Making Our Democracy Work! 石井登志郎オフィシャルブログ Powered by Ameba -3ページ目

千代田区長選挙の結果から、ちょっと雑感を

千代田区長選挙の結果が、思った以上に現職の圧勝であったことにつき、小池知事パワーを少なからず感じるとこですが、どのメディアも同じような分析なので、ちょっと雑感を。

 

注目の選挙だったので、候補者の演説動画を見たりしましたが、与謝野候補を応援する自民党区議さんが「区長のせいで議会が混乱している! 議会無視の区長じゃダメだー!」みたいなことを言っているのが気になりました。果たして、この演説を聞いた一般市民は、「議会とけんかしているようじゃ、ダメよねー。」と思うだろうか。むしろ、議会こそが守旧的と位置付けられた場合、「議会と対立しているって、勇気あるわー。」と思われたんではないか。つまり、あの議員さんの応援演説が、実は与謝野候補にとっての応援になっていなかったんではないか、そう思えてしまいます。

 

それから、落選した二人の候補ですけど、私の知る限り、ほんの数か月しか運動していなかったようで、それだと余程運がよくない限り、通ることはないのだろうな、と感じました。千代田区は、丸の内や霞が関など、仕事上なじみの深い土地がたくさんあるけれど、有権者が住んでいるのは、神田であり、麹町や一番町の住宅街がメインとなります。まさに毛細血管の奥の奥まで届くには時間がかかるように、表通りに大声で叫ぶだけでは届かない、奥の奥にまで存在を知らしめるには1、2ヶ月では短すぎるのでしょう。

 

それと、二世候補について。与謝野候補を見て、「与謝野馨さんの甥だから」てので自民党関係者は上積みを期待したのでしょうが、私も似たような境遇ですのでわかりますけど、有権者の皆さんはそんなに簡単に「息子や甥だから入れましょう」とはなりません。確かにどこの馬の骨かはわかりますので、シンボリルドルフ(うちの場合はもっと暴れ馬系ですが)の子どもの馬券を買いたくなるような気持がないとは言えませんが、それだけで浮き上がるものではありません。今回の区長選挙で、与謝野候補がヨサノってだけで通る可能性があるかも!、と思って出たならば、そんなに甘いことはないと悟る、よい学習の機会になったことでしょう。

 

現職区長さんのブログには、「新年会が4件も重なって、それぞれ短時間しか滞在できずに恐縮です」みたいなことが書かれていましたが、こういう会合こそが「毛細血管の奥」であり、そこに長年染みついた「区長はあの人!」というカラーをひっぺはがすには、それなりの作戦がいるはずです。5期目で「改革!」みたいなこと言われちゃうのは、確かにかなりの違和感がありますが、それも含めて、今回の選挙は興味深いものがありました。

 

てことで、投票率が11%も上がったということ自体はとてもいいことでした。与謝野さんも、そしてとってもいいタマに見える五十嵐さんも、政治家は、自分で引退と思わない限り終わりはありませんから、ぜひまたの機会を自分で作り出して頑張ってください! 

 

最後に、千代田区政のあり方について。千代田区は実際に住民票を置いている人よりも、千代田区で働くなど時を過ごす人の方が、圧倒的に多い区です。私も週の一部は千代田区におりますし、千代田区立の千代田図書館や日比谷図書館は、結構お気に入りの場なので時々利用させてもらっています。そう考えた時、果たしてその行政区域は、住民票を置いている人だけが投票権を持っていることに、本当に合理性があるのか、ということです。確かに住民税を払っているのは、住民票のある区民だけですが、会社も法人税を払い、固定資産税も払い、そして実際に人が行き来しているわけで、そうした人たちが代表権を行使するというオプションがあってもいいのではないか、ということです。これは、私の恩師である曽根泰教慶大教授が、昼間人口に応じた投票権を、と提起していたことがありますが、これを真面目に検討してみてもいいかもしれません。例えば、川崎市に住む一家で、専業主婦のお母さんは川崎市で一票を行使するけど、お父さんは0.5票を川崎市に、もう0.5票を千代田区に投票する、という具合です。IT時代には、こうしたことも論理的には相当簡単にできる時代に入っていくわけです。

 

さて、興味深い選挙でしたが、この結果でどれだけ、4年間の千代田区政が前進したか、もしくは停滞したか、そうした視点での冷静な分析も、これまた今後、期待したいものです。

読書録 『リーダーシップ』 ルドルフ・ジュリアーニ著 講談社刊 2003年

9.11テロ事件当時のニューヨーク市長だったジュリアーニ氏の、リーダーシップの要諦を記した一冊です。何気なく図書館の本棚を見渡していたら、グッと目に入ってきました。出版当初にも気にはなっていましたが、今ここで出会ったのは何かのお導きか、そう思えるほど素晴らしい、今の私が得たいと思える知見に溢れています。

「どんなときも、全員が説明責任を負うこと」「低く約束して高く実行する」「強きをくじく」「準備は怠りなく」「目的に沿って組織を作る」というように章立てられていますが、その一つ一つが説得力のあることあること。こうしたリーダーシップがあったからこそ、9.11後の復興でも、高い評価が得られたのでしょう。

数々の実績の中でも、NYの犯罪数を激減させ、安心の暮らしを取り戻し、観光客を呼び戻した実績は高く評価されています。それに一役買ったのが、COMPSTATと名付けた方式と言います。コンピューターとスタティスティクス(Statistics、統計学)を合わせた言葉で、要は数値化できるものはすべて数値化し、結果を既視化し目標の達成度を測ることで評価をしたというのです。

リーダーシップ論には、数多くの書籍がありますが、これほどリアリティ、説得力をもったリーダーシップの本は、他にないかもしれません。発刊から14年ですが、今さらねぇ、などといわず、皆さんもご一読ください。

 

兵庫県による地域人材を活用した英語教育サポート事業について

兵庫県が来年度から、英語が得意な地域人材を各小学校に配置できるような予算措置をするようです。このことは、まず前向きに評価できることでしょう。ただこれで兵庫県が「グローバル人材」の育成で一歩前に進むかと考えるのは乱暴です。

 

そもそも、グローバル人材とは、「英語が話せる人」ではありません。英語が話せてもつまらない人はたくさんいますし、別に英語が不十分でもグローバルな価値観を持ってバリバリ働いている人はたくさんいます。英語教育の分野で著名な鳥飼玖美子立教大学教授はグローバル市民に求められる要素を「確固たる自己アイデンティティ」「異質性へ開かれた心」「他者との関係を構築できるコミュニケーション能力」そして「持続可能な未来に貢献できる〈何か〉を持つこと」だとしています。

 

スキルとしての英語習得を目的とするのではなく、英語学習を通じて世界の多様な価値観にふれること、そして日本の良さや文化の特徴を学ぶこと、そうした学習が求められると思います。以前私は、地元小学校に(ほぼ)ボランティアベースで英語学習のサポートに来られている方の様子を、視察させてもらったことがあります。その方は、商社勤務時代に海外での赴任経験があり、リタイア後に小学校の教員サポートに入られていました。そして、教員の求めに応じてネイティブに近い発音で英語を読む、という役割を担っていました。英語を話す、と言っても、小学生の英語ですから、「One, two!」「an apple, your pencil!」程度でしたが。そのとき私は、「うーん、このおじさんがやるべきことは、果たしてネイティブもどきの読みをすることなのだろうか」と思った覚えがあります。英語という言語に耳を慣らすことはいいですが、こうした人材を活かすのであれば、例えばこの人が駐在員をしていた時に、文化や食生活の違いでどんなことに驚いたとか、宗教の存在感の違いであるとか、そうした異質性の体験を話す方が、よっぽど子供たちのグローバルマインドを刺激するのになあ、と感じたものです。

 

さて、話は戻って、兵庫県が来年度から英語が得意な人材を地域に配置するよう予算措置をするという話。要望として、ぜひとも、単なる言語としての英語を伝授するためのサポートではなく、小学生にグローバル社会の多様性、異質性、それらを受け入れる心を育むための人材として、各校に送り込まれることを期待したいと思います。これを見た兵庫県議の方、きちんと質疑、頑張ってください!

評論特集「原発と地方自治」に掲載されました

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この度、私の論文が、共同通信から配信されて全国の新聞に掲載されました。原発と地方自治に関するテーマで、私は「地域主権へ昇華目指せ」として、現行憲法の地方自治に関する曖昧さを指摘するとともに、原発に依存せざるを得ない地方自治体が、主体的に卒業しうる選択肢を持てるような政策をとれるようにすることを提起しています。どうぞご一読ください!

新聞コラムに著書を紹介いただきました

旧知の記者さんが、私の著書をコラムで取り上げてくれました。こちらは岐阜新聞ですが、その他、地方紙にもいくつか載っていると思われます。地方の皆さん、見かけたら教えてくださーい。尚、私自身は、民進党に加わっておらず無所属の身ですから、党の代表選には直接の関係はありません。が、民主主義そのものが棄損している状況は由々しき問題です。これを特定個人や団体の責任と決めずに、ある意味での構造問題と捉えて改善の糸口を探る、これが今の私のミッションと考えています。
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新著「古典に学ぶ 民主主義の処方箋」出版のお知らせと報告会開催のご案内

日々、賑やかしく政治のニュースが流される毎日ですが、私自身、熟慮に熟慮を重ね、ひとつの考えに至ったところです。それは、当面自分自身が選挙に出ることを控え、現代社会の深刻な問題である民主主義の機能不全に対して腰を据えて向き合うために、時とエネルギーを費やしていこうということです。その流れに沿って、この度、私にとって初の単著となる書籍「古典に学ぶ 民主主義の処方箋 ~民主主義の歴史からネット時代を見据える~」を執筆し、出版することとなりました。私の持てる知力を振り絞って、また今日までの経験を俯瞰しながら書きました。我ながら、力作です(汗)。

ありがたいことに、曽根泰教慶応義塾大学大学院教授には政治学のイロハを、幾度にわたってご指導いただき、オビにも一言添えていただきました。内田樹神戸女学院大学名誉教授には、本書を事前に拝読いただき、身に余る一文を添えていただきました。

まず、本著がひとりでも多くの方の手に渡るように、しばらくはセルフ営業部長となります。

6月中旬以降に全国の書店にて購入いただける予定です。また、昨晩からアマゾンでも予約ができるようになりました! ぜひ、いますぐご予約お願いしまーす!!!

http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E5%87%A6%E6%96%B9%E7%AE%8B-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E7%99%BB%E5%BF%97%E9%83%8E/dp/4904827392/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1463444730&sr=1-1&keywords=%E5%8F%A4%E5%85%B8%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%80%80%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 

※出版説明会開催概要※

日時:201664日(土)午前10開会(1間半程度を見込んでいます)

場所:西宮市民会館301中会議室(西宮市役所隣)

会費:書籍代実費を申し受けます

 

当日には、私の現在の政治に対する考えを簡潔にお話する予定です。

 

会へ参加されずとも発送ないしお届け希望の方には、書籍代と郵送代実費を含めた振り込み用紙を同封致します。ネット通販でなくとも、当方へ直接、office@toshiro.jp もしくは0798-33-3600までご連絡ください。

 

以下、書籍の紹介です。

 

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書名:「古典に学ぶ 民主主義の処方箋 -民主主義の歴史からネット時代を見据える-」

出版社:游学社

価格:1,400円+税

 

内容

今の社会の最大の問題は、唯一の権力決定プロセスである民主主義が、その機能不全へと陥っていることです。私はそのことを、自分自身の経験からまざまざと感じ、問題の根源がどこにあるのか、思索を続けました。日々、民主主義に対する懸念のニュースは相当数流れてくるにもかかわらず、心に響く解を見つけることが出来ずにいるなかで、ふと、大学時代に格闘した古典に手を伸ばしてみました。大昔に書かれた古典でありますが、人間社会の根源的な課題に向き合う本質的な学びが、その中には溢れていました。

ネットの進展によって情報があふれる社会。だからこそ、色あせない古典の数々にこそ、民主主義の機能不全に対する処方箋が見出せる、そう感じた私は、書を進めることとしました。是非とも、私と共に民主主義再生のための思索の旅にお付き合いいただければ幸いです。

 

まえがきなど

(内田樹氏・巻頭寄稿より)

 彼はこの本を読む読者の知性と判断力を「まず信じる」ところから書き始めている。これは政治家としてはかなり例外的なことではないかと私は思う。「リーダー・フレンドリー」ということを「サルにでもわかる」ように書くことだと信じている書き手は多い。

 この本はそういうのとはものが違う。石井さんが本書で引いているトクヴィルやヴェーバーやバークの文章は、石井さん自身がよく読み込んで、何度もアンダーラインを引いたものの中から選び出されている。それは読めばわかる。権威づけのために適当に切り貼りした知的装飾ではない。彼自身が座右の言葉として拳拳服膺(けんけんふくよう)してきた政治についての本質的な知見を語った箴言を選び出している。いまどきの政治家でここまで誠実に言葉を綴る人はなかなかいない。

 

版元からひとこと

 混沌の時代、多様な価値観が共存し、時に激しくぶつかり合い、せめぎあう時代に、本書ではあえて腰を据えて、時を超えて受け継がれる古典に眼差しを向け、先人たちの叡智から学ぼうとしてきました。民主主義には、化学や物理のような「一つの正解」は存在しません。人間社会の根源、人間とは何かを問い続けるものです。それゆえに時代が去っても輝きが失われることなく、むしろこれだけ情報過多の時代にこそ輝きが増すのです。(あとがきより)

 

内容紹介

われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る(リップマン)

主権は譲り渡され得ない、これと同じ理由によって、主権は代表されない(ルソー)

民主政治は国王や貴族団体より誤りを犯しやすいとしても、一度光りが射しさえすれば、真理に立ち返る機会もまた大きい(トクヴィル)

政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である(ヴェーバー)

日本一の大金持も其の日稼ぎの労働者も参政権の前に立てば絶対平等である(斎藤隆夫)

自分の使命をはたすためなら、いつでも姿勢を柔軟に変えられる者こそ、真の首尾一貫性を持っているのだ(バーク)

 本書には、民主主義の真の実現を決して諦めようとしなかった先人たちの古典的名著がいくつも登場します。

「異なる価値観を持った人々が共に暮らす社会は、異論を排しない社会です。少数の意見を排しないで、落としどころを探して行く。そのために代議制民主主義という制度が設計されたのです。議員と有権者の二人三脚が機能して初めて、代議制民主主義はその真価を発揮します。私はそう信じて、今まで「政治バカ」の道を走り続けてきました」と語る著者が、古典を紐解き、先人たちの思索を辿りながら、今や機能不全に陥った民主主義をいかに再生させるるか、そのための処方箋を見出すべく思索を深めて書き上げた1冊です。

 民主主義には、化学や物理のような「一つの正解」は存在しません。人間社会の根源、人間とは何かを問い続けるものです。それゆえに先人たちが紡いだ言葉の力は時代が去っても失われることなく、むしろこれだけ情報過多の時代にこそ輝きを増し、次の時代を切り拓いて行くための手引きとなるでしょう。

 

二度目のネパール グローバル化する世界の最奥から考える

今年の連休を利用して、二度目のネパールを訪問しました。ちょうど一年前には、九千人もの命を奪った大地震が発災し、その傷跡がまだ癒えぬ中に、私たちは何ができるかを考える思索の旅でもありました。また、前々から訪れてみたいと思っていたブッタ生誕の地であるルンビニへの訪問、そして友人らが長年支援してきた孤児院も訪問する機会を得ました。

 

⦿グローバル化の波の中の最奥の国

ネパールの一人当たりGDPは700ドル余りと、アジアでは最貧国レベルです。海のないネパールのような国は、立地条件的にも厳しく、グローバル化の波に乗ることはなかなか容易ではありません。特に首都カトマンズは、ヒマラヤ山脈に連なる盆地に位置し、交通網の発達も不十分で、基本的なインフラすらまだ整っていない状況です。また、地下資源にも恵まれているわけではなく、経済学上の国の資源は「人」でしかない、2000万人強の人口のうち200万人ほどが海外に出稼ぎに出ることによって国を支えています。日本にも大よそ4万人のネパール人が来日して様々な仕事に従事しています。街で見かける「インド料理」屋のほとんどは、インド人によるものでなくネパール人が経営していますし、先日、天王洲アイルの和民で食事をしましたが、複数のネパール人の方がお仕事をされていました。

さて、グローバル化する世界の中で、ネパールの地理的条件は極めて厳しいものです。しかし、ネパールの街を歩き、人に触れ合って感じるのが、この国の人の純粋さ、自然のすばらしさです。ただ、都市部では急増する自動車やバイクの排気ガスや騒音にめまいがしそうになるのもアジア諸国の例外ではありません。このまま、この国がビジョンなくグローバル化の波についていこうとするならば、悪い意味でのグローバリズムにネパールも覆われ、人のよさや自然の恵みはさらに薄らいでいくかもしれません。そうならないように、私たちは何ができるのか。そう考える時点で、日本人のエゴなのかもしれないし、そう考えるならば、無条件でもっと環境技術を供与するスキームを特別にネパール(やブータンなど)に適用できるような仕組みを作るべきなのだろうかと、思索にふけるのでありました。

 

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⦿カトマンズだけで世界遺産が7つ! そしてその世界遺産が大変な事態に!

カトマンズは、古くに栄えた王国がいくつも存在した、まさに古都です。チベットのラマからヒマラヤを越えてインドへ向かう際に、旅人たちはカトマンズへ立ち寄りました。海運が常識となるはるか前の時代は、人々は歩いて交易をしたわけですが、カトマンズはその時代に大いに栄えたわけです。その名残から、旧王宮やチベット仏教寺院、そしてヒンズー教寺院など歴史的建造物があちらこちらに建立し、1つの都市圏内に7つもの世界遺産を数えることとなっています。

その世界遺産も、昨年の地震で大変深刻な被害を受け、その修復には未だ、目途が立っていない部分が多くあるそうです。本来はその国が主体的に復旧への責任を果たすべきところですが、ネパール政府には十分な資力がないとみられます。そこで、この世界遺産の修復には、ユネスコが中心となり、日本政府も相応の責務を負って修復に向けて尽力するという話を聞きました。すばらしい話だと思います。世界遺産は、まさに人類共有の財産。その生きる歴史を、次世代につないでいくために、国境を越えて日本が力を尽くせるのならば、それは一国民としては喜びです。こうした日本の税金の使い方、私はありだと思います。

 

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⦿ブッタ生誕の地 ルンビニへ

日本人はその多くが仏教をルーツにしているといって良いでしょう。普段は意識しなくても、冠婚葬祭や法事などの際、仏教を意識する場に触れることは、誰にでもあることです。そのブッタが生誕した地は、インドではなくネパールに位置します。ちなみに仏教の四大聖地とは、ブッタ生誕の地であるルンビニ、初めて悟りを開いた地であるブッダガヤ、初めて説法をしたサールナート、そして入滅した地クシーナガラであり、ルンビニ以外は現在のインドに属します。

ルンビニが生誕の地として再整備されるようになったのは、実は最近の話で、1970年以降の事だそうです。ほぼ一千年近く、ルンビニは静かな農村であったようですが、ドイツの学者が昔の文献から正確にルンビニを探り当て、そして戦後に国際社会がルンビニの再興へと歩みを始めたということです。そして、その新たなる古の聖地をグランドデザインしたのが、日本の著名な建築家、丹下健三氏でした。そのグランドデザインに沿って、今、ルンビニは世界の仏教聖地の様相を呈しています。合掌している私の背後にある建物の中に、仏陀生誕を示す石が置かれています。またこの町には、各国に伝播した様々な仏教のお寺が並んでいます。タイ、スリランカ、カンボジア、中国、ネパール、ドイツなどなど実に多様です。さて日本は、途中まで建設が進んでいるものの、何かしらの理由で現在中断されている模様です。

また、上述の日本寺とは別に、日蓮宗系の仏舎利塔が建造されており、こちらには日本からはるばるブッタ生誕の地にやって来た上人が、混沌とする世界の闇を照らす灯りとなるべく、日々おつとめをされておられました。ルンビニを訪れて17年になるという佐藤達馬上人とは、少しの時間ですがお話することができ、我欲渦巻く現代社会に対して、大いに懸念をお持ちであることがよくわかりました。

仏教だけでも世界に伝播し様々な形となっているわけですが、その多様化した仏教が、ブッタ生誕の地ではひとつになって共存している、この姿に触れるだけでも、多様性を排除しがちな今の社会に生きる我々が、ルンビニを訪れる価値があると思ったものです。

 

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⦿孤児院を訪れて 世界の果てしなき不平等を目の当たりにして

今回は、ルンビニ近くのダウネ山麓にある僧院を訪れる機会も得ました。共にネパールを訪れた友人らが、長年支援をしている孤児院の訪問に私も同行をさせていただきました。この僧院には、ブッタの母である摩耶夫人の生地に近く、マヤ夫人が瞑想したという岩がある、由緒あるお寺でもあります。孤児院には、下は2歳ごろから15歳くらいまでの100名を超える子供たちが共同生活をしていました。学校も併設されており、まさに生活空間はこの僧院内ですべてが賄われているようです。子どもたちは、男の子たちはみんな丸坊主でくりくりあたまで、澄み切ったくりくりの目をして、友達と楽しそうに遊んでいます。一方、卒業生が教師をしているそうなのですが、みんな総じて体が小さいというのです。孤児院の経営は苦しく、みんなに十分な栄養のある食べ物を与えられてこなかった、というような話もしていました。みんな元気には見えるけども、孤児院ですから、基本的には親が育てられない、もしくは育てる気がない子供たちが集まってきています。

日本でも、子供の貧困などの問題が最近はクローズアップされています。日本の状況も深刻ではあるけども、このネパールの子どもたちを取り巻く環境は、なかなか一筋縄では手が付けられない、支援の手を差し出すにしても限りがあるのではないだろうか、将来の選択肢をどう広げてあげられるのだろうか、そんなことを難しく考えるのならば、1円でも多くおいて来ればいいのだろうか、などなどと、これまた思索のサイクルに入っていくのでありました。

子どもたちに「将来の夢は何? 何になりたい?」と聞いてみました。そんな質問されたことないのでしょうか、とても恥ずかしそうに、でも笑顔で「先生!」と答える子供がたくさんいました。物質的には圧倒的に不平等の極みにいる孤児院の子どもたちですが、校長先生をはじめとした、子供たちに無限の愛を注ぐ尊敬すべき大人が傍にいるということは、それはそれでとても幸せなのかもしれない、そうも思いました。

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⦿まとめ 結局は、脱GDP至上主義なのか

とてもまとまりのない報告になってしまいました。まとまりがないので、何とか無理やりにでもまとめておこうと思います。ネパールの地理的条件の厳しさを強調しましたが、首都カトマンズが山麓盆地に位置するために、なかなかグローバリズムのスタンダートでは太刀打ちしにくい状況にあるのは事実です。一方、ルンビニが位置するネパール南部のタライ平原は、まさに末広がりの平原で、今は延々と農地が広がるばかりです。今後、ネパールがグローバルスタンダートな方針で発展を目指すのであれば、とてもポテンシャルのある土地であることがよくわかりました。それなりの経済発展がなければ、人々の生活は改善されることはありません。きれいごとばかり言うつもりはなく、現実に即した戦略を、ネパール政府が今後進めていくことを期待するものです。

一方で、やはりネパールを再び訪れて感じるのは、経済的価値に表せられない価値に溢れている、ということです。マックス・ヴェーバーが言うように、人間が価値を置くのは経済的に合理的なものだけではなく、宗教的であったり感情的であったり伝統的であったり、つまり非価格的であっても、人間は価値を見出すのです。その非価格的、非貨幣的な価値に溢れている国が、ネパールなのだということです。(ほぼ)隣国のブータンが、GNHで名を馳せたわけですが、といいながらブータンは水力発電が活発でインドへの売電などでひとりあたりGDPは2000ドル程度ということです。繰り返しますが、ネパールは700ドルです。ここがもう少しブータン程度まで上がって、そのくらいでうまく社会が回るような仕組みが、どうにか見いだせたら素晴らしいと思うのですが。

いずれにせよ、思索にふける機会を与えてくれる、大いに意義深い旅でした。

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土肥隆一元衆議院議員逝去にあたり

衆議院議員を七期、その間に衆議院政治倫理審査会会長、民主党兵庫県連代表などを歴任された土肥隆一元衆議院議員が亡くなられたとの記事に今朝接しました。謹んでお悔やみ申し上げると共に、心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

 

土肥先生といえば、二〇一一年に韓国へ渡られた際、竹島が韓国の領土であると主張した声明が出された際に、その場に同席されたということが日本でも報じられ、多くの批判を受けられ、民主党を離党されたことがどうしても思い起こされます。当時、同じ兵庫県出身の衆議院議員であった私は、その報道に目を疑い、頭を抱えたことを思い出します。ことの真実以前に、問題の性質や既に報道されてしまった内容等から、我々にも相当なダメージが来ることは予想でき、大変当惑したことがありました。

事実、その後は相当の期間、激怒した市民からの抗議の電話や辞職勧告の声が届けられ、土肥事務所はもとより、民主党県連は業務遂行不可能となり、一時期閉鎖を余儀なくされました。党所属であった土肥先生の地元、垂水と須磨の地方議員や、隣接する選挙区の同僚代議士らにも激しい罵声が浴びせられ、少し離れてはいるものの私のところにも、かなりの非難が寄せられました。当時の民主党は、尖閣諸島へ中国籍漁船が侵入した事案に対して船長を早々と釈放したことや、東日本大震災および東電福島原発事故への対応に対する批判もあり、それらに、まるで火に油を注ぐかのように発覚したのが、土肥先生の一件でした。

 

土肥先生の行動を今になって是非を論ずるつもりも、ここで私一人で名誉回復しようなどと言う考えは全くありません。竹島は我が国の領土であることは自明のことであり、土肥先生の当時の報道されたような行動を擁護できるものではありません。あの時、私たちは同じ県連として、なぜあのようなことに至ったのか、直接お話しいただきたいと願いまいたが、その機会を得られることはなく、ほどなく土肥先生が自ら離党され疎遠となってしまいました。

ただ、あの事案のしばし後の新聞記事によって、その一端を知ることが出来ました。その記事には、土肥先生の幼少期の原体験が書かれていました。父親が朝鮮総督府の役人として朝鮮半島に勤務していた時、隆一少年は地元の小学校に通うことになります。そこでは、日本語によって授業が行われ、朝鮮の地元出身の子どもも朝鮮語を話すことは許されません。しかし、十分に日本語が話せない子、思わず朝鮮語が出てしまう子供がいるわけですが、そうした子供に対し、容赦なく教師から半端ない暴力が振るわれる様子を、毎日のように目の当たりにしたそうです。同じ年代の子どもが、毎日のようにぶん殴られている。日本語が話せないというだけでふるわれる暴力に、隆一少年が心を痛めたであろうことは想像に難くありません。その頃の影響があってのことでしょうか、先生は牧師となられ、平和を追求する尊い道を歩まれます。議員となられた後も、平和外交を推進し、弱者に対する温かな慮りを政治の場で実現するべく、活動されました。

 

私自身、土肥先生にお世話になった一人です。土肥先生が民主党兵庫県連代表であった時に、兵庫7区の支部長および衆議院議員候補となる際の様々なハードルに対し、文字通り体を張っていただきました。当時の兵庫7区は、土井たか子元社会党委員長が健在の選挙区で、私の出馬は、一定の協力関係にあった社民党に弓をひくことを意味し、民主党内には私の活動に快く思わない方々もいらっしゃいました。しかし、土肥先生ご自身も元社会党所属でありながら、私の擁立に全力を傾けていただいたこと、私の擁立を党として決めた後にも、納得しない組織団体がいくつもある中で、自らの選挙に影響があることも承知で背中を押し続けていただいたことは、何よりも力になりました。

 

土肥先生と最後にゆっくり話したのは、2012年の夏だったでしょうか。一連の事案を受けて土肥先生は民主党を離党されていましたが、次期衆議院議員選挙への不出馬表明はまだされていらっしゃいませんでした。党として候補を擁立せねばなりませんが、前任党支部長で現職議員の土肥先生と話もできていないようでは、選挙など戦えるはずもありません。私は、党県連選対委員長という立場でしたから、土肥先生の去就を明らかにしていただかなくてはいけない、そして対応せねばいけない立場でした。もっとストレートに言えば、私と、当時の県連代表であった松本剛明代議士は、土肥先生に引導を渡さなくてはいけない職責にありました。

久々にお会いし、昼食を共にした土肥先生は、最初こそ雰囲気が打ち解けていなかったものの、松本代議士と私が雁首を揃えて恐縮した姿をみて、勇退を決断していただいたことと思います。たかだか一期も務めていない私がいるところで引導を渡されたことをどう思われたか、その気持ちがわかるほどの人生経験を未だに積めておりませんのでわかりませんが、心地よいものでないことだけは明らかであったでしょう。

 

晩年は、風の便りに、体調を崩されていることを聞いてはおりました。どこかでお会いして、選挙の話を抜きに、ご自身が歩まれた人生や、私たちへの教訓をお聞かせいただく機会があればよいと思っておりましたが、今日、悲報に接することとなりました。無念の思いであったか、それともご自分としては一連の事案を十分咀嚼されていたか、そのこともわからず仕舞いでありますが、土肥先生が歩まれた道の後ろには、私をはじめとした、真の平和を求める若者がこの国にいることは事実です。

 

天に召され、聖者となられた土肥先生。生前のご厚情に心よりの感謝を申し上げ、今はただ安らかに、ご冥福をお祈りするものです。ありがとうございました。

 

石井登志郎拝

2016年の年頭ご挨拶

2016年が幕を開けました!

 

いよいよ、新しい年が幕を開けました。例年と同じく、朝起き会の元朝式から爽やかにスタートする一年となりました。

 

さて2016年の干支は丙申(ひのえさる)。含意は、これまで表出してこなかったような様々な物事が明らかになってゆき、実が固まっていく、とされています。昨年2015年の干支が乙羊(きのとひつじ)で含意がまさに我慢でありましたから、これとあわせて考えると、今年は昨年まで悶々としておさえつけられていたものが表面化していく一年なのだと思われます。

 

私にとっても、なるほどと思える干支の巡りあわせです。私にとって何が表出していくかは、私次第ということでしょう。地に足を付けて成果を表出できる一年にしていきたいと思います。本年も東京と関西を行き来する一年になると思います。また新たな分野へのチャレンジも決め、これまで見えてこなかった世界から自分自身や我が町の探求をしたいと思っています。それと、さび付いた英語力のバージョンアップとダイエットなど体作りも頑張ろうと思っています。(嫁には「年明けからの決意は毎年聞いている気がする」と言われてしまいましたが(笑))

 

今年一年が皆様にとって実りある一年となりますことを祈念するとともに、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

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「おおさか維新」の勝利に関する考察

〝圧勝″の要因を探る
大阪府知事と市長選挙のダブル選挙では、「おおさか維新の会」の圧勝という結末でした。事前の調査などでは、特に大阪市長選挙の方では反維新陣営が優勢との報道もありましたから、選挙戦における維新陣営の勢いは相当なものだったということです。この圧勝の要因は何か、日本の政治の行き先を鑑みるために、しっかり咀嚼したいと思います。
 
多くの識者がこのW選挙の考察をブログなりで発表しています。その中で一番わかりやすくすとんと落ちる説明をしてくれるのが国際政治学者の三浦瑠璃さんの分析です。長文ですから抜粋しますが、今回のW選挙維新勝利の要因で次の点を指摘します。
 
維新への評価には個別の政策を離れた社会文化的なものがあるように思います。それはトップダウンの意思決定スタイルであり、議論を尽くしたならば決をとるという原則主義です。個別の既得権集団に事実上の拒否権を認め、強い反対が存在する限りは現状維持がまかり通ってしまう、「ムラ社会」への不満です。
(中略)
都構想をめぐる住民投票で前面に出された統治機構改革の原則論や、詳細な行政的論点ではなく、維新が設定した強烈なメッセージ=ポリティクスが奏功したのです。
それは、改革を前に進めるか戻すかであり、かつての大阪市政に戻していいのかということであり、都構想にもう一度挑戦するか否かということでした。
 
確かに、「ムラ社会」に対する普通の市民の反発が強いことは、私もよくわかります。一部の人だけが得をしているように見えるのです。それと維新のスタイル、確かに分かりやすいと思いますが、それが対立や罵詈雑言を浴びせなければいけないことなのか、そこは理解に苦しむところです。
私は、この三浦さんの分析と合わせて注目するのが、維新は空中戦頼りに見えるけれども、実は「どぶ板」選挙にも徹底して力を入れて来た、ということです。私の周りの話でも新聞記事でも確認できますが、大阪府下の地方議員100名以上に国会議員とそのスタッフ、さらに支援者を総動員していわゆる「どぶ板」を徹底的に行い、電話かけから街頭活動に至るまで、しっかりとやりきっていました。対する反維新連合も、同じく組織戦を展開したようですが、同じ物量合戦になれば、メッセージ力が強い方が上回るのが世の常です。
 
大阪の圧勝と全国の温度差 大阪はスコットランド化するか
今回のW選挙で、大阪では維新の力は衰えていないことが示されました。一方で、この強さは大阪とその近隣に限られていることが大きな特徴です。私が目にした世論調査では、自民党支持率は全国的に20%から40%、対する民主党支持率は関西以外の北海道や愛知などでは10%から15%前後で一部で自民党に拮抗(兵庫県民には信じられない!)、維新の支持率は1%から5%程度です。一方で関西では、自民党とおおさか維新の支持率は20%前後で拮抗、民主党は共産党や公明党と5%前後で競い合う様相です。要は、大阪と関西のごく一部でのみ、「おおさか維新」の威力が示されているという状況です。
 
ここで想起されるのが、今年イギリスで行われた総選挙で、スコットランドの地域政党とも言えるスコットランド国民党が、スコットランド地域の議席をほぼ独占し、前回の6議席から56議席に躍進をしたことです。イギリスは、イングランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドの四つの国がひとつになった王国です。イギリス下院(庶民院)650議席中59議席がスコットランドに割り当てられています。そのうち56議席をスコットランド国民党が獲得したわけです。
ちなみに、前回2010年のイギリス総選挙においては、保守党、労働党に続く第三党はクレッグ党首率いる自由民主党で、57議席を獲得して第三極の地位を確立し保守党との連立政権を組みました。それが2015年には8議席と惨敗をしています。第三極が政権に入る、ないしすり寄ると消滅すると言われる一つの例と言えるでしょう。
「おおさか維新」が大阪に特化しスコットランド国民党化して勢いを維持するか、イギリス自由民主党化して一時の春を謳歌するか、今後の舵取りが注目されます。
 
政治の関心を喪失させてはいないか 
今回のW選挙の投票率は、大阪市長選挙50.51%、大阪府知事選挙が45.47%でした。前回(2011年)W選挙は、市長選挙が60.92%、知事選挙が52.88%でしたから、市長選挙で10%ダウン、知事選挙で7%ダウンとなり、前回より関心が薄れたとも言えます。しかし、その前と比べると、市長選挙(2007年。平松市長誕生)は43.61%で7%多く、橋下さんや維新の登場が投票率を高めはしたけれども、前回2011年が熱狂のピークであったと見ることが出来ます。2005年の郵政選挙、2009年の政権交代選挙、そしてこの大阪W選挙。熱狂とワンイシューで注目をひいた手法が派手すぎたために、有権者が政治から離れていくことは一番好ましいことではありま せん。この嵐が過ぎた今こそ、民主主義は地に足をつける時と思います。