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大学 10傑リストーーUS News & World Reportから

久しぶりの大学関連の投稿です。USN&WRの大学ランキングそのものには、不満があるものの、数字のデータからつくられたここのリストは、見る価値があると思います。

10 Mostあるいは10 Leastと表記された短いリストは見る人にとっては目安的な意味があるようにも思えますし、また、話の種にもなるでしょう。このリストのなかでは順位をつけていないことが私は気に入っています。

費用が気がかりな留学を考えている生徒にとっては、このなかの、

10 Least Expensive Public Universities for Out of State Students

10 Colleges That Offer International Student Most Financial Aid

10 Universities with Most International Students

などは参考になるかもしれません。


また、うまく大学となじみ4年間で卒業してもらいたいと思っている親にとっては、

10 Colleges With Highest 4-Year Graduation Rate

10 Colleges with Highest Freshman Retention Rate

などのリストは気になるのではないでしょうか?


私が笑ってしまったのは、大学の基金額のリストのところで、

10 Private Universities With Largest Financial Endowments

「そうか、HYPSMというのは基金額の順番なんだ」と発見したときでした。


大学の規模のところでは、学生、教官、職員が全体で4万人のUCLAはすごいと思っていた私は、その人口が10万人を超えると想像されるArizona State Uの巨大さに驚いています。

10 Universities with the Most Undergraduate Students

最後になりましたが、これらの10傑サイトは

http://www.usnews.com/education/best-colleges/the-short-list-college

項目によって、使われているデータは2004-2008年のものと、2010年度のものがあるようです。

お試しを

釣れない、釣れた。

あの湖は、水不足で水位が開闢以来の低位となっているために、ニジマスたちはもっとも深い場所がある谷間によりかたまっているために、岸からの遠投でも届かない存在となっています。うまくいって2匹、ほとんどは1匹といった釣果なので、釣行にもうきうき気分がなくなんとなく暗い影がさしていました。

というわけで、一身発起というわけでもないのですが、ちょっと遅れめのPerch Fishingに出かけてみることに下のが、3週間前です。初回は潮の具合が全く良くなかったので、餌はとれても、魚はゼロという結果でしたが、2度目には別の浜に挑戦して、小型のは皆戻して、1匹だけ家に持ち帰り、刺身にしました。このときは、潮のかげんも経験的によかったので、魚の当たりの数は20を超えていたのですが、小物を釣りたくなかった私は、意図的に大きめの針
を使いました。さて、昨日が3回目の釣行でしたが、餌集めも順調で、満潮が夕方の7時少し過ぎ、5時過ぎから釣りをしたのですが、前回よりも魚の型もよく、2日分のお刺身を取ってきました。

おまけとして、Striped Bassも上げたのですが、これは規定のサイズ(18インチ)よりも小さかったために、『ありがとう、大きくなったらまた会おうね」と戻してきました。この浜辺は昨夜、釣り人の数が10名を越えていて、『混雑』気味でした。砂浜を胴長を履いて、4マイルくらい歩くのは、結構な運動で昨夜はぐっすりと寝ましたね。

昨年、久しぶりにPerch Fishing用の竿を自作して誂えたのですが、ST Croix SC3のSteelhead用のブランクでMedium Hard Action, 9'6"Long,3/8-1oz Lure Weightという仕様のものです。これにFujiのSICガイドを2500のサイズのリールを使うようにConcept仕様でつけました。使いかってはいいですね。糸は初めてPower Pro Super8Slick 10Lbsを使いましたが、すべりがよくて音もせず、気に入っています。昨日のリールはShimanoのSaro2500でした。

さて、胴長も新品のCaddisの製品ですが、こちらは問題がありました。水漏れはまったくなかったのですが、長靴の部分が足に合わず、締め付けられるような感じがして、最後には痛みもあったので、これをどうするか現在思案中です。

家に帰ってきたのが9時半、ワイフが開口一番、「どうだった、何匹?」との問いに「明日の夕飯は、刺身食べ放題」と答えれたことに、ちょっと喜びを感じたしだいでした。



某LAC オリエンテーション

5月の中旬から夏休みに入った某LACですが、今年度からオリエンテーションを夏休み中に行うことにしたそうです。というのは、休み中にオリエンテーションをすると、その数から実際に入学する学生の数が把握しやすい、また、オリエンテーションに出席した学生は8月の末に戻ってくる確率が高いというデータがあるからだそうです。この大学では、毎年、入学申し込みをした学生のなかでも、入学日なっても入寮してこない学生が数名いて、また授業開始後数日以内に退学する学生も毎年いるそうです。

このオリエンテーションは、入学申し込みをした学生を、3つのグループに分けて行われます。それぞれが一泊二日のプログラムです。息子は、寮生活の説明係として、学生には1時間半、親には1時間の説明会をしていく予定となっているそうです。おおかた、1日目は、大学生活、勉強などの説明があり、2日目は科目履修の登録をすることになっているそうです。学生たちは、寮に泊まり、食事は野外でバーベキューやサンドイッチなどをFood Stationでとり、説明会に出席します。

車でこれる範囲からの学生が多いLACですから、親たちは、2日間この大学の通学することになるようです。

昨年度の、寮の部屋割りの混乱については以前お知らせしましたが、このようなことを避けるための一策となりますでしょうか?

さて、息子も1年度の仕事が終わり、勤務評定があったそうですが、両方の上司の覚えもめでたいらしく、安心しています。とにかく、人材不足のせいか、提案すればなんでも自由に仕事を思い通りにさせてもらえるので、次の段階への準備をしたい息子はここの仕事が大変気に入っているようです。来年度は、例のDialogのセミナーの枠を今年の27名から2レベル、各30名の60名まで拡大することや、Diversity関連の部署でアルバイトをしている学生の管理もしていくことになったと言っていました。来週は、Michiganで行われるDiversity Seminar(3日間)に出席するそうです。UCLAなどでは、このセミナーにDirecterレベル以上の職員を5名程度派遣するそうですが、ほかの大学の役職にあるエライさんに混じって「ひよこ」の彼がどうするか見ものです。

Ph. D 3題

時々ちらほらと、こちらの大学院で博士課程を卒業しても就職口がないので就職浪人をしている、スーパーのレジをしているといった話が聞こえてきたりしているのですが、実際の姿はどうなのかということについて、Chronicle of Higher Educationの記事がありましたのでご紹介します。ひとつは臨時雇いの教授のはなし、もうひとつは、Ph.Dの就職環境の背景、さらに、教授の給与のデータです。

息子などは、この記事を読んで、いまさらながらに、社会学専攻の博士課程に進学していなくてよかったと言っていますが、7年間勉強、研究をしたくなかったことに対する幾分かの自己正当化がはいっているようにも、感じています。

さて、記事はこちらから、

The Ph.D now comes with food stamps。

http://chronicle.com/article/From-Graduate-School-to/131795/

The Future of the Ph.D
 
http://chronicle.com/article/The-Future-of-the-PhD/131749/

What professors make (find a collegeに名前を入力すれば、その大学のものが見れる)

http://chronicle.com/article/faculty-salaries-data-2012/131431#id=144050



夢にむかって

最近息子と話をしたら、Pomonaの『家族」のひとりのJ君の近況がわかりました。大学のころから野球関係の仕事、とくにMLB(Major League Baseball)に就職希望だった彼は、大卒後はフルブライトの奨学生となり日本に1年間滞在して、その後中国でMLBのインターンを無給に近い待遇でしていました。これを半年した後でも、すぐに職に繋がる様子がなかったために、アメリカの広告会社に就職し、中国駐在員となって北京に住んでいました。彼は、台湾系のアメリカ人で中国語、英語、日本語も堪能です。Pomonaでの専攻は東アジア史でした。

彼はやっと念願のMBLに正式の採用となり、台湾事務所の職員の待遇で北京出向ということになったそうです。石の上にも3年ということわざがありますが、彼もこのことわざのとおりに、3年がかりで少年のころからの夢だった職につけたことになりますね。

おめでとうJ君

嵌っていたもの

今だから告白しますが、じつはこの3ヶ月ほどあるテレビの番組に嵌っていました。日本に行っていたときを除き、ワイフと二人で、この古い番組のDVDを出来る限り平日は毎日、夕食後に見る、週末は各日4時間ほど見るといった具合でした。この番組はHBOのもので、20004年くらいまで5シーズンにわたって放送されていたようです。

後で聞いた話ですが、現大統領も,放送時にはファンだったそうです。さて番組の名前ですが

THE WIRE

というもので、斜陽の影のもとのボルティモア市を舞台にしたドラッグ犯罪物、警察物、政治物といった趣のお話ですが、人のなかの2元性が描かれていて人物の描写が生きているので、悪者にも感情移入ができるという優れものです。

私の家は、アメリカの全家庭のなかでは希少の6%しか居ない、サテライトテレビも、ケーブルテレビもない20世紀的なところなのですが、負け惜しみをいうなら、それだけに良いものがあれば、一機通巻にシリーズ物を見ることができるという特典があります。

機会があれば、是非おためしを。

4つ文字英語のエキスパートにもなれるという副作用もあります。

原発-原爆のはなし

今回、実家に帰って親父ともいろいろ話しをしたのですが、自民党支持、退職エンジニアの親父が、原発について「あのようなものを造ってはいけない。使ってはいけない。」という意見を私に言っていたのが驚きでした。

彼の理由は、事故があった際の被害の甚大さと、環境の修復に必要な数世代の期間を考えると、「安い」電気をつくるからといって原発の存在を正当化することは出来ないというものでした。私などは、体制側が大声で勧めることには、なんでも反対をしなさいという毛さんの忠告に従って、超スローな原爆の原発には反対をしていたのですが、親父の『転向」には、ちょっとびっくりでした。福島の事故以来、右も左もなく環境の将来、子供の安全という観点から反対を表明する民衆が増えてきているようですね。

ジャーナリストの友人から、日本ペンクラブ編の『いまこそ、私は原発に反対します。」という本(平凡社)をお土産にもらってきまました。この中にも、政治的にはいろいろな立場でありながら、統一戦線的に原発を廃止していこうというベクトルが見受けられるように思います。

現在は原発が皆止まった状態ですが、もしこれらを廃絶すると、代わりの発電設備の設置と、過渡期的な節電を避けては通れません。右から左までの幅の大きな民主党ですが、もしも政府が、原発廃止のビジョンと具体的な年次ごとの進捗計画を発表することができれば、国民も昔取った杵柄で、「ほしがりません、XXXXXXまでは」と納得するような気もするのですが、、、


気分は昔のまま、、、、

さて、今回の訪日で最後の3日半は東京に滞在したわけですが、この間に数人の極身近な友人たちに会いました。最初の日には、ジャーナリストの友人と会い、去年の4ヶ月間を東北の被災地ですごしたという彼から、いろいろな話を、ちょっと閑静な居酒屋で聞きました。彼は、坂上田村麻呂以降から明治維新、そして高度成長の影と連綿としてある東北の抑圧された歴史を見据えながら、今回の被災を考えているようで、面白い会話ができました。

次の日の午前中には、大学で教えている友人と会い、彼も外国人居住者の救済問題で被災地を駆け回っていて、忙しい様子でしたが、日本の大学の現況といったものについての勉強ができました。文科省の無策の付けが廻ってきていて、相当数の破産する大学も出はじめているということも聞かされました。

その日の昼からは、ワイフの仲良しでもある母娘の二人に会って、トンカツを食べながら歓談、Oregon Stateで修士を取った娘のほうは、環境省の契約職員、母のほうは退職間近の英語保育園の保母さんという普通の家庭、トンカツ後は、彼らの家に行ってからまた、いろいろなお話を。。。。冷たい麦茶がおいしかった。

そうして、夜は夕食に呼ばれていた、作家の友人を訪ねて、肺がんの予防的な治療を今でもつづけている彼のお見舞い。彼の奥さんと3人で手料理の美味を味わい、親の介護の話や、去年彼が出場したバハのレースのこと(彼は転倒して左腕骨折)などに話が盛り上がりました。ビールからワインとうつり、ホテル帰着は10時くらいとなっていました。

さて次の日は、30年以上も会っていなかった大学時代の友人との再会がありました。彼女は、たまたま現在、国会議員をしていて、国許から飛行機で東京にこの日もどり、ホテルまで駆けつけてくれたので、部屋で3時間ほど、お互いのこの30数年の軌跡といった積もる話を聞いたり話したりしたあとで、赤坂で夕食をご馳走にもなりました。お互いがどのように変わったと思ったかは、二人とも興味しんしんだったと思いますが、彼女の最近のメールでは、「気分は昔のままで、30数年の歳月が嘘のようでした。」という再会についてのコメントがあり、これには、私も全く同感です。

彼女は、私の行っていた大学が40年以上まえに学生に封鎖された「バリスト」のなかで一緒だった「活動家」仲間です。国会議員のなかにも、現在5.6人の全共闘運動経験者がいるそうですが、その中には現職の大臣もいるとか。彼が管轄する省では、政策に反対する座り込みがあっても、大臣が排除を警察に要請しないらしく、40年前とは対応の趣が多少ちがってきてはいるようですね。

親友たちの彼らは私の宝物です。



お久しぶりです。

日本に帰り3週間ほど滞在してきました。最初の2週間余りは、実家で老年の両親の世話を、帰りには3日ほど東京に寄って友人たちとの再会を楽しみました。

私の両親は今年90歳と89歳になります。幸い二人とも元気で、親父などは、最後の免許の更新をしたという話をしていました。彼は若いころには、テニスの選手でもあったためか、反射機能のテストによると若い人と変わらないものをもっているそうです。お袋のほうは、年並に元気といった状態ですが、炊事などは一人でこなしています。でも、2ヶ月ほどまえに、転んでひざを痛めたために、軽度の身障とみなされて、介護保険?の対象となり毎週、ヘルパーのおばさんが一時間ほど掃除などをしに来てくれています。この保険は、90%の給付率なので、10%が自己負担となるそうです。

到着してから3日後くらいから、私が運転をして両親をあちこちつれて歩いたのですが、一番頻度の高い訪問先はやはり病院で,週の3日はリハビリの病院通い、その帰りには夕食の買い物をしてという日常でした。今年は、私が一人で行ったので、両親と全く同じものを食べていたら、帰るまでには、バンドも緩みぎみとなり、少しだけダイエットに成功もしたようでした。

今回は、年老いていく両親がこの先どうして行くのかという、深刻な課題についても親と話が出来て、私には有意義な実家訪問の旅でした。


学費検索サイト

昨日のテレビの地方版のニュースABC 7で大学の学費を比べるサイトができたという報道がありました。政府のサイトですが、ご参考までに、お知らせしておきます。

http://www.consumerfinance.gov/payingforcollege/costcomparison/

大学教育の予算をたてるのには便利かもしれません。