法廷に響いた「じいちゃん」の哀しみ。「原発事故が家族をバラバラにした」~福島原発被害東京訴訟 | 民の声新聞

法廷に響いた「じいちゃん」の哀しみ。「原発事故が家族をバラバラにした」~福島原発被害東京訴訟

政府の指示に拠らない、いわゆる「自主避難者」たちが国と政府を相手取り、原発事故による損害の賠償を求めた「福島原発被害東京訴訟」の第15回期日が20日午前、東京地裁103号法廷で開かれた。いわき市の70代男性が意見陳述に立ち、放射線被曝を避けるため都内に避難中の娘や孫への想いを述べた。「じいちゃん」の意見陳述を中心に、原発事故被害者の哀しみや苦悩に思いを馳せたい。次回期日は3月16日。



【「孫を放射能汚染から守りたい」】

 静寂に包まれた法廷。用意した原稿を持つじいちゃんの手は、小刻みに震えていた。

 「原発事故がなければ、私たち家族がバラバラになることはなかった。このことだけははっきりしています」

 視線の先では、女性裁判長がじっと聴き入っている。背後は、ほぼ満席となった傍聴席で支援者らが見守る。緊張でやや早口になったが、最後まで読み上げた。「平穏でささやかな毎日が、原発事故によって一変してしまいました」。

 原発が爆発したと聞き、小学校1年生と2年生の2人の孫の健康を真っ先に心配した。自宅を増築し、二世帯住宅での娘家族との〝同居〟。孫からは「じいちゃん」と呼ばれ、男性が寝かしつけることもあったという。そんな可愛い孫たちを被曝させてはいけない─。娘と話し合い、都内への避難を決めた。「孫を放射能汚染から守らないといけない」という一心で向かった東京。しかし、慣れない東京、しかもホテルやウイークリーマンションでの避難生活は「言葉では言い表せない、つらいものでした」と振り返る。

 先の見えない避難生活。物価も高く、仕事と年金による家計は、いつ破たんするとも分からない。「常日頃から、自分がしっかり働いて、家族につらい不自由な思いをさせないようにと考えている」という男性は、断腸の思いで妻といわき市に戻ることを決める。しかし、孫たちを汚染の恐れのある故郷に戻すわけにはいかない。被爆回避のため、じいちゃんは孫と離れて暮らすことになった。
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法廷で「原発事故前の幸せな生活を返して欲しい」

と訴えた、いわき市の男性。娘と孫は都内に避難し、

離れ離れになってしまった


【ガーデニングやめてしまった妻】

 原発事故が引き裂いた孫とじいちゃん。だが、放射性物質の飛散がもたらしたものはそれだけではなかった。ガーデニングが好きだった妻は昨年1月、植木職人に頼んで庭の植木を全て切ってもらったという。

 「庭の空間線量は高かったが、除染はより線量の高いところが優先されるため、私の自宅は除染してもらえる見通しも立たない。妻はとても植木の世話をする気持ちにならなかったようです」。植木だけでなく、庭ではチューリップやラベンダーなども育てていたが、原発事故後は手をつけなくなってしまったという。「孫の姿が自宅からなくなり、好きな土いじりも放射能汚染によって制約され、妻はとても悲しい思いをしています」。
 男性は、実名を伏せて原告番号で意見陳述に臨んだ。その理由を、弁護団の1人である吉田悌一郎弁護士が法廷で述べた。

 「自主避難者(区域外避難者)は、政府の避難指示に拠らないことから、あたかも勝手に避難しているかのようにインターネット上で誹謗される。エセ避難者であるとの心無い攻撃を受ける。賠償金に関しても、区域内避難者と比べて差別的な扱いをされている」

 挙げ句、2017年3月末をもって住宅の無償提供が打ち切られる。小学校6年生と中学校1年生になったじいちゃんの孫たちも、自力で住まいを確保できなければ、いわき市に戻るか路頭に迷うかの理不尽な二者択一を迫られる。しかし、放射線被曝の恐れのあるいわき市には戻れない…。いつになったら、孫との楽しい日々が戻ってくるのか。じいちゃんは静かにこう、締めくくった。

 「原発事故前の幸せな生活を、国と東電は今すぐに返して欲しい」
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原告の1人である鴨下祐也さん(ひなん生活をまもる会

代表)は、報告集会で「住宅支援が打ち切られれば大

混乱になる」と国や福島県の住宅支援打ち切りを批判

した=弁護士会館


【「法廷での勇敢な姿は誇りに思う」】

 福島原発被害東京訴訟は、2013年3月11日の1次提訴からまもなく3年。今年は被害を立証するための原告本人の尋問や、専門家による証人尋問が行われる。

 証人尋問には、早大教授で、避難者1万6千人に行ったアンケートで避難者の4割にPTSD(心的外傷後ストレス障害)の恐れがあると警告する辻内琢也氏や、「高木学校」の一員で、いわゆる国会事故調の委員だった崎山比早子氏。そして東芝の元社員で、福島第一原発3号機原子炉も設計した吉岡律夫氏を予定しているという。原告の本人尋問は一世帯につき1人が、弁護士との主尋問や被告代理人弁護士の反対尋問に臨む。

 この日の傍聴席には、父の姿を見守る40代の娘の姿があった。「私1人ならともかく、娘の健康を考えるといわき市に帰るなんて考えられません」と、今後も避難生活を続けていくと話した。

 「毎日、お酒を呑むのが好きな父だけど、今日はいつもの父じゃないという感じだった。法廷での勇敢な姿は、本当に誇りに思う」
 大役を果たしたじいちゃんは、少しだけほっとした表情でこう話した。

 「落ち着いて話そうと思ったが、非常に緊張した。裁判長に伝わればいいが…」

 次回期日は3月16日午前10時に開かれる。



(了)