【銀座であんぽ柿PR】「福島県産は食べたくない」は「風評加害」か?「消費者の当たり前の用心」か? | 民の声新聞

【銀座であんぽ柿PR】「福島県産は食べたくない」は「風評加害」か?「消費者の当たり前の用心」か?

「風評被害」。福島第一原発が爆発して以来、一体どれだけ使われた言葉だろうか。国も行政も「食べて応援」を掲げ、ともすると「買わない消費者」が過剰に内部被曝を恐れているかのような風潮は消えない。原発事故から4年9カ月。追加被曝を避けようと「福島産」に手を伸ばさないのは「風評加害」なのか。東京・銀座でPRを始めた福島県伊達市のあんぽ柿農家の話を軸に、風評について改めて考えたい。



【「測っているのは福島だけ」】

 「風評被害というのは現実に存在すると思いますよ。大手スーパーが扱ってくれなかったりというのはありますから。でも、買ってくれないからといって消費者を責めるようなことはしません」

 福島県伊達市梁川町の農家で、JA伊達みらい「あんぽ柿生産部会」部会長を務める宍戸里司さんは語った。都営浅草線・東銀座駅からほど近いビル10階のテラス。背後には松屋や三越などの看板が見える。NPO法人「銀座ミツバチプロジェクト」の協力で伊達産の柿を1月まで吊るし、原発事故で売り上げが落ち込んだあんぽ柿をPRしようと上京したのだった。

 60代の宍戸さんは、農家の4代目。物心ついた頃からあんぽ柿に接してきた。第一次大戦で生糸の価格が暴落したのを機に、養蚕農家が生産し始めたというあんぽ柿。酸化防止のため、干す前に硫黄で燻す技術は同町の発祥と言われる。「90年以上も生産が続いてきたのは、やっぱり美味しいからですよ」。宍戸さんは素早い手つきで柿をむきながら話した。

 伊達市農林業振興公社によると、柿は乾燥すると放射性濃度が3倍に濃縮されるため、幼果期、収穫前、箱詰め後の3回、検査を実施。1kgあたり50ベクレル以下であることが確認されたものだけを出荷しているという。同公社幹部は「どうしても単語としては『風評払拭』ということにはなってしまうが、なかなか一言では言い表せるものではなく難しい。消費者に理解をしてもらって、食べていただきたい」と慎重な言い回しだが、こんな本音も吐露した。「測っているのは福島だけですからね。他県のあんぽ柿の数値はどうなんでしょうか」。

 あんぽ柿は、道行く人にPRするためビルの1階に吊るされた。宍戸さんは「買う買わないは自由だから仕方ない。でも、安全性を分かってもらう努力は続けていく。1年1年の積み重ねしかない」とあんぽ柿を見上げた。そして、こう続けた。

 「風評はね、人々が忘れてくれれば良いんですよ。宮崎の口蹄疫は震災の前年だからね。でも今や、誰も口蹄疫が怖いとは言わないでしょう。願っているわけでは無いけれど、何か大きな事件や事故が起こるしかない。でも、原発事故以上の事故なんて無いからね…」
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(上)東京・銀座に吊るされた伊達市のあんぽ柿

(下)生産者・宍戸さんは「買わない消費者を責める

ことはしない」と語った=紙パルプ会館


【1kg100ベクレルは「呪縛」か】

 6月1日に開かれた参議院の「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」。一番手で質問に立った熊谷大議員(自民、宮城)が「これが緩和されれば、被災地はもっと元気になるのにな」として、食品中に含まれる放射性物質の基準値を挙げた。食品1kgあたり100ベクレルという基準値が「非常につらい呪縛として被災地を縛っている」というのだ。

 自民党青年局「チームイレブン」の一員として福島県いわき市も視察に訪れたという熊谷議員。生産者が一様に「100ベクレル以上はほとんど出ないと言っている」と紹介し、「あの混乱の中で設定したものが果たして今はどうなんだろうということも見直していくべきなんではないかな」、「この100ベクレルという基準を設定する前は暫定で500ベクレルで、みんな被災地の食品、農産品を食べて応援しようぜと言っていた」、「この100ベクレルという数値があるがゆえに、世界各国、今でも40か国が輸入規制をしている」などとして、竹下亘復興大臣(当時)に「大臣の雷のような一言で是非見直しを指示、または見直しを検討していただければな」と基準緩和を迫った。

 これに対し、竹下大臣は「直接私の所管ではない」、「私自身で判断がなかなか難しい問題」と苦笑。「厚労省に聞きますと、これは見直すつもりはないというふうに答えております」と、やんわりと拒否した。生産者を苦しめているのは、果たして基準値なのだろうか。そもそもの「汚染」から目を背けてはいないか。だが福島県内にも、100ベクレルという基準値に疑義を投げかけている首長がいる。伊達市の仁志田昇司市長だ。2014年1月の広報紙に掲載されたコラム「市長日誌」で次のように綴っている。タイトルはズバリ「あんぽ柿」だ。

 「そもそもヨーロッパでは1キロあたり1200ベクレルが基準だし、毎日食べるのであれば如何かと思いますが、多少基準値をオーバーしていても、美味しい物を食べた方が精神衛生上はいい」

 「放射能について正しく理解してもらい、恐れるばかりでなく、現実的な判断をしてもらうことを目標のひとつにしたい」

 仁志田市長は「無用な内部被ばくを避けるのは当然です」とは書いているものの、たびたび「心の除染」を口にするなど、本音は「安全なのに一部の人間が怖がり過ぎている」という立場だ。3日の市議会本会議でも、Cエリア全面除染を求める看板やのぼりが複数、立てられていることに関し「汚染があるのは事実だが、ことさらに取り上げるのは伊達市にとってマイナスだ。看板やのぼりは撤去してもらいたい。何とかして伊達市は安全だとアピールしていくことが大事だ」と答弁している。

 伊達市のあんぽ柿農家がわざわざ銀座まで足を運んでPRしなければならないのはなぜか。それは売れないからだ。では、売れないのはなぜか。消費者が過剰に怖がっているのだろうか。違うだろう。そもそも原発が爆発し、放射性物質が拡散された。不幸にして農家が大切にしている土地が汚されてしまった。その事実は4年9カ月で消え去ったのだろうか。

(上)参議院会館の食堂では、福島を含む東北産の

食材を積極使用している

(下)「食べて応援しよう」キャンペーンを続ける農水省


【「消費者の当たり前の用心」】

 「福島産」を避ける側はどう考えているのか。

 「汚染地域の農産物は、たとえND(不検出)だとしても原発事故前と比べて10-100倍の汚染があると言っていい。これを食べるのかと言われたら『可能な限り避ける』ことが合理的な判断。安全な被曝など無いのです」

 福島県いわき市から県外に自主避難した父親は語る。「1食0.1ベクレルだとして、1000万人が食べたら総量は100万ベクレルになる。LNT仮説(放射線の被曝総量と影響の間には閾値(しきいち)がなく、直線的な関係が成り立つという考え方)では、1人が100万ベクレルを食べる被害と、1000万人で100万ベクレルを分ける被害は同じ。被害者の自覚が無く特定が出来ないだけで、既に被害は出ていると考えるのが妥当だ。これは出荷制限などで避けることが出来た追加の人災と言える」と厳しい。「やはり、汚染地域ではエネルギー作物などへの転作をするべきだった。米や果物などを作れなくなった生産者へは、その損害を賠償するべきだった」。

 伊達市内に暮らす母親も同様の考えだ。

 「『微量の毒がありますが、身体に影響ないですよ』という食べ物があって、微量であっても食べさせる親などいないでしょう。子どもには、微量の毒がある食べ物を食べて欲しくはありません」

 少し以前のものだが、福島大学の後藤忍准教授のゼミ生たちが2013年、「風評被害」に代わる言葉を調べているので紹介したい。

 後藤准教授は「放射能汚染の実害」と定義。影浦峡・東大教授は「汚染被害」と答えた。静岡大学の小山真人教授の回答は「消費者の安全不信による経済的被害」。そして、詩人・アーサービナードさんは次のような言葉で表現した。

 「消費者の当たり前の用心、最低限の自己防衛」

 私は、これが最も的確な表現だと考える。




(了)