【飯舘村の学校】怒るPTA、涙流す生徒~被曝や友人関係無視し「17年4月再開」に固執する菅野村長 | 民の声新聞

【飯舘村の学校】怒るPTA、涙流す生徒~被曝や友人関係無視し「17年4月再開」に固執する菅野村長

飯舘村長の打ち出した2017年4月の村内学校再開方針に、村民らが「時期尚早」とNOを突き付けている。保護者からも子どもたちからも異論が噴出しているが、菅野典雄村長は「村がなくなってしまう」と譲らない。村民はなぜ反対しているのか。村立臼石小学校のPTA会長で「飯舘村の子どもの将来を考える会」メンバーでもある川井智洋さん(42)に話を聴いた。会の実施したアンケート結果からは、保護者の切実な不安や学習環境を変えられたくない子どもたちの想いが伝わってくる。



【保護者の7割超が「時期尚早」】

 昨年10月7日、村教育委員会の設置した「学校等再開検討委員会」の第1回会合。PTA会長として出席した川井さんは、菅野村長が「村内で2017年4月に再開するという前提で話し合いを進めて欲しい」と切り出したことに、大変驚いたという。

 「唐突でした。事前に何の話も無く、いきなりでしたからね。そもそも避難指示解除と同時ではなく、インフラ整備などを見極めてから子どもを連れて村に帰る人が出てくるものと考えていましたから。村のまとめた復興計画も、そういう前提でしたしね」
 国は2017年3月末までに、「帰宅困難地域」を除く「居住制限区域」、「避難指示解除準備区域」の避難指示を解除し、帰還を促す方針を打ち出している。飯舘村では、特に汚染の度合いの高い長泥地区を除いて避難指示が解除されることになり、それと同時に学校も村内で再開させようというのだ。

 「そもそも保護者の意見を吸い上げていない」と川井さん。当然、前提条件の見直しを求めたが、村長の回答は「変えられない」。村内の幼稚園、小中学校の保護者らは、業を煮やして「飯舘村の子どもの将来を考える会」を結成。昨年11月には、村立幼小中学校に通う子どもの保護者へアンケートを実施した(回収率83.4%)。

 「2017年4月1日に村内で幼小中学校を再開することについて、どのように思われますか?」という設問では、実に71.9%が「まだ早いと思う」と回答。「転校を考えている」、「結論を出すには与えられた時間が少ない」などとして「どちらとも言えない」が25.7%。「ちょうど良い時期だと思う」と答えた保護者は、わずか2.4%だった。村長が学校再開を強行した場合にも「通わせたくない」、「あまり通わせたくない」が計86.2%に上り、学校再開時期としては、38.9%が「帰村宣言(避難指示解除)から5年以上経過後」、33.8%が「同3-4年経過後」と答えている。

 村教委も昨年12月、未就園児の保護者や転校済み児童・生徒の保護者を含みアンケート調査を実施(回収率58.1%)。「村の学校等に通う」と回答した保護者は17.5%にとどまり、「村外」の76.1%を大きく上回った。菅野村長のかたくなな意思とは裏腹に、村民の戸惑いは明らかなのだ。
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雪の遮蔽効果があってもなお、0.6μSv/hを超す

飯舘中学校のモニタリングポスト。菅野村長は来年

4月再開の方針を曲げていない


【菅野村長の強引さに批判噴出】

 「まだまだ飯舘に戻って生活するには不安がある。しかし、出来れば転校はさせたくない」

 「考える会」のアンケートに寄せられた自由意見からは、わが子を案じる保護者たちの切実な苦悩が伝わってくる。多くの保護者が「放射線被曝への不安」と「友達と離れたくないという子どもの願い」とのはざまで揺れ動いているのが分かる。飯樋、草野、臼石の3小学校の子どもたちは現在、川俣町内の仮設校舎に避難先からスクールバスで通っているが、村内再開が強行されれば、村内の学校に通わない子どもは福島市や伊達市など避難先学区の学校への転入を余儀なくされる。4児の父親でもある川井さん自身、「今の住まい(福島市内)の近くに転校させたいが、子どもにとって友達は大切。悩ましいです」と話す。
 村の学校に通わせたいと答えた保護者であっても「避難先の借り上げ住宅はいつまで借りられるのか?」、「線量の問題が全く解決していない」、「転校しても他の学校になじめない」などと不安を綴っている。「山など除染されていない場所があり不安」、「放射線量がわずかしか下がっていないところに通わせたくない。避難した意味が無い」、「村が安全だと思えない」、「黒い袋が積まれたままの飯舘へ通わせるということを今は考えられない」、「村の安全を信用して戻る大人が何人いるか?」…。

 今月19日には、飯舘中学校の1年生と菅野村長の意見交換会「村長さんと語る会」が開かれた。村のホームページによると、涙ながらに「皆で一緒に卒業したい」と訴える生徒もいたが、菅野村長は「物事には必ず良い面と悪い面があるもの。人生にはそこを判断しなければならない時があります」などと応じ、再開時期の見直しに前向きな答えはなかったという。

 来年4月の村内再開に固執する菅野村長。アンケートでは、強引な手法へ厳しい批判も複数寄せられた。「学校を再開するという手法で帰村を促す村のやり方に納得いかない」、「親の気持ちを無視して、村内での学校再開を進めるのはやめて欲しい」、「子ども一人一人の心の声を聴いてあげて」、「子どもたちを犠牲にしてまで、国の言いなりにならないといけないのか」、「大切な子どもを復興にこじつけて振り回さないで欲しい」、「教職員は再開に賛成しているのか?」、「子どもたちを人質にされた思いがする」、「大人が帰村を躊躇しているのに、まず学校からというのは横暴すぎる」、「ふるいにかけられていると感じる」、「帰村に対して簡単に考え過ぎていて怒りを覚える」、「子どもは行政の道具ではない」、「村長の考えにはついて行けない」。

 そして何より、次のような意見が、村民の意向を無視した菅野村長の強引さを如実に表していると言えよう。

 「なぜこの大事な話を一斉に保護者に言わないのか。なぜTVニュースで先に知らなければならないのか。これが一番おかしいと思う」
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川俣町の仮設校舎。菅野村長は、子どもたちに

つらい二者択一を迫っている


【「親が子どもの命を守ることは当然」】

 川井さんら「考える会」は今月7日、菅野村長や村教委に対し、村内での学校再開時期を早くても2020年4月以降に見直すことを求める要望書を提出。村議会にも請願書を出した。要望書は「もし健康被害が出たとしても国や県は放射能との因果関係を認めないと思うし、そうなったときの責任は親である私たちの責任になる。子どもの命を守ることは親として当たり前の事だ」、「来年4月に再開させたら、子どもの数が少なくなるのは火を見るより明らか」、「進路や修学旅行などで大事な時期を迎える現在の中学校1年生が転校を余儀なくされる」などとして「もう少し、仮設幼稚園・小中学校に通わせてください」と求めている。添えられた署名は700筆を超えていた。

 広報誌「広報いいたて」2015年11月号では「村内学校再開について、多様な角度から検討を進めていきます」と書かれているが、現段階では菅野村長は「義務教育の学校がない村は考えられない」、「あと5年も10年も仮設校舎を続けていく訳にはいかない」、「線量を下げる努力をする」などとして来年4月の再開方針を曲げていない。
 「村長は、対外的には『子どもは宝』などと言っているのに…」と川井さん。「何回でも対話はする、と繰り返し言っているが、実際には対話ではなく説得なのだろう」。
 原発事故による全村避難の結果、避難先の学校への転出が相次いだのも事実だ。村立学校へ通う子どもたちは原発事故前の半数ほどにまで落ち込んだ。新入生数は先細りで「(村内の学校に)1人でも多くの子どもに通ってもらい、復興の一翼を担って欲しい」という気持ちも理解できなくはない。ただそれは、放射性物質の拡散と汚染が続いている現状では優先されるべきではない。今は、村の存続よりも村民の健康を考えるべき時だ。

 菅野村長は、2011年8月に出版した著書「美しい村に放射能が降った」(ワニブックスPLUS新書)の中で、原発事故直後から全村避難に否定的だったことを綴っている。

 「(3月25日に)長崎大学大学院の高村昇教授が『基本的な事項さえ守れば、そんなに心配することはないよ』という趣旨の話をしてくれたので、私も安心した」

 「村民が村を出てしまえば、この飯舘村はなくなってしまう」

 「飯舘村が、原子力事故における放射能汚染被災地の範となって、復旧・復興を果たす」

 「ともかく、村をゴーストタウンにすることだけは避けたかった」

 「村民を強制的に即時避難させようとしない私を『殺人者』呼ばわりしたり、強く非難したりするメールもあった」

 「我々の村は危険だと言っても、原発周辺の自治体と比べれば、線量ははるかに低い」

 「放射線のリスクだけで、村民の仕事や家庭を壊すわけにはいかない」

 そんな菅野村長にしてみれば、避難指示解除と同時に村内で学校を再開させることは何ら疑問の余地が無いのだろう。無投票当選した2012年10月の村長選挙後にも「今後4年間で帰還を開始する」と語っている。〝公約〟に忠実な村長を、村民は今後も支持し続けるのか。今年10月にも村長選挙が予定されている。



(了)