北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも
 
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某州立大学の合否発表日の入学審査課

大学の合否とはもう関係のない日々となったので、熱くない話題をというのが今日のテーマです。息子の在職する某州立大学で応募者の合否の発表は、毎年、週末近くのある日と決まっていて、その日の午後の発表と同時に、オフィスに鍵をかけて職員たちは別の場所で簡単な打ち上げパーティをして仕事を切り上げるという習慣になっているそうです。

これは、発表直後の電話での問い合わせ、質問、苦情に対しての対策のためで、発表後にすぐに電話をしても、誰も対応する職員が居ない状態を意図的に作っているのだそうです。発表直後の感情的な反応の大波を避ける一手ですね。高まった感情を持続維持するのはむずかしいですから、2,3日の冷却期間をおいて、落ち着いた人からの質問には答えようとの対応です。しかし、怒涛のような感情的な問い合わせはないものの、数日後でも「なぜ、自分の子供は不合格なのか?」という問い合わが後を絶たないために、アルバイトの学生がそれに応答する体制をとっています。このアルバイトの学生は、数分話をきいたあとで、「ほかの方も通話をまっているので、あしからず」といって、順番に通話を終了してい区仕組みだそうです。

この大学では、合否の結果についてアピール=再審査を求めることはできますが、実際にその結果として、入学が認められる例ははとんどないと言われています。逆に合格の取り消しは、たまにあるようです。


大学のAdmissionというところも、結構大変ですね。

長期介護保険 (Long Term Care Insurance)

私は、お金にはあまり興味がないので、投資や財務に関してもかなり野放図にやってきたのですが、引退が目の前になってきているので、今後お金の管理をしてくれうFinancial Adviser(FP)をやとったことは前のお話しました。

彼のアドバイスでLong Term Care Insuranceに加入することを検討していましたが、最近、この加入を決めて、今日か明日にも掛け金の支払いをする予定です。彼によると、私の住む地域では現時点で、この介護に掛かる費用は1日280ドル、この介護が必要な期間は平均約3年間だそうです。いろいろ数字を見比べて、我が家では、現時点の保険のカバー額が1日230ドル(1日50ドルの持ち出しは家計の財政上可能と想定)将来のインフレ年率5%上昇分の上積み保証、夫婦の片方がもう片方の使わない保証期間分を使えるというもの(Shared Coverage)に加入することにしました。

この加入では、この保険会社が派遣する看護師による健康診断もあり、我が家にも看護婦さんが家にやってきてさまざまな健康に関する質問をしたり、採血、採尿をしていきました。どうやら、この審査には合格したようで、会社のほうから、この金額でどうか?という掛け金の提示があり、私たちの場合には、夫婦で年間約1万ドルの掛け金となっています。この会社の場合には、カリフォルニア州政府のMedicalとの提携があって、この保険が補償する金額を使いきった場合には、Medicalがその後の経費を負担してくれ、Medicalの適用条件の財産の査定では、自宅と会社が負担した金額と同額の資産が控除され、これらは残すことが出来るそうです。

このFPの話によると、アメリカ国内では人口の2%は、投資資産が十分にあるので、この敬意の全額自己負担が可能でLTCIは必要なく、またほかの10%も資産がないために政府が面倒をみてくれることとなっているそうです。したがって、残りの88%は、なんらかの手立てが必要となるわけですが、掛け金が高額ですから、資産を食い潰してMedicalに面倒を見てもらうことも多いのではないかと思います。私たちにとっても高額な掛け金ですが、子供が間接的にでも、この恩恵に浴すことが出来ればと思い、決心しました。

中国がアメリカの大学教育に持つ関心の高さ

アメリカの難関大学での高等教育は、世界のなかでも定評があり、中流と言われる階層が爆発的な増加をした中国でもその関心はたかまってきていることは、よく知られています。。現在、アメリカの大学の多くでも、留学生の数が一番多いのは中国からということで、大学によっては、中国からの留学生を勧誘するために職員は派遣したりもしています。また、中国の国内でも、「大学の合格を保証する」と銘打った予備校も数多くあると聞いています。

さて、前回お話をしたとおり、息子はニューオーリンズで行われた職種全国大会に出席していたのですが、そのときに、在職する大学のNo,2である雲の上の上司と話し合う機会があり、空港ですこし話をしたそうです。このNO.2は今年に訪中が予定されていて、彼のつもりでは、かの地の大学を2.3校たずねて、会談する短期の出張とのことだったのですが、あちらの当局(中国政府)と予定の折衝をしたところ、中国側が、あそこも、ここも訪ねて話をしてほしいと言う要求をしてきたために、ついには、3週間にわたる”興行”になってしまったそうです。

日本の文科省の役人が、アメリカの大学関係者にちょっと15校ほど回って話しをしてみてください、といったような提案があるとは想像できませんから、中国政府の高等教育改革にかける意気込みの違いといったものが見られるように思います。

さて、ちょっとしたハプニングの話しですが、ニューオーリンズ空港の待合室の中で彼から2メートルほど離れたところに、盲目の老年の域にさしかかった黒人がいて、連れではなさそうな周りの人たちと楽しそうに話しをしていたそうです。、人付き合いのいい人なんだ、と息子が思っていたら、後でほかの人から、「スティービー ワンダーが居たね」、と聞いて、彼が若いときのアルバムの写真での記憶しかなかった息子は、びっくり。

面接される側から面接する側に

大学は今週、春休みだったのですが、毎年この時期にあるNASPA(National Asocciation of Student Personnal Administrators-前名)の全国大会に息子は出席しています。この大会に付設してジョブフェアーのようのものもあり、この職種の今年の求人、求職活動が始まります。息子の場合には、これまで2度ここで数校の大学に応募をして就職先をきめてきました。前の在職した某文理学院時代には、ここで新規採用者の面接もしたこともあります。昨年就職した総合大学から、6名ほどがこの大会に派遣されて、来年度の採用の応募受付、書類審査、面接を行うそうです。えらいさんが絞られた2-3名の応募者の面接をするのは、2時面接を終え、電話でのインタビュー後の学内面接ですから、それ以前の振り分けがこの場で行われます。

某文理学院の場合には、それぞれの応募者への面接でも面接官が必要だと思われる事項について自由に質問ができたのですが、この総合大学の場合には、初回の質問は決まっていてどの応募者にもまったく同じ数の同じ質問をすると言う決まりだそうです。お役所的で機械的な面接なので、するほうも、されるほうも面白みがないかもしれませんね。公平性ということを字句だけに頼っていくとこのようななってしまうのだと思います。なにか、応募者に同じ試験を課す日本の大学受験と似ているよな気もします。

この総合大学での彼の職種においては、世間のその大学全体への評価から予想されるものとは違い、職場としては難点が少ないと言えず、採用者の歩留まりが悪く出入りがはげしいようです。これは、ここ数年の予算の削減のために、機構がかなり骨抜きにされている面もあり、机上では、充実しているように見えるものの中身はスカスカの部分があったりして、掛け持ちで従来の二人分の仕事をしている中級職員も多いといいます。。たとえば、学内の性犯罪対策についても、その対応に特化した部署を設けたまでは良いのですが、数万の学生に1名の職員がいるだけで、外向けの顔があるだけで実際の対応にはまったく手が足りないような部署もあるという話です。これらは、今後財政状況が改善されれば、それの沿ってよくなるとは思いますが、大世帯のことですからかなり時間がかかると予想されます。

大きな総合大学の職階の中では中間管理職が何層にもあるので、駆け出しからちょっとのレベルの息子とこの大学の学長との間には7段階の職階があるそうです。某文理学院では4段階しかなかったですから、大違いですね。

一人ぼっちの学生

息子がたまには家に帰ってきて、近況の報告をしてくれたりしますが、その中で前に在職していたLACと現在の総合大学をくらべてみて、大学職員の目を通してみた違いに、一人ぼっちの学生をどうするのか?という課題に関してものがあるそうです。

某文理学院では、毎週の定期会議で、「A君はいつも一人で食事をしていて友達もいないみたいだけど、うまく大学の学生コミュニティにとけこませる方法はないものか?」といったことが職員の間で話し合われるのが当たり前で、毎週A君のコミュニティ参加の進捗状況について報告があったりしたそうです。この辺りが、LACでの手厚い教育の証の一端なのだと思います。

これに引き換え、現在の総合大学では、定例会議のなかでは、このようなことは話題にもならない雰囲気で、事件、罰則といったものが中心の課題だといいます。大型の総合大学であれば、一人ぼっちの学生の割合も数も多く、高校の同窓生が他に一人もいないような場合に、他の学生とのとりあえずのつながりをどのように作っていくのか、が大きな課題となります。学生が友達を作れるば仮名かないと言う障害ですね。ダイニングホールでの食事をみても、一人でぼそぼそと食事をしている学生の数は結構多いのですが、これは、彼が育ったPomonaとは大違いです。彼は毎日Pomonaの家族7人で4年間近く夕食をとっていたわけで、「同じ釜の飯を食った」仲間がいました。

そこで、彼が考えているのが、ダイニングホールの特定のテーブルを一人ぼっちで友達がほしいけど、作る機会が見つけられない学生のために設置してみてはと言う提案です。多くの場合には、彼自身も座って、学生間の会話の調整をしながら、話題を進めていくといったことを考えている様子です。このような、ほんの小さな活動から、一人でも2人でも大学コミュニティの一員だと自覚できる学生が増えてほしいと彼は考えています。

うまくいって継続できれば、この大学の中でもちいさな変化があるかもしれません。

話はかわりますが、彼は、直属の上司からの勧めもあり、その上司とおなじ職階の仕事に応募をしています。本人は、複数回の面接のあとの学内面接までは行きたいと望んでいますが、どこまでいけるか注目しています。これは、全国規模での公募の仕事で、採用は1名、倍率は300倍くらいの予想とか、、、

追記:初稿は、はしょって書いたので、字句に不適当なものがあり編集しました。多少は明確になったかと、、、

引退に向けての新年

ご無沙汰です。 遅ればせながら、新年の慶賀を申し上げます。

さて、そろそろ、引退の時期が具体的になってきた昨今ですが、この数ヶ月はこの準備などで、ガサガサとしています。一番大きな出来事は、Financial Plannerを雇ったことで、これまでは、買えよ、増やせよでやってきた引退向けの投資(401K-引退用の個人投資)を、賃金のなくなることやインフレを想定して、どのように組み替えて定収入を得ていくのか、そして、その成功確率はいかに、といったことに挑戦しているわけですね。

このプロによると、私たちの場合、固定の支出が少なく、借金のない現在からの想定では、資産の運用、Socical Security他などからの定期予定収入から、95歳まで現在の生活水準を保っていける成功確率は98%だそうです。これは、たいしたことではなく、単に、お金がかからない、使わない簡便な生活をしているだけなのですけどね。

Hedge Fund, Private Equityといったわが身には関係がないだろうと思っていた投資先についても、このプロから教育をうけて、今までよりもアメリカ資本主義のお金儲けの仕組みも勉強させられています。この人は、説明が上手な先生で、私もワイフも大助かりです。2週間に1度のWeb上での1時間ほどの会議-授業があり、その都度教えられることばかりです。彼に掛かる経費は、資産の総額の1.5%程度、ただ、私たちの場合には、優遇価格で、いくらかの割引きがありました。彼の話を聞くごとにお金がお金を生む仕組みが具体的にわかり、金持ちが際限なく太っていく過程がよく理解できます。

投資の組み換えのために、FedExが家にやってきて書類を届け、それに私たちが署名して即日送り返すということがこの数週間に頻繁にありました。大きな部分は終わったので、後は、残りの処理がすこしだけあり、これで今回は完了です。

投資先については、一段落ですが、引退以前もふくめ、税率を横目にみながら、それをどのように引き出していくのか、ということも重要だそうです。私たちの場合には、投資の現金化をうまくするのと、へたにするのでは、これからの30年間の累計の税金額で$300、000の差ができる可能性があるという計算になると教えられました。

いろいろな数字がでてきたのですが、心に留めていなければならないのは、余命もふくめて何事も絶対と言うことはなく、これらの成功確率の数字もある条件を満たした範囲内、予想できる想定内でという条件付ですから、想定外のことが起きると、あっという間に実体を伴わないたんなる数字となってしまうこともありということでしょう。

この投資、引退の制度には、私の中では、正直、複雑な気持ちもあります。私たちは、崩壊しつつあるアメリカ中産階級の下のほうで、やっとぶら下がっているレベルですが、蓄えがわれわれのレベル以下の同年齢の人たちは、どのような引退生活ができるのか、最高額が月に2200ドルのSocial Security(連邦政府老齢年金)の収入だけでの生活は、生活費がよほど安い場所をえらばないと、とても間に合いそうにありません。また、私たちよりも若い世代の人たちは、2037年度にSocual Securityが破綻する可能性ありとかいわれているらしいですから、どのように引退生活が可能となるのでしょう。

私のアドバイスを入れてか、息子は、職場が許す最大限の税引き前の総収入の42%を退職資金として403B(非営利団体の401K)に投資をしているそうです。これは、3食、住居、水道、光熱費、ケーブル料付きで給与があるという生活をしているためで、彼が自前のアパート住まいであれば、とても出来ることではありません。気になりますね。

さて、まったく関係のない話ですが、息子が少しの間、年末に家に帰っていていて、その間に、Pomonaの「家族」の一人が訪ねてきました。卒業後、1年してからMed Schoolに行った彼女はMDとなり、現在はUCLA Medical Centerで研修医をしているそうです。彼女がいうのは、Pre Medのときから周りの学生が一生懸命なので、自分もその中で負けないようにしていたら医者になっていた、と言うのが実感で、とくになにか特別難しいことをしてきたという印象はないといっていました。彼女はたしか高校は首席卒業、Pomonaでは数学とPre Medのダブルメジャーで最優等の称号の卒業でした、息子が、からかい半分にDr.XXXと呼ぶと、恥ずかしげにやめてよ!と言う掛け合いのなかに、彼らの仲良し加減が伺えて、私も微笑まされました。専科は内科だとか、きっと患者にやさしいよいお医者さんになるでしょう。家族のもう一人は2年前にMDとなり、Family
Doctorの研修をしているので、Pomona7人家族のうち都合2名が医者になりました。

では今日はこのへんで、









3ドル50セントの合否

息子の大学院からの友人のAさんが、あるUCの入学審査部でエッセイの審査をするアルバイトをしています。この仕事は、そのままReaderと呼ばれているのですが、応募期限がくると、エッセイが大学からおくられてきて、それらを、どんどん読んで、これは合格、これは不合格と判断していくのが仕事です。

リーダーに求められる審査数は、週に120件、彼の場合には、正規の仕事のほかに、毎日に19件のエッセイを読んで、判断するそうです。このUCの審査では、すべての応募者のエッセイを二人のリーダーが読み、合格、不合格(エッセイの項目で)の判断をしますが、もし、2人の判断が違った場合には3人目のリーダーが読んで、その結果多数決で最終判断をくだします。よく、成績で足きりをして、残った応募者のエッセイだけを大学が審査をするといった風説もありますが、この大学にかぎっては、成績、点数などにかかわりなくすべての応募者のエッセイが二人のリーダーの審査の対象となります。

1ヶ月に約500件のエッセイを一人のリーダーが読むとして、応募者の20000件のエッセイが2回読まれるには、80ヶ月の時間がかかる計算になります。したがって、50名ほどのリーダーがいれば、たまに3回目の読み手が必要でも、ほぼ2ヶ月ほどでエッセイの審査が終えると言う計算になりますね。

このリーダーになるには、その為だけのセミナーが数回あるそうで、ここで訓練を受けてからの初仕事となります。

このリーダーの手間賃?は、時給ではなく出来高払いで、一件につき$3.50、コレが高いのか安いのかわかりませんが、ただ、お金儲けと言う意味では、うまみのある仕事ではないと言うことは言えると思います。Aさんの場合にも、面白そうだからやってみるという気持ちが強いようです。

息子のほうは、某文理学院の小規模な組織から、突然、総合大学の大組織の一員となって、職責が明確なのでその分楽をしている反面、官僚的なにおいがある大組織のの中での戸惑いも多い毎日を送っている様子です。先日は、呼吸困難のアレルギー症状をおこした学生の救急搬送に同乗していって上司のから説諭さえたと、懲りもせず明るく言っていました。

彼の管轄している寮の中には、16歳の天才少女がいて、寮生の互選で彼女は寮長に選ばれましたが、有能な寮長で寮内でのさまざまな学生の活動も活発、最近は、寮生たちに招かれた近隣の子供たちが、バスを連ねてすこし早いTrick or Treatをしに寮にやってきました。、印のついた部屋のドアを訪ねてのキャンディのほかに、ラウンジでの風船ヘッディング、フェイスペインティングなどで子供たちは、大いに楽しんでいったそうです。

Master's Degree is New Bachelar's Degree

近年の大卒の就職状況からでしょうが、最近では、掲題のような言い回しが若者たちのなかでされていると言う話を、息子と彼のガールフレンドがしていました。大学での工学、経営、看護、教職などのような就職に直接結びつく専門職教育以外の専攻の場合には、修士まで修了することが、従前の大卒と同等に就職が容易となる教育的な付加価値を応募者に与えるということらしいです。

景気がよかった二昔まえの時代には、大まかに言って大卒の比率が同年齢に中の20%程度だったと思いますが、景気がわるくなってきて、そのために大学進学者の数も増えたせいか、近年の大卒率は確か30%程度に増加しているそうです。このような中で、自分と他の求人者との差別化をしようと思えば、経験がある、より高学歴だというアピールが必要となるのだろうと思います。そして、経験のない新卒の場合には、インターンで経験をつむか、その代わりに大学院に進学するかという選択が論理的な帰結となるのかもしれません。

ただ、修士課程では、大多数の学生が自分で学生ローンを組んでの進学となるので、このリスクがまるでないというわけでもありません。UCを例にとれば、修士取得時に少なくても7万ドル程度のローンが残ることになりますが、就職のさいは、このローン返済が可能な収入がひつようで、職種選びにも制限があることでしょう。

近況などを。

皆さん、大変ご無沙汰をしていました。

先のエントリーは、1年半以上前になってしまいました。この間に、私の周りの環境(特に、両親、友人たち)も大きく変わり、ブログどころではないという時期が続きました。以下その概要です。

まだ、大丈夫だろうと思っていた、親友のひとりが日本で会った2ヵ月後に肺がんであっけなく逝き、さらに大学時代からの友人の2人が相次いで、亡くなりました。一人はホスピスにいる間に会うことができたのですが、もう一人は、たまたま、私が滞日中に訃報があり、お葬式での対面となりました。さらに、現在もう一人が、透析をしつつ、糖尿でひざ下両足切断手術を受けて、余命あと2.3年といわれています。

年をとると、ということは言いたくはないのですが、このように、ある程度齢をかさねて、ばたばたと友人に死なれると、応えますね。

私は幸運にも、90才を超えた両親がそれなりに健在なのですが、母親のほうが、手指に不具合が出てきて、物を握ることが不自由となり、炊事も難しくなりました。そのために、食事つきの高齢者向けマンションを探したのですが、これも、けっこう大変で、いつも空きがあるわけではなく、空室待ちのあいだは、気がもめたものです。今は、やっと入居して、温泉付き、板前さんが用意してくれる3食付で快適な生活をしています。ただ、30年間住んでいた家の片付けは一仕事で、去年は、私が手伝いのために2回、日本に行きました。

今は、その家も取り壊し(コレも結構お金がかかる様子)更地にして、買い手がすでにいるので、不動産売買の手続きの最中です。

あとは、息子は、ガールフレンドがカリフォルニアの大学院に進学することになったので、こちらに戻ってきます。彼女は、優等生だったので、応募した3校のいずれからも入学許可が下りたのですが、最初の学期、授業料免除という条件をだしてくれた、大学院を選んで進学することにしました。息子のほうは、3月に開催されて彼の専門職の分野の全国大会に付設されたJob Fairで、カリフォルニアのいくつかの大学と面接をして、とりあえずは3校から、On Campas Interviewを取り付け、その中には、彼女が進学する大学も含まれていて、最終面接の結果その大学で採用となったので、たまたま彼女が進学する大学に就職をすることになりました。この就職を決める際にも、現在の某LACの上司や、年上の友人たちの親身なアドバイスがあり、ずいぶん助けになったそうです。

大学職員の転職は、3月に最初の求人があり、その結果が5月くらいに決まって、ここで移動が決まった職員の空席を埋める第2次の求人が5月にあり、そのあとで、さらにその求人が埋まった後の7月くらいに第三次がるというように、全国規模のドミノ的な求人となっているようです。今回も、採用枠1名に応募者が100名程度だったようです。

私のほうは、若いころにこき使った肩の反乱があり、イテエいてえと言いながらも、釣竿を振っています。自分でいうのもなんですが、虹鱒のルアー釣りは結構上手になりました。このシーズンは、ご存知のように水枯れのために、あの湖も水量がずいぶん減って、水位が下り水深もへったので、以前とはまったく違う湖になっているのですが、時間あたり15匹くらいのペースで虹鱒を釣った経験もしました。返しのない針をつかい、夕食用の2匹を除いてはキャッチアンドリリースですが、面白ろかったです。ただ、今は虹鱒のシーズンも終わり、イワシは来ないか、サバは来ないかと、想像をめぐらしています。

とりあえず、ご報告まで、

東と西、雑感

今回の旅行では、ロードアイランド、ニューハンプシャー、ヴァーモント、マサチューセッツとカナダのケベック州を訪れました。紅葉の時期でしたが、雨の日や曇天の日がおおく、晴天の日は3日間だけでした。気温も変える頃には、25度までさがり、朝方、車の窓は凍ってしまっていました。”Liberty or Die”という勇ましい州是を掲げた州もあって、独立戦争の気合がいまだに受け継がれているようにも感じました。

Plimoth(Plymouth)では清教徒たちが住み着いた開拓村が復元されて当時の服装をし、それぞれの役割を演じている住民のいる農園を見たり、Concordでは、叛徒(植民地の独立秘密結社の民兵たち)がイギリス常備軍に立ち向かった戦跡をたどってみたり、Salemでは、魔女狩り、裁判の背景に関する映画をみたり、QuincyではJohn AdamsとJohn Quincy Adamsの親子の大統領ゆかりの家(石造りの図書館あり)を訪ねたりで、これらの多くを管理している国立公園には大変お世話になりました。

Cape Codには、2度ほど行きましたが、ながーい半島で幹線の高速からは、まるで海が見えないというのも、不思議な感じがしました。見えるのは、道路の両側の木々だけで、海が近いという、兆しは全く感じられないのが不可解だったです。お金持ちの遊び場のHyannisにも、寄り道して、ちょっとだけワイフも買い物をしていました。

皆が行け!というので、Newport(RI)も行きましたが、見栄で建てた宮殿、大邸宅の連なりをみて、この国には、あたらしい法律が必要だと思うようになりましたね。一家の住む家のベッドルームは10まで、多世代住居の場合でも、14まで、どうしてもこれ以上という場合には、一部屋について1千万ドルいただく、というのはいかがでしょう?

食べ物は、息子が忠告していたように、揚げ物、バーガー、ホットドッグ、ピザなどが町に蔓延していて、これら全部を避けて食事をすることは、不可能ではないものの、なかなかのチャレンジだという感じがしました。息子のガールフレンドが、この辺りの子供の約40%が肥満だという統計があると言う話をしていましたが、Dunkin Donutsが、これほど頻繁にあるのであれば、それもうなづけるように思いました。私たちもベトナム料理,タイ料理など時折、食べたのですが、これらの多くは、東アジア全体の料理をレパートリーとしているようで、チキン照り焼きなどもメニュにあったりしたのが驚きでした。

東海岸にいるうちは毎日、運転していたのですが、フリーウエーの整備に関して、レーンを示すリフレクター(夜にヘッドライトに反射して光る)のないところもあり、豪雨の暗夜には閉口しました。ほかの車のレーンの中からはみ出てくるのが多かったです。また、フリーウエーの進入路の合流助走距離が短いので、これも彼我の距離を見極めてタイミングを測るのが難しいですね。合流できずに進入路で停止している車も見ました。もうひとつは、速度制限15マイルオーバーの車が、右車線に連なって走っている光景をよく見ましたが、スピード違反の取締りというのは、どうなっているのでしょう。55マイルの制限スピードのところで、一番遅い車が70マイルで走行しているというのは、ちょっとしたショックでしたね。このような光景は、カリフォルニアではまず見受けられないように思います。こちらでは、せいぜい65マイルの制限のところ遅い車線では70マイルで走行、5マイルオーバーあたりが遅いほう車のスピードだと思います。

今日はこれまで、また、続きがあります。
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