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[粒子線治療][陽子線治療][菱川良夫] 名誉センター長のこばなし ~がんから学ぶこと~

一般社団法人 メディポリス医学研究所
メディポリス国際陽子線治療センター 名誉センター長
菱川良夫による講演からの小話。

昨年の4月から、小児がんに対しての陽子線治療が保険診療の適応となりました。

 

40年前に大学病院で放射線治療を行っていた時です。
その大学に著名な小児外科の教授がおり、たくさんの小児がん患者さんの治療をされていました。  

 

小児がん治療は、総合芸術のような治療です。
手術、抗がん剤の治療が主ですが、それらに放射線治療が加わることがあります。

 

当時、この大学病院の放射線治療医は私一人で、たくさんの症例に携わらせていただいたことを思い出します。

 

その中の一人に、放射線治療を併用した小さな男の子がいました。
彼は、私の息子の同級生のお兄ちゃんであったこともあり、今でも鮮明に覚えています。
今は東京で元気に働いているということを、先日息子から聞き、嬉しくなりました。

 

これからは、より身体に優しい陽子線治療を小児がんに応用する時代が訪れます。
小児がん専門の外科医や小児科医とのチーム医療になります。
幸い、鹿児島大学のチームとは良い関係が作れそうです。

また、当センターでは海外からの小児がん患者さんの治療も積極的に行っております。
今年に入って、13歳男児の治療を行いました。
彼の滞在中の様子については、以前のこばなしをご覧ください。

 

第290回 60羽の折鶴
http://ameblo.jp/ptrc/entry-12245061295.html

 

 

 

小児がん治療に対して陽子線治療を行う場合、一緒にチームを組む他科の先生の要望を聞き、治療にあたらなければなりません。
身体が小さく、弱く小児に対しての治療は本当に繊細です。

 

当センターでは、様々な難治性のがん治療を行っているため、膨大な治療ノウハウが蓄積されています。
これらのノウハウが、小児がん治療にも活用され、優しい治療を提供できていると感じています。

 

引き続き、小児がん治療の分野でも「幸せな医療の提供」を行い、一人でも多くの笑顔を作り出していきたいと思っています。

机の中を見ていたら、古い写真を記録したCD-Rが出てきました。
その写真を見て、昔のことを思い出したので書かせていただきます。

 

1970年に開催された大阪万博。もう50年も前のことになります。
当時、開催地が地元大阪ということもあり、「万博なんて...」という感じで全く興味がありませんでした。

 

それから数ヶ月が経った頃、友人に「万博に行かないか?」と誘われました。
断る理由もなかったので、足を運び、ジェットコースターに乗ることになりました。

 

ジェットコースターは人気らしく、長蛇の列。
私も2列に並んで順番が来るのを待っていました。
私の前には、米国人の夫婦と高校生ぐらいの娘さんの3人家族がおり、楽しくお話をされていました。

 

いよいよジェットコースターに乗る順番が回ってきて、座先に座るという時、
私は米国人家族の娘さんと隣同士になりました。

 

そのとき、片言の英語で、「どこから来たのか」と質問したのが、外国人との生まれて初めての会話です。
非常に可愛らしい女性だったこともあり、外国人と会話をする楽しさに目覚めました。

 

私が英会話学校に通いだしたのは、それから間も無くしてのことです。

 

 

万博が終わった翌年、ロータリーの交換学生として米国に一ヶ月半滞在しました。
 

その翌年、ヨーロッパを三ヶ月かけて一人旅。
今回見つかったCD−Rに入っていた写真は、その一人旅の時のものでした。

 

 

旅が好きになったのもその頃からです。

 

万博で、可愛い外国人女性とジェットコースターに乗り合わせていなければ、別の趣味、別の人格になっていたかもしれません。

 

ほんの少しのきっかけで人生は変わります。
皆さんも、何でもないような日々の中に、将来を大きく変えるきっかけが潜んでいるかもしれません。

 

どんな時だって、行動を起こすことで新しい何かが始まります。
思い立ったら、迷わず行動し、人とのコミュニケーションを大切にして下さい。

 

なお、今のご時世、外国人女性にむやみやたらに話しかけるのは危険ですのでお気をつけください。

最近、センターで治療を受ける女性患者さんが増えています。
女性の患者さんの多くは遠方からお越しで、隣接のホテルに滞在されている姿をよく見かけます。

 

 

当センターでは、2011年に治療を開始をしてから、ゲストサービスと名付けた女性担当者を置いてきました。
 

彼女には、ホテルのコンシェルジュよりも患者さんに近い存在、「隣のお姉さん」の雰囲気で患者さんに接するようお願いしています。

 

多くの患者さんが、医師や医療技術者に言えない気持ちを彼女が汲み取り、我々に適切に伝えてくれます。
本当にありがたい存在です。

 

最近、彼女と患者さんについて話をしているときに、女子会が開催されていることを聞きました。

 

彼女が間に入り、女性患者さんの楽しみ作りをしています。
カラオケ、茶話会、花壇作りなどです。

 

 

 

多くの患者さんは、一ヶ月前後の期間 滞在されます。
その間に患者さん同士が知り合いとなり、滞在生活を楽しんでいるということを聞き、嬉しく感じました。

 

私たちのセンターは、おしゃべりやカラオケを通して、自分の病気だけでなく他人の病気にも気遣いながら、日常の中で治療を受けることが出来る施設です。

 

がん治療は、 医療以外の部分…
例えば、「患者さんの治ろうとする気持ち」や「家族の治ってもらいたい気持ち」が非常に大切なのではないかと考え、講演や懇話会でもお話ししています。

 

女子会でできる友人を思う気持ちも、がん治療には良い効果を発揮するかもしれません。

2017年1月1日で開港150周年を迎える神戸港では、様々なイベントが行われています。

 

 

その一つが、クイーン・エリザベス号の神戸発着のクルーズです。

 

入港日の朝、ポートターミナルまで30分ほどウォーキングをして、その姿を見に行きました。

すでに多くの人が、巨大な船の周囲で、写真を撮っていました。
 

私も早速写真を撮り始めたのですが、とにかく大きいので、全体像が撮れません。
(反対側に回り込み、何とか撮影できました)

 

 

 

船客の中に、手を振る人や写真を撮る人がいて、船内も賑わっていました。
この日の夜には神戸を出航し、1週間後にまた神戸に戻って来るそうです。

 

出航の時間には400発の花火が打ち上げられ、とても華やかでした。

 

神戸を出港して2日後の早朝には鹿児島に入港し、夕方に出発するとのことでしたので、
一足早く飛行機で鹿児島へ移動していた私は、魚見岳という錦江湾が見渡せる山の展望台に行き、撮影の準備をしていました。

 

知林ヶ島が見えましたが、この島は春から秋にかけて、潮の加減で陸続きになります。

 

今回も一部その雰囲気が伺えました。
知林ヶ島とクインエリザベス、良い写真になりそうです。

 

期待を胸に予定の出航時間から1時間待ちましたが、見ることができませんでした。
(出航が予定より遅れたことをその後知りました)

 

またの機会に、クイーン・エリザベスと知林ヶ島の写真錦江湾を撮ることにして、寒い春風の中、帰りました。

 

 

現在、当センターでは同時に複数名の中国人患者さんの治療を行っています。(2017年3月現在)

 

センターの中国人医師(センターでは医療を行わず、主に陽子線治療の勉強をしながら、中国人患者さんの治療の際は日本人医師と患者さんとの間で通訳を担当)に、どうして増えているのかと質問したところ…

 

鹿児島 〜 上海 間で飛行機の直行便が就航していることがまず理由に挙げられました。

 

日本に初めて来る患者さんにとって、日本国内で飛行機や新幹線を乗り換えることは大変難しく、この直行便は大きなポイントだそうです。

 

中国人観光客といえば、少し前に「爆買い」という言葉が流行りました。
日本に来てたくさん買い物をする際、必ずどこの国の製品かを確認するそうです。

 

主に求めているものは、もちろん「made in Japan」 。

 

先日、中国人医師に「中国人の患者さんを診察してみては?」と提案したところ、「それはダメです」と言われました。

 

なぜかと聞くと、「私は中国人医師(made in China)だからです。中国人は、日本の医師(made in Japan)に診てもらいたいのです」と言われました。

 

また、当センターでは、日本人患者に施す治療と同じ治療を、日本人医師が中国人患者に施しています。これも、中国国内でクチコミが広がる一因なのかもしれません。

 

中国人医師(made in China)も、もちろん我々の大切なチームの仲間です。
彼らが頑張っているおかげで、中国にも幸せな医療が提供できています。

 

3年前に当センターで治療を行った80歳の中国人男性が先日亡くなりました。
それから間もなくして、家族から感謝の手紙が送られて来ました。(紹介元の中国人が日本語に訳しています)。

 

 

手紙の中には、治療中の日本での楽しい生活に感謝して下さっていることが書かれており、世界に広がる「幸せな医療の提供」を実感しました。