者の苦しみを訴えてきた。「国も東電も理解しようとしない」。名前も顔も隠さずにいたら、バッシングに遭った。本当のことを語っているだけなのに叩かれる社会。以来、顔写真や名前を伏せて語るようになった。だからこそ、裁判を通して「本当のこと」を明らかにしようとする井戸川さんの姿勢に共感し、賛同する。「埼玉県加須市の町役場を訪ねた時、いつも物資を分けてくれたのが井戸川町長だった」。

 「後から知りました。私たちは汚染の高い方、高い方に逃げていたんです。誰も教えてくれないから」。募るのは悔しさばかり。「私たちの苦しみだけは分かってください」。原発再稼働へ邁進する安倍晋三首相にこそ、女性の言葉を届けたい。
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「逃げるつもりはありません。誰かに遮られたとしても

本当の事を言うのをやめません」。改めて〝闘争宣言〟

をした前双葉町長・井戸川克隆さん

=参議院会館講堂


【邪魔されても「本当の事」言い続ける】

 「原発事故を知り、すぐに死ぬと思った」

 体重が落ち、手や喉のしびれが続く中、それでも井戸川さんは法廷闘争を選んだ。「いつまで本当のことを隠し続けるのか。あんな思いをさせられて遠慮する必要は私にはありません。被曝したことのない連中が『健康に影響無い』などと言っている。失礼な話だ」と語気を強めた。「裁判なんて起こす必要は無かった。国や東電が『ちゃんとやっているんだな』という姿を見せてさえいれば…」。

 集会で頒布された冊子「訴追に至った経緯」。表紙にはこう、記されている。「正論言う為に立ち上がりました」。原発事故前に東電と福島県、大熊町、双葉町の間で交わされた「福島第一原子力発電所周辺地域の安全確保に関する協定書」も掲載した。第12条では「発電所の保守運営に起因して地域住民に損害を与えた場合は、東電は誠意をもって補償するものとする」とうたわれていた。井戸川さんは言う。「東電は下手な工作を止めて被害者には真摯に向き合い、要求には対応しなければならない」、「この協定書には国は入っていない、部外者。事故以来、進めてきた様々な被害者切り捨て政策には効力は存在しない」。
 「直ちに影響無い」という錦の御旗の下、福島には被曝の危険性など存在しないという雰囲気が醸成され、国は原発被害者の切り捨てと帰還政策を加速させている。井戸川さんは「被曝させ続けるのが、日本では〝おもてなし〟のようだ。東京五輪で世界中の人々にこの現実を見ていただきたい」と綴る。

 8月21日の第1回口頭弁論での意見陳述でも「東電は、安全協定にうたわれた通報連絡を怠り、双葉町に重要な事実を隠ぺいしていた」、「3月12日の14時40分、双葉町上羽鳥地区のモニタリングポストで4613μSv/hが記録された(20秒間の空間線量率)。事前予告も避難誘導もないベントによって、平時の0.05μSv/hと比して実に9万倍以上の放射性物質が放出され、住民の生活を破壊した」などと国や東電の対応を批判した。「町長応接室で、東電や原子力保安院はいつも、理路整然と『町長、大丈夫です。放射能は出しません』と説明し続けて来た」。

 支援者を前に、井戸川さんは改めて誓った。「逃げるつもりは全くありません。誰かに遮られたとしても、本当のことを言うのはやめません。裁判では、事故前に東電と交わした約束を『これでどうだ』と出して行きたい」

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8月21日に東京地裁で行われた、第1回口頭弁論で

の意見陳述書の一部。次回期日は11月19日午前10時


【「傍聴席を埋めて裁判所を監視しよう」】

 「支える会」の設立集会には、裁判の弁護団長を務める宇都宮健児さんも参加。「原発事故から4年8カ月が経過し、被害者の苦しみや悲しみが風化しつつある。被曝を強いられた、故郷を奪われた人々の代表する裁判。避難者全員を代表する裁判だろう。井戸川さん1人の裁判ではありません」と語った。「傍聴席がガラガラだと居眠りをする裁判官もいる」と、支援者によって傍聴席が満席にすることで、裁判所を監視することも必要だと述べた。
 第2回口頭弁論は11月19日午前10時から、東京地裁103法廷で開かれる。第3回は2016年2月4日、第4回は同4月20日に予定されている。

 年が明け、3月になると原発事故から丸5年。被害者が声をあげ、正論を吐き続けなければならない不条理は、いつまで続くのか。原発政策の最前線にいた元首長の闘いを注視したい。


(了)


【仮設焼却炉】「区長会への説明で十分」~放射性廃棄物をこっそり燃やしたい環境省に怒りと失望

仮設焼却炉を使った除染廃棄物の焼却が続く福島県の住民らでつくる「放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会」(和田央子代表)が29日午前、参議院会館で環境省との交渉に臨んだ。焼却炉の建設・解体にあたって丁寧な住民説明会を開くこと、焼却処理による周辺環境の二次汚染、処理や建設・解体費用について積極的な情報公開を求めたが、環境省側は事実上、拒否。地元自治体に責任転嫁するかのような発言に終始し、参加した住民からは「福島を汚す側の味方をする環境省なんかいらない」、「事業主体のくせに無責任だ」と怒りの声が飛んだ。



【説明会が騒然となるのがイヤ?】

 「必要があれば説明会を開く」、「住民の理解は得られていると考えている」─。わずか90分の交渉だったが、環境省側の消極さを知るには十分だった。

 福島県相馬市では、2013年2月から昨年11月まで仮設焼却炉が稼働。今年9月から撤去解体工事が進められている。〝最後は金目〟の石原伸晃環境大臣(当時)自ら視察に訪れ、「福島復興の1つのシンボル」と絶賛する存在だったが、焼却炉の建設時も解体工事着手時も、住民への十分な説明が行われていないとして、住民側が環境省の姿勢を質した。

 これに対し、環境省側は相馬市と協議をした上で市議会や区長会、焼却炉のある工業団地の企業関係者には説明会を開き「ご理解いただいている。説明不足というのは事実誤認だ」と反論した。しかし、説明会の出席者や質疑の内容などは「すべての議事録をインターネットで公開するわけではない」として情報公開しておらず、説明会に参加した区長たちがどのような形で住民に内容を伝えているのか、配布資料をどのように活用しているかなどのフォローもしていないという。

 和田代表が「焼却炉の風下に住む住民は、粉塵が舞うことで放射線量が上がると心配している。私も鮫川村の仮設焼却炉の至近距離に住んでおり、説明会も無しに焼却炉を解体されては困る」と住民説明会の開催を重ねて求めたが、環境省の若手職員は音声ガイダンスのように同じ言葉を繰り返すばかり。挙げ句は「地元自治体との関係もある。地元がどうしても必要ということであれば検討する」と自治体に責任を転嫁する始末。

 さらには「すべての住民に理解してもらうのは難しい」、「必要なところには説明する」と言い出し、参加した住民から「自治体が説明会など要らないと言ったら開かないのか」、「事業主体は国ではないのか」、「説明会が必要か否か誰が決めるのか」と怒りを買った。これには若手職員も「『必要な』という表現がアレなんですが…」と言葉を濁すのが精一杯だった。反対意見で会場が騒然となるのを恐れているのか、最後まで住民説明会には後ろ向きだった。
相馬市
相馬市HP
(上)2014年11月をもって焼却処理が終わり、解体

撤去工事が進む相馬市の仮設焼却炉

=環境省のホームページより

(下)2013年2月には、石原伸晃環境大臣(当時)らが

仮設焼却炉を視察。「仮設焼却炉は福島復興の1つ

のシンボル」と述べている

=相馬市のホームページより


【責任ある回答できぬ若手職員】

 福島瑞穂参院議員の仲介で実現した交渉には、環境省から「指定廃棄物対策チーム」の課長補佐や、指定廃棄物対策担当参事官室の職員計3人が出席した。しかし、ほとんどを若手の職員が回答し、「手持ちの資料がない」、「担当部署が違う」、「上司に相談しないと答えられない」ばかり。

 東京都環境局の元職員で、同連絡会のアドバイザーを務める藤原寿和さんも「責任ある立場じゃないじゃないか」と怒りを露わにした。環境省側の煮え切らない姿勢に、藤原さんは「住民への説明がすべからく不十分。『無知な住民に細かい説明をしても、どうせ理解できないだろう』と考えているのではないか」、「情報公開など、欧米で実践されているリスクコミュニケーションのやり方と全く違う。密室で進められ、議事録も簡単なものしかホームページ上にアップされていない」と憤慨。同省が相馬市の仮設焼却炉周辺の区長や企業に行ったという説明会の議事録や出席者リストの公開を求めたが、やはり「出せるかどうか上司に確認したい」との回答。藤原さんは「そんなことすらオープンに出来ないような秘密会なのか」と詰め寄ったが、役人側の姿勢は変わらなかった。

 藤原さんは「限られた検体数だが、鮫川村の仮設焼却炉周辺で明らかに焼却によるものと思われる土壌汚染が確認できた」と放射性廃棄物を燃やすことによる二次汚染について指摘。近く、発表するという。焼却炉周辺の放射能汚染に関しては、岩手県宮古市の岩見億丈医師による土壌調査でも明らかになっている。

 環境省側は一貫して現行の取り組みには問題ないとの姿勢。連絡会が、仮設焼却炉での焼却対象物の種類や量、放射性物質濃度、排ガス測定値などの「日報」を公表するよう求めたが「(現行の情報公開で)不備はないと考えている」と拒否。和田代表が「どれだけの量を燃やしているのか、さっぱり分からない」と反論しても「決してごまかしているわけではないが、周辺住民からの要望があったとしても、必ずしも数値を出すわけでは無い」と重ねて拒んだ。
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福島県塙町に暮らす和田央子さんの自宅は、

鮫川村の仮設焼却炉から数kmの距離。住民説明会

開催に消極的な環境省に「失望した」と肩を落とした

=参議院会館会議室


【「国は企業でなく住民守れ」】

 福島県田村市都路地区に暮らす70代の女性は「これまで焼却炉には全く無関心で分からなかったけれど、郡山市内での勉強会に参加するうちに大変なことだということが分かってきた」と、新幹線で交渉に駆け付けた。都路地区と川内村の境にある「東京電力南いわき開閉所」にも仮設焼却炉の建設計画があり、焼却による二次汚染は他人事ではない。女性は、「鮫川村には行ったことが無い」と話す若手職員に苦笑し、「環境省が福島を汚しているということはない」と断言する姿に憤った。席上、思わず「誰かに頭をつかまれて、何も言えないような感じね」とつぶやいた。そして、ひときわ大きな声でこう言った。

 「住民ではなく、汚す側の味方をする環境省なんかいりませんよ。無知な住民は役所に頼るしかないんですよ。国は大企業を守るのですね。福島の住民は守られない。がっかりしました」

 結局、連絡会の要求に対して環境省は何一つ前向きな回答をせず、時間切れで交渉は終わった。住民説明会の開催についても確約を得ることができず、和田代表は「失望している。再びこのような場を設けていただきたい」と厳しい表情で語った。

 「焼却炉周辺の方々の声が直接、環境省には届いて来ない」と言い放つ職員に、富岡町から会津若松市に避難している女性は「福島に直接、意見を聴きに行ったら良いじゃないか」と声をあげた。「次回はぜひ、福島にいらっしゃいませんか。地元の声が聞こえる場所でぜひ、話し合いましょう」と水を向けた。しかし、環境省の3人は何も答えなかった。そして、真っ先に会議室を後にしたのも3人だった。



(了)

【脱被曝】元双葉町長・井戸川克隆さん都内で怒りの講演。「子どもを被曝させるな」「県民は目覚めよ」

福島県双葉町の元町長・井戸川克隆さん(69)が13日夜、JR水道橋駅近くの「たんぽぽ舎」で講演を行い、被曝の危険性から住民を守らない国や行政を厳しく批判した。被曝の問題から目を逸らす首長たち、昨年の県知事選挙、帰還政策や原発再稼働…。子どもたちの命よりカネを優先する社会への怒りは、時に厳しい言葉となって発せられた。この4年半で体重はかなり落ちたが、井戸川さんは大人たちに問い続ける。「あなたは放射能から子どもを守っていますか?」



【「最大の加害者は佐藤雄平知事」】

 原発事故直後から一貫して「福島は住む所ではない」、「絶対に離れるべきだ」と主張し続けて来た。福島県庁を訪れ、「これは災害じゃない。事故だ。災害救助法を適用しないで欲しい。新法をつくって対応するように働きかけて欲しい」と訴えたが、対応した副知事はニヤニヤするばかりだった。

 双葉郡8町村の中で、被曝回避を訴えるのは自分ただ1人。1対7の構図が確立し、他の首長たちは被曝のことを語らないようになった。「今や、私の話に耳を傾ける首長はいません。飯舘村長の菅野典雄さんとは同い年。非常に仲が良かったが、原発事故後は、一度も正面から目を合わせようとしなくなった」。県知事を交えた会議の席上、ある町長から「お前が一番悪いんだ」と責められたこともあった。「思わずカッとなって言い返してしまった」と振り返るが、事故直後から「放射能のことをしゃべると復興の妨げになる」という空気が出来上がっていたことが良く分かる。「どこかで何かが作用した結果、県民不在の施策が進められることに我慢がならなかった」。

 住民に無用な被曝を強いた行政。それは、佐藤雄平知事(当時)の言葉に集約されている。

 「俺はな、県民を外に出したくないんだよ。町長は分かっぺ?」

 井戸川さんは、この言葉は一生忘れられないという。「この人は奇人変人だと思いましたよ。あの人が県知事だったから今の福島がある。原発事故を起こしたのは東電だけれど、最大の加害者は佐藤雄平ですよ」

 昨年10月には、佐藤知事の後任を決める福島県知事選挙に出馬した。「出たくて出たのではない。出ざるを得なかった。だって、大手メディアでいくら被曝のことを話してもカットされてしまう。選挙に出れば選挙ポスターをはがすことは出来ないから、県内7000カ所に堂々と貼れるでしょ」。

 キャッチコピーを「あなたは放射能から子どもを守っていますか」に決めたのも、被曝を避けることが喫緊の課題だと考えたから。被曝の問題が政治課題にすれば、自主避難も「当然の避難」になる。そうすれば諸々の権利も発生する─。そんな狙いもあった。「体力的にも金銭的にもつらかったけど、子どもたちが反応してくれたのは良かったかな」と振り返った。

 当初は熊坂義裕候補に期待していたが、同氏が被曝回避について明確な姿勢を示さなかったことも、出馬を決める要因になったという。候補者乱立への批判もあったが、「告示日の前夜遅くまで熊坂陣営と協議し、私は妥協案を呑んだ。しかし、最終的に蹴ったのは熊坂さんの側です。初めて言いますが」と明かした。
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「放射能による健康被害が出るか出ないか分から

ないなら、まずは避難させるのが理性ある大人の

することです」と脱被曝を訴えた井戸川さん

=たんぽぽ舎


【被曝回避より経済活動優先の社会】

 後悔もある。

 「3月11日の夜に町民を避難させれば良かった。政府の指示を待ってしまったのは失敗だった」

 川俣町の避難所では、持参した町所有の放射線測定器の針が振り切れた。3月14日の夜のことだ。「ああ駄目だ。ここには住めない」。すぐに埼玉県庁に相談してバスを手配。さいたまスーパーアリーナへの集団避難に動き出した。

 「とりあえず出てくれ、が今に至った。町長は辞めたが、町民を避難させたのは私。今でも全力を尽くさなければならない。責任がある。私には避難させた責任があるが、他の首長には避難させなかった責任があるんです」

 原発事故から4年半が過ぎ、福島への帰還政策が加速している。「国は『ただちに影響ない』という犯罪行為を今も続けている」。今年4月には、広野町に福島県立ふたば未来学園高校が今年4月に開校し、秋元康氏(作詞家)、小泉進次郎氏(衆院議員)、橋本五郎氏(読売新聞特別編集委員)ら著名人が「ふたばの教育復興応援団」として名を連ねているが「私は大反対。学園はアウシュビッツと同じだ。復興をアピールするために子どもたちが利用されている。被曝による健康被害が出るかどうか分からないから避難しなさい、と言うのが理性ある大人の本来の言葉ですよ」と語った。

 さらに、驚くべきエピソードも。

 「県職員に『誰が安全を担保するんだ』って尋ねたんです。すると『国と町です』って答えた。県立高校なのにですよ。お金のために犠牲になる子どもたちはかわいそうです」

 10日には、同校の生徒も参加して国道6号の清掃ボランティア活動が実施された。「本当に酷い話。あり得ないですよ。子どもたちに健康被害が出ないか心配だ」と表情を曇らせた。

 地元メディアの記者に尋ねたことがあるという。

 「どうして大事な問題を書かないんだ?」

 「どうして本当の事を出さないんだ?」

 すると、このような答えが返ってきた。

 「だって、私たちも企業ですから」

 避難を推し進めれば住民がいなくなり、経済活動が立ち行かなくなる…。「日本は国民の命を奪っても金儲けをする低レベルの国だ」。井戸川さんの言葉は重い。
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昨年10月の福島県知事選挙。井戸川さんは選挙

ポスターで「あなたは放射能から子どもを守ってい

ますか?」と県民に問いかけた


【「福島のものは食べない、と明言を」】

 講演会は、ドキュメンタリー映画「原発の町を追われて」の堀切さとみさんによるインタビュー映像を中心に、井戸川さんが聴衆の質問に答える形で行われた。

 国をあげての「食べて応援キャンペーン」には、誤解や批判を恐れず、とりわけ厳しい表現でこう呼び掛けた。

「福島のものは食べない、福島には行かないとはっきり言ってください。福島差別? もっと差別していただきたい。福島県民は、被曝の危険性を分かっていながら自分をごまかしているんです。皆さんがはっきり言わないから、ぬるま湯に浸かっているんです。気付かせてあげて欲しい。福島県民を脱皮させて欲しいです」

さらに、安倍政権が推進する原発再稼働についても「私たちを見てかわいそうだなどと思わないで、対策を立ててください。双葉郡で2010年まで行われてきた原発事故の訓練は、常にハッピーエンドのシナリオでした。放射性物質の拡散なんて起きないことを想定していた。避難計画なんかあったって実行できませんよ。近隣住民同士で自主組織をつくって準備をしてください」と求めた。「万一、事故が起きた場合には賠償責任を問うと、地元首長に文書を突き付けるべきだ。『避難させられない権利』を行使しなさい」とも語った。

 決して体調が良い訳では無く、「体重は測っていないけど、かなり痩せたね。食べてはいるんだけどね」と話した井戸川さん。被曝被害の完全な回復を求め、国と東電を相手取り損害賠償請求裁判を起こした。8月21日に第1回口頭弁論が開かれ、11月19日には、第2回口頭弁論が東京地裁103号法廷で開かれる予定。「裁判は起こしてみると容易ではないですね。でも、めげずに頑張る。裁判の中で真実を出して行きたい。為政者に警告を発していきます。社会から毒を葬り去って次の世代に渡したい」と締めくくった。



(了)