【自主避難者訴訟】実は〝勝訴〟でない京都地裁判決~不十分な「避難の権利」認定。「後退」との指摘も | 民の声新聞

【自主避難者訴訟】実は〝勝訴〟でない京都地裁判決~不十分な「避難の権利」認定。「後退」との指摘も

自主避難者を取り巻く厳しい環境は何も変わらない。そう思わせる判決だった。京都地裁は18日、福島県郡山市から京都市内に自主避難した男性の不眠症やうつ病と原発事故との因果関係を認め、妻と合せて約3000万円の支払いを東京電力に命じた。自主避難者に対する東電の賠償責任を認めた初の判決として注目されたが、一方で2012年9月以降の自主避難の合理性や年20mSv以下の被曝のリスクは否定。「むしろ後退だ」との見方もある。命を守るための避難がなぜこうも冷遇されるのか。判決を機に、改めて自主避難者を取り巻く状況を整理したい。



【「ADRに納得出来ない人には励ましに」】

 「京都地裁の自主避難者訴訟には、大きな争点が2つありました」

 原告代理人を務めた井戸謙一弁護士が解説する。「大きな争点」とは①原告(父親)の精神疾患や働けなくなってしまったことと、福島第一原発の事故との因果関係が認められるか②自主避難の相当性がどこまで認められ、その精神的苦痛に対する慰謝料がいくらと認定されるか─だ。
 井戸弁護士は言う。

 「1つ目の争点について、裁判所は因果関係を認めました。その結果、金額はADR(裁判外紛争解決手続)の和解提示額の3倍に達しました。ADRの和解提示額に納得できない人には励ましになる判決だと思います」
 実際、2011年6月から北海道札幌市に避難中の宍戸隆子さんは「PTSD(心的外傷後ストレス障害)が原発事故の被害であると認定されたことがまず、画期的だ」と評価する。「ADRをしている自主避難者も、基本的には転居費用や失業などの実質的な損失だけを補てんされているケースが多い。精神的な賠償を裁判で求めていくことができるという先例になり、とても心強い」。

 原発事故後、福島市や郡山市などの「自主的避難等対象区域」から避難した場合、例えば母子避難(18歳以下の子ども1人、妊娠していない母親1人)だと、東電は2012年8月31日までを対象期間として子どもに72万円、親に12万円の計84万円を賠償金として支払った。しかし、実際に要した費用を無視した定額賠償であるうえ、対象区域から外れる白河市や西郷村など「県南地域」からの母子避難の場合は、わずか12万円のみ。少しでも実費に近い金額を賠償として求めるのであれば、ADRを利用することになる。
 ADRは、国の原子力損害賠償紛争解決センターによる和解仲介手続き。訴訟と比べて費用が安く、期間も短くて済むメリットがあるが、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」副代表の福田健治弁護士によると「弁護士が仲介委員を務めるが、彼らの考え方や対応にばらつきが生じているのも事実。最大の問題は、東電側に和解案を受け入れる義務がないこと」。

 さらに「センターは文科省の原子力損害賠償紛争審査会の一部門で審査会からの独立性がなく、原発事故による損害の範囲などを定めた指針を大きく外れるような和解案は出さないことが多い」(福田弁護士)。今回の判決が前例となるのであれば、費用や時間、労力をかけても裁判で東電と争おうと考える避難者にとっては、確かに大きな前進と言える。
文科省①
補償の獲得は自主避難の権利の確立につながる。

自主避難者たちは原発事故直後からずっと闘い続

けている=2011年12月、文科省前


【国の意向を追認した京都地裁】

 だが、問題はもう一つの争点だ。「京都地裁は、東電の言い分も含め自主避難として合理性があるのは2012年8月までとし、慰謝料の金額は父親について100万円しか認めませんでした。これでも、ADRでは20万円しか認めなかったので5倍の金額ではあります」と井戸弁護士。さらに「低線量被曝のリスク問題については、年20mSvを下回れば健康被害のリスクは無いと認定。福島県内で多数、見つかっている小児甲状腺がんについても、被曝が原因とは認められないとしました。極めて不当な判断であり、到底承服できません」。

 つまり、原発事故による避難と精神疾患との因果関係を認めて賠償金の支払いを命じた点は評価出来るものの、2012年9月以降の自主避難の合理性を認めていない点、低線量被曝の危険性について年20mSvを基準にしている点については、決して〝勝訴〟とは言えない判決だったのだ。井戸弁護士は「国の言い分に従っていれば無難だというのではなく、裁判官には全身全霊をかけて何が正義なのかを探求していく強い意志が求められる」と司法に訴える。

 匿名を条件に取材に応じた弁護士が、今回の判決の本質を指摘する。

 「極めて厳しい判決。そもそも自主避難者への賠償を認めるか否かというところに行き着いてしまい、その意味で、原子力損害賠償紛争審査会の指針から後退していると言わざるを得ない」

 判決を受けて、インターネット上には「勝手に逃げておいて補償して欲しいとは図々しい」など否定的な書き込みも少なくなかった。まだ避難しているのか、自力で生活しろ…。思えば自主避難者たちはこの5年間、世間の無理解と闘い続けてきた。
 前述の宍戸さんは2011年10月20日、避難者でつくる自治会の会長として、文科省で開かれた原子力損害賠償紛争審査会の第15回会合に出席している。「避難したお父さん、お母さんたちは、ただやみくもに不安になったわけではありません」と自主避難者の実情を語った。「目の前でいきなり娘や息子が鼻血を出した。いきなり具合が悪いと寝込んでしまった。その状況がずっと続く。これは何かおかしいんじゃないか…。これは避難の判断基準にならないでしょうか」。

 自主避難の合理性や賠償の範囲、金額などを話し合っていた審査会で、こうも訴えた。「福島から避難するというだけで、夫や親、親類や友人らから頭がおかしいんじゃないかと言われた。国が言っていることに逆らうのか、と。非国民とすら言われることもあった。そういう人が何人もいる。それでも命を守りたかった。そこを酌んでください」。

20mSv/年
国の定めた年20mSvという基準に批判の声が少なく

ないなか、京都地裁も国の意向を追認した


【「欲しいのは避難の権利」】

 自主避難者への賠償をどうするか。数回にわたって話し合われた審査会は実は、比較的、自主避難者に寄り添った意見が飛び交っていた。2011年9月21日、第14回会合の議事録には、次のような発言が記録されている。

 「避難指示よりも外側の人で逃げた行為も合理的であったと認める以上は、そのときの強制、恐怖心による避難というのは、政府指示と同質ではないけれども、一種の近い恐怖心による強制のようなものがあったと考えても良いのではないか」(中島肇・元東京高裁判事)

 「こんな所に5年10年住めと言われても住んでいられないよねという感覚を持たれることは、ある意味で合理的かもしれない」

 「子どもさんが感受性が高いので、親御さんが、じゃあ20mSvというのは怖いという感覚を持たれることには、ある一定の合理性があるんじゃないか」(ともに米倉義晴・放医研理事長)

 「そこに長いこと住んでいると、今すぐということじゃないかもしれない。長いこと住んでいると危険かもしれないということで避難しているとすると、これは20mSvというのは基準にならないんじゃないか」(能見善久・東大名誉教授=審査会長)

 その中で、自主避難者への金銭的補償に否定的な意見を述べていたのが、後に原子力規制委員長を務めることになる田中俊一氏だった。2011年12月6日の第18回会合では、閉会直前に「私なりに頭を整理する意味でメモをつくりました」として、次のように語っている。

 「賠償という形で対応することが、不安や恐怖を克服する最も適切な方法であるとは、私は考えていません」

 「低線量被曝に対する対策は、個人への賠償という形ではなく、多数の住民の不安や恐怖を軽減するための長期的な施策が優先的に講じられることを願う」

 第14回会合では、こうも述べている。

 「20mSv以上は避難で、来年の予測線量が20mSv以下であれば一応、現存被曝線量で住んでいいということになっています」

 日々の生活を考えれば、お金は当然、必要だ。しかし、多くの自主避難者が求めてきたのは「避難の権利」だった。今回の京都地裁判決は、その点において不十分なのだ。

 「自主避難の補償それ自体が、自主避難の権利を認めてくれることなんです。お金の話だけではないんです。自主避難の権利が欲しいんです。避難する権利は、命を守りたいという権利は、認めて欲しいんです」

 「自主避難者は福島だけでなく、命を守るという観点で、関東圏の方も、それこそ向こうに残っている方も、全員に補償が出るのが一番いい」

 審査会でこう訴えた宍戸さんは、今なお避難を続けていることについて、このように語る。

 「いま発表されている『安全』という放射線量の数値や識者の言葉が、未来で覆る可能性を否定できないからです。予防原則に従えば『生命を守るための避難』という選択を継続したいと考えるのは当然だと思います」

 まもなく原発事故から丸5年。避難の権利が確立されるどころか避難の合理性を否定するような動きばかりが活発化している。それが今回の判決であり、住宅の無償提供打ち切りなのだ。


(了)