新堂隼人、ピアノ製作者のブログ in ドイツ -41ページ目

中間試験の結果

先日の日記に書いた中間試験が全て返却され、総合的に見るとなかなか良い結果でした。

「結果よりも過程の努力が大切」
という言葉はよく聞きますが、今の僕にはいささか疑問を感じるものです。

過程の努力と結果は実に密接に関係していて、結果に満足できないのであれば努力が足りなかったという事だと思うからです。逆に言えば、結果に満足したけれど努力はしなかった。それは自分のためになっているとは思えません。そういった意味でもまだ努力の余地はあると感じました。

職業学校はKlavierbaumeister, Cembalobaumeisterをはじめとしてプロフェッショナルな教師陣に囲まれています。ピアノやチェンバロ製作に関して全てを知り尽くしている先生たちの授業を受けられることはとても幸せです。深い、浅いではなくて、この学校や工房で学んでいる事は僕にとって正しい事なんだと思います。

授業自体に精神論は全く含まれていませんが、僕はピアノ製作という観点から色々な事を考える機会を持てていると思います。

僕もインターネットをよく利用していますが、時々びっくりするほどに間違った情報が書かれている事もあります。知識をただ無作為に増やしていくよりも、情報の発信源も量も自分でコントロールすることが必要な時代なのではないかと思います。

余談ですが、僕が今受けているAusbildung(職業養成専門教育)の名目は「Klavier und Cembalobau」、ピアノとチェンバロ製作なんです。最近は工場実習でClavichord(クラヴィコード)を製作しながら、チェンバロの構造、歴史を勉強していて、面白い内容なので時間を見つけてご紹介していきたいと思います。

※CembaloとClavichordは発音の仕方が違うので、同じグループの楽器ではありませんが元を辿ればMusikstabという楽器が共通の祖先です。




自分の感受性くらい

2010年3月12日(金)、職業学校の中間試験(理論、数学、設計図)が終わりました。来週の土曜日には木工の実技・調律の試験が控えているのですが、とりあえずホッとしています。

昨日の試験の時間割は下記の通り。

 7:50-8:30 AK/WK
 8:45-9:25 AKU/FKS
 9:50-10:30 M
11:00-12:00 TZ

試験の範囲は1~4ブロックの全てでした。最初の4教科だけで、プリントの枚数にしてみれば約200枚近くあると思います。最初の4教科に関しては1教科につき試験時間20分。これは短い。

この試験時間は前ブロック時に教えてもらっていたので、その時に思ったのは「試験中に考えてる余裕はないなあ」という事。反射神経というか、問題を読みながら答えが浮かんでいるという状態が必要だと感じたので、そういう勉強を心がけました。

肝心の結果に関しては、満足したものも勉強不足を痛感した箇所もありましたので、それはプラスに活かせれば良いと思います。


そしてテストももちろん大切なのですが、私生活においても大切な話し合いが待っています。これくらいの年齢になると、そういう機会が増えますが、それは同時に自分の事をしっかりと省みる時間でもあります。そして年齢を重ねる度に大切なのはシンプルな自分の気持ちという事を感じるんです。

誰かのためや何かのために物事を選ぶのではなくて、自分がやりたい事を選ぶ事が結果として誰かのため、何かのためになる。その考えは今でも変わっていません。

茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩の最後の部分の、

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

この言葉が痛い程に胸に響きます。


そしていつも厳しい言葉をくれる家族に、僕の話を聞いてくれる大切な人たちに、心から感謝をしています。
いつも話をする時には、自分に嘘をつかないように、素直に。
 



 

アンドラーシュ・シフのピアノ

もう聴きはじめて10年くらい経つと思う。

アンドラーシュ・シフというハンガリー出身のピアニスト。先日の日曜日、大学時代からの友人の電話の大半を占めていたシフについて日記を書きたいと思う。

話のきっかけはシフが2005~2008年にかけて完成させたBeethovenのピアノ・ソナタ全集だった。全てがライブ録音である。Op.109、110、111の最後の3つのソナタはライブでの演奏に納得がいかなかったために、空のホールで録音し直したそう。

シフはBeethovenのピアノを弾くのに3台のピアノ(2台のBösendorferとSteinway)を弾き分けていて、その理由が書かれたインタヴュー記事を読んだのだけれど、何に載っていたか忘れて気になって仕方ない、という友人の言葉をきっかけに2人で調べ物を始めた。

後日それは「音楽の友」に掲載されていた事が判明した。理由としてシフは、Beethovenのピアノ・ソナタにはSchubertを想起させるものがあること。そしていくつかの理由を挙げた上で、Schubertの作品にBösendorferの響きがとても合うのでそのような作品にはBösendorferを、そしてSteiwayの響きが合う作品はSteinwayで弾いている、と言っている。

そしてシフは「なぜ多くのピアニストはSteinwayを弾くのか」という質問に、「考えが足りないからだと思います。」と答えている。誤解してはいけないのはSteinwayは間違いなく素晴らしい楽器なんだけれども、演奏者は楽器を選ばなければいけないということ。「ベンツが素晴らしい車だからといって、皆がベンツに乗ることはないでしょう」と例え話も出している。

そして彼のピアノはイタリアの天才調律師であるAngelo Fabbriniの工房のものであること、も語っている。

僕は大学生の時に初めて聴いた彼のCDで、休符を初めて感じた。Schubertのピアノ・ソナタだった。一昨年の3月にシフの演奏会に行った時には休憩中に、「どこかに連れていかれるかと思った」という感想をよく聞いた。

そう、彼の音には引力があると思う。

冒頭の3つの最後のソナタを聴くと、驚かずにはいられなかった。彼は言葉ではなくて、自らの音で考えを伝えている。彼が今の年齢に達するまで最後のソナタに手を出せなかった理由、それぞれの作品に対する解釈など、演奏を聴いたあとにインタヴュー記事を読むと、改めてシフという人間に対して魅力を感じるのである。