北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも -6ページ目

10年前

多分まえにも触れたとは思っていますが、息子が高校に入学したころに、大学進学についての学校区主催のセミナーがありました。その講師のアドバイスとして、親が大学教育に支出できる金額を子供に伝えることが肝要だということがありました。というのは、お金持ちが住むといわれる私の住む市の区域の住民でも、合格した私立大学の学費を工面できない親もいて、親の限度額を知らない子供の夢をその時点で砕いてしまうことがあるからという話でした。

なるほどを思った、私たちは家に帰ってから早速息子をこの件で申し渡しをすると同時に、親としては、大学に進学してほしいと思うけれども、この判断は息子自身のもので高校卒業した後で必ずしも大学に行かなくても良いこと、どちらの判断でもそれを、親が支持するということ伝えました。この話は、高校での廻りの仲間などの雰囲気から大学進学があたりまえだと感じていた息子には、ちょっとショックだったと、あとで彼は話していました。どうも、大学に行かなくても良いといった親は、息子の友達の親たちでは一人もいなかったようでした。

私たちは、この国では18歳を契機にして「大人」になるわけですから、それ以後の進路は自分で決めてほしいという思いがありました。また、我が家の大学教育資金限度 100000ドル(2005年入学の場合にはUCを4年間で卒業できる金額)を提示して、それ以上のものは自分で都合して行けと引導を渡してもおきたかったわけです。また、大学に入ってからの小遣いは自給すること、これはワイフのたっての希望で、少しは「大学で働け」というわけでした。

息子が14歳のころには、漠然と「大学」を先に見ていて、そこで何をするのか、その先の将来の進路は何かというのも朦朧としていて五里霧中のなか、上のような話をされてもピントがあっていたのかどうかも、分かりませんが、ショックとともに、彼にとっては大学のことを具体化して考え始める出発点だったかもしれません。ただ、結局は大学入学までには、大学での専攻、将来の進路の確定といったものまでは至らずに進学をしていきましたが、中器晩成型の彼は、それなりの年月が将来像を固めるためには必要だったのだと、この10年間を見返して感じています。

Occupy XXX 運動を擁護する。

この国では、民主主義というのは、民衆の思いが政治に反映することだと言う理解があるように思います。最大多数の最大幸福ですから、100%の満足ということは無理なのですが、しかし、それにむかっていくというベクトルが逆境のなかでもあるように感じます。

さて、この30年間には、最大多数が最小幸福にむかうという政治経済の仕組みの中で、最終的な打撃をとしてリーマンショックがありました。世界中の経済の枠組みが変わるなかで、社会の中での格差が大きくなってきていたところ、このリーマンショックのあとには、失業率も急上昇したので、アメリカ経済のパイの配分から締め出された人々が多く出てきました。とくに若い世代では、ちゃんと勉強もして、努力して大学を卒業したのにもかかわらず、仕事がない、またあっても最低賃金などの低所得の仕事で、学生ローンを抱えているとやっていけないなどの不満が募っています。

私の多少の運動の経験から言えば、まずさまざまな運動の契機というのは「異議の申し立て」から始まる、簡単に言えば、現状に対して「イヤダ」ということからさまざまな事が始まっていくように思います。「イヤダ」というのは感情ですから、その時点では、政治的な視点も整理されてはおらず、したがって政治的な方針、展望といったものも理路整然としているわけではありません。 しかし、これは、あのマルクスさんでも、悲惨なイギリスの労働者のあり方を見て彼らの身となって思い、義憤を感じてから「資本論」を書くまでには、それなりの思考の過程があったことと同じことのように思います。

私は、アメリカの若者たちが自分の抱える問題を社会に提示して見せる、解決策を提示することができなくても、現状は容認できないと大声ではっきりと反対の声をあげることは、この社会の将来にとって大変大事な事柄のように感じています。また、これまでは、このような若者の声を政治にくみ上げていく歴史がアメリカの政治の制度のなかにはあったように思います。これに反して、もう20年間も十分に職のない日本の若者たちの「おとなしさ」というのには、将来を担っていく元気が感じられないので、ちょっと残念に思っています。ボランティアが盛んになっていることは結構だとは思いますが、NGOはあくまでも補完の役目が主ですから、政府、政治という本体の改革が必要だと思うのは、私だけでしょうか?

暖房とマリワナ

息子が休みをとって家で骨休めをしていますが、若い者のことですからUCLA時代の同窓生と夕食を食べたり、または、高校の同窓生たちと寄り集まったりしています。それらの集まりの中から出た話題が今回のお話です。

まず、高校時代の仲良したちは、ほとんどがUCB UCLA UCSD UCI UC Davisなどに進学していましたが、彼らのなかの2人はGoogleに就職しているそうです。卒業生400名のうち2名がGoogle就職というのは、結構健闘しているのかもしれません。また、分かる限りでは、一人を除いて、皆がUCを卒業、就職をしているということのようです。人当たりが普通でやる気があって、そこそこの成績でUCを卒業すれば、なんとか就職はできているようですね。

彼らと一緒の夕食をともにして話しをして家に帰ってきた息子は、自分がもしUCに行っていたら、圧倒的な比率の卒業生と同じように大卒そして就職という進路を多分たどっていたと思うので、大卒後のFellowshipや修士課程進学といったものも大学在学中に視野には、入らなかったと思うという感想をもらしていました。この意味では、掛け値なしにPomonaが彼の大卒後の進路を変えたともいえると思います。

さて、大学院からの友達2名は私の家から比較的近い別々のCSUに勤めていますが、初任給は50000ドル程度で教育関係の仕事としては、良いほうだといえるのではないでしょうか?一人は、ボーイフレンドと一緒に住んでいるのですが、ともに26歳の二人が、家の購入をすでに考えているそうです。彼のほうは、UCLA EE/CSの修士で、大手のハイテク企業で仕事についていて、年俸が90000ドル、彼女の収入を合わせると140000ドルとなり、600000ドル程度の家を買いたいと物色している最中だとか、、、東海岸田舎のLACに就職した息子などには、家の購入のことなどは、考えもつかぬ先の話だという感覚のようです。

このカップルの二人はともに、学生時代にUCLAの寮のResident Adviserをしていたのですが、このときの二人の経験と息子が某LACでしている経験を付き合わせてみると、面白い比較もあったようです。そのひとつが、マリワナの件です。UCLAの寮の建物は20階以上の高層で、ひとつの階に部屋が80ほどあるという大規模なものです。集中強制送風のエアコンつきのビルですから、空気は常時循環していてるわけです。このような環境の一部屋のなかでマリワナを吸うと、幾らもしないうちにその階全体の空気がマリワナのにおいがしてくるということになります。となると、RAにとっては、どの部屋が火元なのかが特定することが難しいという問題があるそうです。息子のところのように、一部屋ごとにスチームヒーターがあるところでは、この特定は簡単でにおいをたどって廊下をいけば、犯人を突き止めることは、さほど難しいことではありません。

さて、UCLAでかのボーイフレンドのほうが体験した、最も記憶に残るマリワナ事件というのは、たまたま、マリワナのにおいのもとが特定できて、警官も呼んでドアをノックして、ドアを開けるようにと声を掛けたところ人の気配はするものの、返事もなく、ドアも開かないので合鍵をつかって部屋に入ったところ、2階にあったその部屋の窓の網戸が内側から開かれていて、窓もあけられていましたが、住人は見つからなかったそうです。その間には、この部屋の周りには、近所の学生が集まってきて野次馬がたくさんとなってきていました。警官と彼が部屋の中を調べていると、住人の本人が野次馬を掻き分けで部屋に戻ってきて、しらばっくれて「あれっ、何かあったの?」というとぼけた質問をしたそうです。この学生はその場で御用になったそうですが、彼の経験のなかでは、マリワナ事件の犯人で、これほど、「創造的」な対応をした学生はなかったそうです。

日本の方にはショックかもしれませんが、酒とマリワナは、どの大学の寮でもあり、程度の違いはあるにせよ、いわば空気とおなじように普遍的にあるので、寮生を管理する職につくことは、どの大学でもこの取締りに当たることになります。

話は変わりますが、息子のガールフレンドは、近くの大都市で2次面接後にNPOに就職がきまり、近いうちに働き始めることになりました。息子は自分の待遇が食住付き+給与のため、給与の部分が低くなっているのですが、彼女のほうは、息子の食住におんぶした上での普通の給与ですから、彼女のほうが高給取りとなり、うらやましがっております。

追加:あるCSUでは、学内での飲酒が発覚すると、初犯から猶予なく自動的に退学処分になるそうです。入学したくて門前に長い列を作っている応募者がいるので、学則違反をするような学生はいなくても結構という大学の対応なのでしょうね。

就職率 100%

息子が家に帰ってきてから、近くで就職をしたUCLA時代に友人たちと連絡を取ったりしていますが、彼らからの情報によると、最後まで就職できずに残っていた同窓生も、この11月に就職が決まり、修士課程卒業後5ヶ月後には、全員が就職、100%の就職率となったそうです。

就職活動が始まってから採用率の中で傾向が見えたように、やはり、新卒から修士課程に直接入学してきた学生たちの就職がもっともてこずったようで、最後まで残った2人も新卒から修士に進学してきた学生たちでした。採用する側も、買い手市場の就職戦線のなかでは、学歴、資格、成績といったものだけではなく、社会経験の多寡も、採用を決める際の審査に含めていたのだと思います。

また、アメリカの人事の採用は、随時が当たり前であるために、予算がついた時点で求人を始めることも珍しくなく、その結果、「なんとなくそのうち、皆が採用されていった。」といった実態のようでした。

とにかく、2011年度、UCLA教育大学院、Student Affairs修士課程卒業生14名全員が希望する仕事につくことができました。この経過時間と採用の推移が、同職のほかの専門職大学院に比べてよいのか、悪いのかは、私には分かりません。ほかの1年間集中コースのU Penn, Harvardの就職状況と比べてみることができれば、よいのですがデータが公開されていないと思います。ただ、言えることは、ほかの1年半のコース(U Michigan, Ann Arbor)やほかの一般的な2年間のコースに比べれば、入学してから就職までの時間は、より短く、、州立でもあるためにさらに対費用効果もより高いことは事実だと思います。

お金持ちにはなれない分野ですが、この仕事に打ち込んで、本人が楽しみを見出せるのであれば、やりがいのある、すばらしい仕事だと、親の私は感じています。

卒業パーティで息子に紹介された、ひとり一人の顔をおもいうかべながら、「使命感」を持った若者たちが就職できてほんとうに良かったと、私までもうれしく思っています。

帰省シーズン

昨日の夕刻、息子が帰省してきました。彼が到着したサンノゼ空港は、帰省客でいっぱいで車を「停車」する空間も順番待ちの状態でした。息子によると、出発した空港でも、学生でごった返していたそうで、ファイナルを終えた学生たちの帰省日(寮の閉鎖日)は一斉に学生たちは家に向かうのでしょうね。

東海岸からは、やはり直行便でなければ一日がかりの旅程で、彼の場合も、8時間半かかってサンノゼに着きました。途中で乗り換えがあり、そこでの到着と出発までに、40分間しかなかったので大丈夫かと少し心配だったのですが、大丈夫だったようです。

東から西に向かっての旅は、時差があっても割りと簡単に適応できるようですが、これが反対だと順応するのに少し時間が掛かるようですね。

昨日の午前中まで仕事をしていた彼は、これから3週間余り骨休めをすることになりますが、ワイフも2週間半ほど休みをとるので、家族3人ゆったりと水入らずの生活が楽しめそうです。

彼に食べさせるために、ニジマスとPerchを釣ってこなければ、、、、

女性解放運動とアメリカ初等教育ー予期せぬ影響?

アメリカの初等、中等教育の衰退に関して、これはこの国で70年初頭から起きた女性解放運動に責任?の一端があるという意見があります。

風が吹けば桶やが、、のような話ですが、ちょっと聞いてやってください。女性の目覚しい社会進出がはじまったのは70年代の末期と思いますが、この背景には、機会均等、職場での差別の撤廃の制度が社会にいきわたる必要がありました。そうして、この社会改革の原動力になったのが、1970年くらいから大きなうねりとなってきたWemen's Libと呼ばれる運動でした。日本では、ピンクのヘルメットをかぶった、中ピ連などが出てきた時代のことです。

さて、この運動の成果として、女性は、それまで制度的なものやの不文律からの制約を超えて、多くの職種、職階に進出していけることになったわけですが、そのために、優秀な人材を失ったのが教職の分野だったそうです。この運動が始まる前までは、教職の仕事は女性にとっては、高いレベルの収入と付帯する恩恵がある「理想的な仕事」で、ほかに多くの選択肢をもたない女性のなかの優等生たちは、こぞって、教職についていったといいます。ところが、数多の職が女性のために開かれた後には、必ずしも教職を目指す必要がなくなり、このために、教職につく女性の学生のレベルがそれ以前に比べると落ちたといわれています。いまでは、医者、弁護士、MBAなどをめざす、女性も当たり前になってきていますから、使命感を持って教職につく優等生はいるとは思いますが、彼らの比率は、一昔前にくれべれば、大変な少数派なのだと思います。

このような背景を理解して、Teach For Americaの運動をみれば、教育社会のなかのカンフル剤ともいえるかと感じます。

1970年代のはじめ、バーバラとジーンという2人の若いアメリカ人の女性解放運動活動家が日本にやってきました。彼らは日本におけるウーマンリブの火付け役だったわけですが、この二人がつけた種火の影響は、40年経つと到達点は完全ではないものの、はっきりと日本でも社会の仕組みの違いとなっているようですね。

閑話休題:

Thanksgiving Dayから、息子のところに彼のガールフレンドが試験的に住み始めました。2Bed Roomのアパートなので、住むところには問題はないのですが、食事をどうするか?これが問題でした。この件を上司に相談したら、関係ある部署と交渉してくれて、彼女の滞在中の食事代は無期限、大学が持ってくれるという沙汰があったそうです。

T シャツですみません。

金曜日の北カリフォルニアは、寒そうな夜明けだったのですが、なんと暖冬日、あの湖の釣り場で冬支度をして釣りをしていたら、つり師たちのストリップが始まり、10時には、皆Tシャツ姿に、気温 70度、快晴、無風。

「おいおい、12月だって言うのに、この天気はないだろう、、、」という文句ともつかないコメントが聞こえてきました。

中西部や、東海岸の皆さんには、ほんとうに申し訳ないような天気ですが、せっかくのカリフォルニア陽気、好天のアウトドアー、しっかりと堪能してきました。

釣果のほうは、私のルアーの1匹と餌で1匹の計2匹と、相棒がミミズの餌で3匹の合計5匹、まずまずでした。ルアー釣りのほうは、まだ波があり、いつも釣れるようになるには、更なる修行が必要のようです。今は、選んだルアーに魚が飛びつくところまで到達したので、この飛びついたニジマス君を針にしっかりと掛ける(乗せる)練習をしていかなければならないと、感じています。

この日の前日は、暴風の吹き荒れた日で、道のあちらこちらに枝が散らかっていて、塀が倒れるなどの被害も結構あったようです。

話はかわりますが、最近、LL Beanの一割引、値引き前の価格50ドルの買い物で、10ドルの商品券という誘いにはまってしまっていたのですが、1割引が終わり、やっと、その落とし穴から這い出したところです。

以下、LL Bean の宣伝文句です。

Free Shipping all the time, Guaranteed forever。

息子が帰宅しないThanksgiving Day No 3

2年前には、アジアのかの国で暮らしていた息子は、その国の都のアメリカ大使主催のThanksgiving Dinnderをいただきました。去年は、UCLAに在学していたのですが、クオーター制で試験も間近ということで、私たちが、あちらに遠征して、家族3人、Santa Monicaのイタリアンレストランで、満席のThanksgiveng Buffetを食べました。今年は、彼が、この期間中に残留学生の面倒を見ることを志願したので、今回も帰宅せずです。同僚たちは、皆近くに家族がいるので、家庭料理のDinnerの折り詰めを持ち帰ってくれることになってるそうです。

その代わりといってはなんですが、冬のお休みには、豪気に3週間の休みを取って、里帰りする予定だそうです。冬休みの間は、寮が閉鎖されて、学生が立ち去った後で、各部屋の点検をして、学生が残っていないことを視認してから、自分たちも休みをとることになるそうです。同僚も、ボスも、彼が遠路の里帰りだということを理解しているので、息子だけが、まとめて休みをもらうことができました。

帰ってきたら、彼が必要なときには、家の車を使うことになるので、保険会社に彼を短期間運転者として追加してもらうことにしています。3週間でも大丈夫だそうです。

大学の入学審査情報サイト

これまでは、全く知らなかったのですが、About.comの中に、College Admissionの分野があります。ここでは、西海岸大学30傑、カリフォルニア州大学10傑、UCのランクといったものもあります。そのほかに、一部の大学での応募者のSATとGPAの分布と合否の結果のグラフも見ることができます。

おそらく、すでにご存知の方もいらっしゃるのではないかとは思いますが、念のためということで、ご紹介します。

URLは


http://collegeapps.about.com/


"The 20 most selective colleges"の記事のなかでは、合格率が必ずしも難易度を意味するわけではないなどとの注意書きもあるので、うわべだけではなく実質に迫る意見を聞けるように感じました。


山のような情報が盛り込まれているので、読み込みには時間が掛かると思います。私自身も隅から隅までは、目を通してはいません。情報の正確度の確認、取捨選択は、自己責任ということで、、、、

採用の決め手

息子が就職してから、同僚や上司と話しをしていく中で、求職候補者たちの中から、なぜ彼を選んだかの理由が継続的にちらほらを漏れ聞こえてきているようです。

在籍する学生の推薦、未来の同僚との相性、これまでの実績? 大学院のレベル、成績 などはもちろん勘案されたものの、決定的な決め手になったものは、何だったか、皆さんは、お分かりになりますでしょうか?


その答えは


”Sense of Humor”


だったそうです。学生の面倒をみるという長時間の神経をつかう仕事に携わるには、自分を笑ってしまえるユーモアの精神が必要だとされているのでしょうね。

この仕事も人によっては向き不向きがあり、最終段階では天賦の性格が採用、不採用の分かれ目だったようでした。でも、天性というのは、勉強の仕様もないですね。ということは、やはり才能、性向をよく理解して、それに沿った自分向きの仕事を見つけることが、自然と就職にも繋がることなのだという結論になるのでしょうか。